288 名山町の「バカンス」(日本)
ストーリー:
鹿児島市役所の目と鼻の先、同市を代表する繁華街である天文館からも近い場所に名山町という地区がある。周りに近代的で大きな建物が林立している中、ここだけまるで時間が止まったかのように昭和レトロで狭い路地に木造住宅の狭い長屋が密集して建っている。道路が狭いために「再建築不可」なので、昭和20年代の建物を改修しながらやりくりして使っている。あたかも昭和初期のテーマパークのような一画であるが、この地区にあるスナックや赤提灯、居酒屋、カフェ、古本屋などは皆、現役である。なんか懐かしいけど現代的な雰囲気が漂う不思議な空間だ。
そんな不思議な空間にマッチする、風変わりな家がある。この家の名称は「バカンス」。バカンスというのはフランス語のvacancesのことかと思われるかもしれないが、差にあらず。バカンスの「ン」は薩摩弁で「の」を意味する。つまり、それは「馬鹿の巣」ということだ。
この「バカンス」の始まりは、2018年、鹿児島市役所の職員であった森満氏が市役所のそばにある名山町を歩いていたら、この家の借主募集の張り紙を見つけて、衝動的に借りることを決意したことがきっかけである。1階はキッチンスペース、2階は4畳半の小さな空間であるが、そこで壁塗りなどのDIYイベントを行い、この家に関心を持った人たち10人と家賃を共同負担するようにした。家賃は2万3千円。これを10人で負担したのである。そして、とりあえず、ここで金曜日の朝にコーヒーを提供することを考える。そこには、公務員と社会人の交わる場所をつくりたいという気持ちがあったのと、コーヒーを淹れるのが上手かったということもあるだろうと知人は推察する。公務員なのでコーヒー代は受け取らず、物々交換とした。これが「朝カフェでバカンス」という企画である。
この企画は地元の新聞やテレビで紹介されたこともあり、多くの人が参加するようになる。しかし、森満氏は諸事情から続けることが難しくなり、一年後に、常連となっていた現代表である加治屋氏が引き継ぐこととなる。加治屋氏がなぜ、そこを引き継いだのか。ここに来る前までの彼女は、会社と家の往復だけの生活に疲れていて、テレビでこの場所を知り、訪れた。そこは「おはよう、いってらっしゃい」の言葉が聞こえる場所であり、自分にとって大切な場所となった。その大切な場所を守っていきたい、というのがここを引き継いだ理由だそうだ。加治屋氏になってからは13人のオーナーで運営しているが、未払いはないそうだ。13人のうちコアのメンバーはおよそ7人。出入りは少なくて、一年に一人いるかどうかぐらいだそうである。
現在は、水曜日の朝と昼、金曜日の朝、日曜日に定期的なイベントが開催されている。水曜日の朝は「新聞でおはようバカンス」。水曜日の昼は「フリー・コーヒー」。そして、金曜日は前述した「朝カフェでバカンス」、土曜日は月一度だけだがカレー、日曜日は「ひだまりカフェ」である。これら以外でも、コロナ以前はバカンス・デーというイベントを開催していた。映画を上映したり、サイレント・ディスコをしたり、サンマを焼いたり、バーベキューをしたり、フリーかき氷、フリーそうめんなどのイベントをしていたのである。
水曜日の昼と日曜日にカフェをしているのは、谷川氏である。谷川氏は近くにあるかごしま市民福祉プラザで水曜日の午後に仕事をしており、その前に、このバカンスに来てコーヒーを飲むことが習慣となる。しかし、それまでフリーコーヒーを提供していた人が辞めるということで、その人からコーヒーの淹れ方を習い、自分がフリー・コーヒーの伝統は引き継ごうと決意する。谷川氏はNPO法人「ルネスかごしま」の代表を務めている。そこで不登校、生活困窮、精神疾患などの人たちにコミュニケーションの場所を提供する「日だまりカフェ」を運営しているのだが、それを日曜日(10時〜13時30分)と水曜日(11時〜15時)は「バカンス」でやることにしたのだ。谷川氏が始めたのは2020年の1月からである。コーヒーを介して、バカンスを介して、人に繋がりができることを素直に楽しめているそうだ。
