282 コモンカフェ(日本)
ストーリー:
大阪の中崎町は大阪の大ターミナル駅である梅田駅から一駅という利便性の高さにもかかわらず、戦災を免れたこともあり、木造瓦屋根の古くからの街並みが残っている、ノスタルジックな雰囲気に溢れる町だ。ここは、昔からの住民が住んでいる一方、昔からある建物を改装して若者たちがカフェや雑貨店、アパレル店などを開業するようになってきている。
コモンカフェは、その中崎町の地下鉄駅のすぐそばにある。すぐそばではあるが、二つの地下鉄駅入り口の中間に位置するために街の喧騒はあまり気にならず、落ち着いた感じのする一角に立つビルの地下一階で開業している。その広さは約20坪(66㎡)。テーブルは6つで24席とカウンターが5席。
何も知らずにこの店に入ると、レトロな街中にあるお洒落なカフェぐらいな印象しか与えないかもしれないが、このカフェは「日替わり店主」というシステムを取っている。最近ではシェア・カフェも随分と受けいれられるようになってきたが、ここは、そのようなコンセプトもない時に始まり、シェア・カフェのニーズがあることをいわば社会実験することで証明したようなカフェなのである。
ここを開業したのは、山納洋氏という一般企業のサラリーマンである。彼は、扇町ミュージアムスクエアに出向すると、そこを「若者文化の発信基地」とするための様々な事業を展開していく。そして、仕事と並行してトークサロン企画「Talkin’ About(トーキン・アバウト)」などを起ち上げる。シェア・カフェというか日替わりマスターというアイデアは、まず、この「Talkin’ About」を行っていた会場にて思いつき、始めたものだ。その会場であった「Bar SINGLES(バー・シングルス)」は2001年に閉店してしまうのだが、山納氏は、その店を維持するために、40名のマスターが日替わりで店に立つ「日替わり店主制」のお店として再開する。その名称は「Common Bar SINGLES(コモンバー・シングルズ)」。このプロジェクトをはじめるにあたって必要となる費用は山納氏が負担した。
コモンバー・シングルズが多くのマスターに支えられて軌道に乗っていた時、中崎町のギャラリー跡の物件で、この日替わりマスターの仕組みを応用したカフェを運用しようというプロジェクトが立ち上がる。これは、コモンバー・シングルズでは狭くてできないイベントや、扇町ミュージアムスクエアの劇場が閉鎖したためできなくなった演劇やイベントをやりたいという人達のニーズに応えたかったからである。そして、2004年4月に「common café(コモンカフェ)」がオープンする。これによって山納氏は二足の草鞋ではなく、まさに三足の草鞋をこなすことになり、超絶多忙な日々を過ごす。そのような中、コモンバー・シングルズの周辺の治安が悪化したこともあり、コモンバー・シングルズを他のマスター有志らに任せ、自分は手を引き、コモンカフェに集中することにした。
コモンカフェの目的は大きく二つに整理できると考えられる。一つは、個人で開業を目指している人、自分たちの居心地のよい空間を持ちたいと思いつつも経済的理由などで実現できない人たちに、無理がかからない程度の負担によって、そのような一つの空間を獲得、維持、発展させる機会を提供することである。もう一つはパブリックな表現空間を経済的に自立した形で表現空間を運営・創造することである。
コモンカフェのホームページにはその意図が次のように書かれている。
「今回のプロジェクトを通じて、経済のシステムに乗せることは難しいけれども貴重な空間、文化的役割を果たしている空間を有志によって維持する、という方法論を模索し、今後に活かしたいと考えております。」
コモンカフェの開業にあたっての開業費用約1,200万円は、山納氏が国民生活金融公庫から借り入れることで調達した(*借り入れたのは1,000万円)。そして、運営を続けていくプロセスの中で「みんなのカフェ」になるよう、プロジェクトに関わるメンバーに出資を募り、その基金で運営できるようにと考えた。
空間の設計では、優れた表現空間となるために色々とこだわった。そもそもの発想は劇場運営というもので、普段はカフェ、ときどきライブ、演劇に使われるという空間とした。そういうこともあって、見た目は普通のカフェであるが劇場空間として多くの工夫が空間設計から考えられている。
例えば、店の中には木製の箱棚がたくさん置かれている。この箱棚は壁に固定してあるものとその上に置いてあるだけのものとがあり、固定しないものは自由に動かせる。これは雑貨を展示したり、テーブルや椅子としても使用できる、劇場用語でいう「箱馬」のような棚なのだ。さらに、テーブルは天板を外し四本の足をばらせることができ、これによって場所を取らずに収納することができる。ここの建築を担当したのは吉永健一氏で、妹さんが演劇関係のライターであったこともあり、演劇のことに精通していたので、イベントをしたい時に、簡単に撤去、設営できるようにと工夫した。
コモンカフェもコモンバー・シングルズと同じように日替わりマスター制度である。運営側としては、ルール・マニュアルをつくって、こういう風に動いてください、というのを教えている。その運営コンセプトは、常連客に支えられつつも、常に新しい一見の客をもしっかりと迎え入れ、そのお客さんが常連客になって店を支えるようになっていくこと。そしてそれだけの力を一人一人の店主が備えていくこと、である。
山納氏は自身を、仕組みという作品をつくっていると考えている。無理なく持続可能な運営が続くよう、市場経済の中でこのようなカフェが経営的にも成り立ち、なおかつサロンとしての機能も果たし、そして新たな芸術文化を創造するような場をつくる仕組みをつくろうとしているのだ。コモンカフェが持つユニークな魅力は、その空間の素晴らしさだけでなく、視覚ではなかなか検知できない、その仕組みの独自性に基づいている。
キーワード:
サード・プレイス,喫茶店,コミュニティ・カフェ,インキュベーター
コモンカフェの基本情報:
