293 ロックバー『マザー』(日本)

293 ロックバー『マザー』

293 ロックバー『マザー』
293 ロックバー『マザー』
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293 ロックバー『マザー』
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293 ロックバー『マザー』

ストーリー:

 ロック・バー「マザー」は下北沢の南口商店街の南端、駅から5分ほど歩いたところにある。まさに商店街の縁にあり、住宅地と商業地の境目のようなところに位置する。1972年に開業し、店の場所は何回か変わったが、一貫して下北沢でロック・バーを開業してきた。
『ロンリー・プラネット(Lonely Planet)』という『地球の歩き方』の英語版のようなガイドブックがある。これの「日本ガイド」に下北沢のページでは、お勧めのバーが2軒紹介されているのだが、そのうちの一つが「マザー」である。下北沢には駅から半径500メートル以内におよそ180軒のバーがあるが、その中から「マザー」は外国人の編集者によってお勧めの店として選ばれているのだ。
 現在でこそ、ロック・バーはそこそこ存在している。しかし、そもそもロック・ミュージックの歴史は浅く、しかもそれが市民権を得るようになったのはビートルズやローリング・ストーンズが出てきてからであろう。レッド・ツェッペリンもディープ・パープルも、イーグルスもドゥービー・ブラザースも、デビッド・ボウイも皆、1970年代に台頭し、活躍をしたのである。必然的にロック・バーの歴史も浅いものとなる。
 日本で最初のロック・バーはおそらく、平野悠氏が1971年に千歳烏山にて開業した「烏山ロフト」であると言われている(『散歩の達人』のウェブサイト。2021.11.24)。平野氏はその後、ロフトを都内の各地で展開していき、下北沢でも1975年に下北沢ロフト、1991年にはライブハウス「下北沢シェルター」を開業するなどして、音楽の街「下北沢」をつくるうえで大きく貢献するが、下北沢で最初のロック・バーと呼べる店は「マザー」であると推察される。開業、1972年。ただ、当時24歳であった店主である山崎千鶴子氏は開業をするうえでは、そのような意識はなかった。

「学生運動をやったりしていたので、普通の会社には入れないな、自分で起業しないとやっていけないなと思っていた。そして、仲がよかったので妹と一緒にやろうよ、という感じで始めた。当時、蓄えがなかったが、母もそういうことだったらお金を貸すよと言ってくれた。別に儲けようとかも考えていなかった。食い物屋だったら、食い物もあるし、飲み物はあるので生きてはいけるだろうぐらいに考えていた。」

 そして、ロック・バーへの転進は常連客の影響を受けたからだと言う。

「ジャズが好きだったけど、ロックに目覚めた。持っているレコードも少なかったけど、レコードをもらうような形で店でかけるようになった。キング・クリムゾンの『クリムゾン・キングの宮殿』、オールマン・ブラザース・バンドの『イート・ザ・ピーチ』などをよくかけた。イージー・リスニングは嫌いでかけなかった。常連は学生。その子達が音楽をよく知っていて、レコードを持ってきていた。」

 最初に開業したのは下北沢の北側にある一番街であったが、1985年に東商店街の場所に移り、現在の南口商店街の坂を降りたところに移ったのは1991年である。その店名はジョン・レノンの曲から取っているが、開業資金を出してくれた母親への感謝の気持ちが含まれている。
 前述した『ロンリー・プラネット』に紹介されたことから分かるように、「マザ−」は下北沢のバーの象徴的存在である。これは下北沢という街がサブ・カルチャーのメッカであり、特にライブハウスが多く、ロック音楽との関係性が高いことから、「マザー」のようなロック・バーが極めて街にしっくりくるからだろう。「下北沢ロフト」や「下北沢屋根裏」などのライブハウスは、多くのミュージシャンを育てることに貢献したが、バーである「マザー」でも、ここでの飲み会でバンドが結成されたという事例もいくつかある。その代表的なバンドは「ジャガタラ」であろう。マザーの常連客同士で結成された。この事実をとっても、ここが人を結びつける空間としての役割を担っていることが理解できる。
 2022年で「マザー」は開業50周年を迎えた。ロック・バーという極めて下北沢的なジャンルのお店を50年以上も経営してきたのだ。この歴史の長さが、この店が下北沢という街がその個性を形成するうえで重要な役割を担ってきたことを推察させる。お店と街の幸せな関係性がうかがえる興味深い事例である。