そこは、狭い路地ゆえに「再建築不可」の空き家がつくりだした、奇跡的なパブリックな場所である。
キーワード:
コミュニティ・スペース,空き家再生,コミュニティ活性化
名山町の「バカンス」の基本情報:
- 国/地域:日本
- 州/県:鹿児島県
- 市町村:鹿児島市
- 事業主体:加治屋紗代を代表とする共同オーナー・グループ
- 事業主体の分類:個人
- デザイナー、プランナー:加治屋紗代、森満誠也、谷川勝彦 等
- 開業年:2018年
ロケーション:
都市の鍼治療としてのポイント:
都市の役割は大きく、生産機能と消費機能とがあるが、都市への愛着(シビック・プライド)をつくりだすのは自分がその都市のメンバーであることを認識させてくれるようなパブリックな機会である。しかし、そのような機会が都市から失われている。消費機能を通じてもコミュニケーションは図れるが、現在は消費のマクドナリゼーション化が進み、消費機会も画一化、マス化していき、そこにパブリック性を見出すことは難しい。一方の生産機能も生産者のサラリーマン化が進み、仕事によって都市との関係性を見出し、他者との共感を得ることが難しくなっている。そして、その二極を往復している生活を続けていると徐々に人間は疲弊していく。現代表の加治屋氏が「会社と家の往復だけの生活に疲れていて、テレビでこの場所を知り、訪れ」、そこで人と繋がることで喜びを見出したとの発言は、バカンスのような場の都市における重要性を見事に指摘している。
そして、そのような場がつくられたのが名山町という点は興味深い。名山町は港のそばにできた町でお堀もあり、衣類関係の問屋が立地して栄えた。ただし、道が狭すぎて、再開発計画ができず、バカンスのような小さい町家が連なっている。結果、市場価値がゼロと不動産関係者からは評価され、市場経済から守られているような地区なのである。谷川氏がコンサルタントをしている人たちにも市場経済は優しくない。「私が行っているフリー・コーヒーに来る人は元引きこもりだったり、鬱だったりもする。ここは、次のステージに行くための休憩所」と谷川氏は言う。そのような中、バカンスがあることで、そこに来て元気をもらって他に移行するきっかけとなれるかもしれない。そういう人たちは、誰とも話さないけど、ずっと来ていたりする。そういう意味では、ここが開いていることの意味がある、と谷川氏は言う。ある意味では市場経済で動いている都市におけるシェルターのような場所。そして、それはほとんどの人が必要とするものなのである。
さて、しかし、気になる点もなくはない。というのは市場価値がゼロと捉えられていた名山町が最近ではお洒落であると捉えられつつある。その結果、家賃が上がりつつあるのだ。いわゆるジェントリフィケーションが起きている。このお洒落感の創出にバカンスがあったとしたら皮肉である。人口が減少していたライプツィヒの都心地区や、ニューヨークのジャクソン・ハイツなどでも見られたジェントリフィケーション的な動きが、ここ名山町でもその萌芽が見られるのは悩ましい。
とはいえ、空き家がこのようなサード・プレイス的な場所に転じているのは、多くの人にとって都市で生活する喜びを再確認させる契機となっているだろう。そこはシビック・プライドを醸成するような空間でもあるし、また人々をネットワーク化することで、社会化させる力を有している。そのような場所の力は、谷川氏がフォローする人々にとっても、優しく後押しすることに繋がるであろう。人々を支え、励ますような力を持った素敵な「都市の鍼治療」であると考察できる。
【取材協力】
加治屋紗代(バカンス代表)
谷川勝彦
武田律子
【参考ホームページ】
ソトコト・オンライン
https://sotokoto-online.jp/diversity/1032
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