- 国/地域:日本
- 州/県:大阪府
- 市町村:大阪市
- 事業主体:山納洋
- 事業主体の分類:個人
- デザイナー、プランナー:山納洋
- 開業年:2004年
ロケーション:
都市の鍼治療としてのポイント:
大阪に変わった仕掛け人がいる。英語で「A Man of Many Hats」という成句がある。一つ以上の仕事をこなす人のことを表現するイディオムである。100年ぐらい前のイギリスでは、帽子は職業ごとに使われていたので、このような言い回しがされるようになったのだが、この仕掛け人はまさに「A Man of Many Hats」だ。
社会人になって最初の肩書きは大阪ガスの会社員である。しかし、彼は会社員であるにも関わらず、その枠組みを大きく逸脱した活動を展開してきた。その契機となったのは、社会人になりたての頃、独身寮の社宅のそばにあったバーに通ったことで、広く世界を見る視座を持つことの大切さを知ったことだ。そして、そのような機会を得られると期待し、大阪ガスグループが運営していた複合文化施設「扇町ミュージアムスクエア」に社内チャレンジ制度で応募して、そこに勤めるようになる。
そして、そのような経験によって、人と人とがうまい具合に出会う「場」というものに興味を抱き、「場」をつくっていく、様々な実験を展開していくことになる。まず、あるテーマについて関心のある人が集って話合うサロン「扇町Talkin’ About(トーキン・アバウト)」を開催する。そして、何十人かのマスターが日替わりでバー空間を維持する「Common Bar SINGLES(コモンバー・シングルス)」を運営する。さらには、何十人かの店主が表現空間としてのカフェをシェアする「common café(コモンカフェ)」、海外での雑貨買い付けを表現活動としてサポートする「プチ貿易振興事業団」、山麓の茶屋の軒先を借りてカフェを開く「六甲山カフェ」、やりたいことを通じて日本人と外国人とがつながる「common style(コモン・スタイル)」、さらには高齢化した店主の後継者をスムーズに斡旋できる「譲り店」(都市の鍼治療データベースNo.228 喫茶店ニューMASA)などを仕掛けていく。スケールは小さいかもしれないが、その多方面でのプロジェクト展開は、まるで平成の渋沢栄一のような「A Man of Many Hats」である。
この仕掛け人こそ、山納洋氏である。彼の手がけるプロジェクトは、人と人とが出会うことでシナジー効果が生じるような「場」づくりというのが共通テーマであると捉えられるが、彼はそのような「場」としてのカフェに大きな可能性を感じ、ここで紹介するコモンカフェを手がけることになる。このコモンカフェが開業したのは2004年であるが、これはそれまでの山納氏の活動の延長線上にあるプロジェクトであることが取材から理解することができた。そして、その活動は一貫して、都市の中に、人々が交流し、その交流によって新たな価値を生み出すような機会を提供する場をつくることを企図していた。
山納氏がこのような活動を展開するきっかけとなったのは、彼自身が、若き社会人の時に、そのような場で自分磨きをしたからだ。そして、その場は個を覚醒させると同時に、個を結びつけ、一人では難しい何かを進めることのきっかけにもなった。
コモンカフェを維持するために必要な売り上げは月に約50万円だそうだ。これは500人の方が月に二回くれば達成できる。出入り自由で、内輪に閉じることない500人のコミュニティの結節点として、ここが位置づけられ、自分たちのやりたいことを試せる空間があることで、互いに出会い、つながり、刺激を受け、新しい何かを生み出していく。そのような文化インキュベーション的な場所としてコモンカフェが位置づけられたらと山納氏は考えた。
それは、扇町ミュージアムスクエアの閉館という不本意な顛末を取り戻すための山納氏なりの抵抗であったのかもしれない。扇町ミュージアムスクエアは1985年から2003年まで18年間存在したので、2004年から始まったコモンカフェも2022年まで続ければ同じ18年。扇町ミュージアムスクエアの閉館で失われた時間はコモンカフェによって取り戻せたかもしれない。この18年間で、数百人の店主がこのカフェに立った。基本、好きなようにやってください、というスタンスでお願いしたので、このコモンカフェは日によって異なる多彩な顔を呈することになる。そのオーナーのように「A Man of Many Hats」なお店なのである。
山納氏は、普段はサラリーマンをしているので、意に沿わない事態に遭遇することが多い。会社としても絶対やるべきだと考える企画が通らなかったりする。そのような中、このコモンカフェでは経営者をすることになる。この場があることで、日々、驚くほど多くの人に出会えることができる。それがモチベーションとなっている。
都市の大きな魅力の一つは人々が出会う機会を提供することである。人は出会うことで一人ではつくれない価値を生み出すことができる。もちろん、学校や会社といった、レイ・オルデンバーグがセカンド・プレースと分類した場所でも人は出会い、それなりの価値を生み出す。しかし、それらの出会いは受動的である。もっと主体的に、能動的に人が誰かと出会おうとすると、都市のユニークな場が必要となる。そして、これらの場が望ましい「出会いの場」としての機能を果たすには、そこの訪問者がその場での時間を単に消費するだけでなく、訪問者も何か価値を提供し、新たなる価値をそこで創造するように主体的に関わることが求められる。
コモンカフェはそれを極めて戦略的に展開した試みであり、それを実践した山納氏の懐の深さ、度胸には頭が下がる。このような人材、そして場が重なることで、新たな都市の小さな奇跡が生まれる。そして、そのような小さな奇跡が積み重なることで、都市の魅力はつくられるのだ。山納氏こそ、まさに都市の「鍼灸師」であろう。
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