キーワード:

バー,レストラン,アイデンティティ

ロックバー『マザー』の基本情報:

  • 国/地域:日本
  • 州/県:東京都
  • 市町村:世田谷区
  • 事業主体:山崎千寿子
  • 事業主体の分類:個人
  • デザイナー、プランナー:山崎千寿子
  • 開業年:1972

ロケーション:

都市の鍼治療としてのポイント:

 ジャイメ・レルネル氏の著書『都市の鍼治療』の39節で、レルネル氏は「都市の鍼治療」としてのバーの働きを述べている。バーは「お互い助け合うこと、安らぎの感覚、明瞭なる心」をもたらすと書いており、「素晴らしいバーのカウンター」があることは都市において大切であると述べている。  
 極めて私事であるが、『都市の鍼治療』を邦訳して以来、都市の魅力をつくる飲み屋の魅力、都市とお酒の関係を考察してきた。そして、あちらこちらで吞み散らかして、もう20年近くも経ってしまった。
 そして、その過程で飲み屋の魅力は、そこに集まる人であることが分かってきた。いやいや、お酒が美味しくなくては駄目でしょう、つまみの食事が美味くなくては駄目でしょう、という意見もあるかもしれない。そういう考えは、それなりに説得力があるし、私も否定するつもりはない。しかし、都市において、それが「鍼治療」のように都市に魅力を与えるような働きをする時は、その場所が多彩なる人を集め、人と人との間に化学反応を起こす触媒としての役割を果たした時である。そして、そのような場所において、お酒というのは、そのお店に行くための口実にしか過ぎなくなる。いや、お酒が美味しかったり、食事が美味しかったりすると、行くインセンティブは高まる。ただ、それはあくまでも脇役である。
 東京で魅力のある町を尋ねられた時、下北沢と回答する人は多いかと思う。私も下北沢が最も魅力ある町だと答える。もちろん、東京のすべての町を訪れたことはないので、あくまでも自分が経験した町の範囲でだが、東京で吞む時はもう8割以上は下北沢で吞んでいるので、他の町を知る機会を失っているともいえる。さて、それでは下北沢の飲み屋(バー)を随分と知っているかと思われるかもしれないが、基本、3軒にしか行かない。この3軒をぐるぐるとローテーションで回しているのだ。どうして、その3軒なのかというと、そこの店主が魅力的であるからだ。要するにお酒を飲むというよりかは店主に会いにいっているのだ。そして、これらのお店の店主に会いに行くのは私だけではなく、半分ぐらいのお客がそれを目的としている。そういう考えを共有する客同士は、初めて会っても話が弾む場合が多い。そこで、何か化学反応が起きると、何か面白いことが展開する(バンドが結成する)可能性だってあるのだ。
 ここで紹介するマザーもその3軒のうちの1軒である。下北沢のどこが、他の町と違うのか?と言われたら、この「マザー」というロック・バーが存在しているからだと私であれば答える。もちろん、それ以外にも駅周辺に自動車が通れるような道路がなく、信号機も駅周りにはなく、歩行者が酔っ払っても安心して歩けることや、小さな箱のライブハウスがたくさんあること、なども理由として挙げられるかもしれないが、魅力的な店主の飲み屋が幾つもある、というのが大きな違いであるかと思う。もちろん、吉祥寺や高円寺、赤羽などにも、私が知らないだけで、そういうお店はあるだろう。重要なことは、自分の好きな飲み屋を探して、常連となることだ。常連となると、それまで見えなかったことが見えてくる。そして、そのような常連の店を持つ人が多くいる都市は、必然的に魅力を増す。なぜなら、常連の店を持っている人は幸福だからだ。匿名性が都市の魅力であることは間違いないが、匿名性は「お互い助け合うこと、安らぎの感覚、明瞭なる心」をもたらしてくれない。良質なバーは、レルネル氏が指摘するように「お互い助け合うこと、安らぎの感覚、明瞭なる心」を提供してくれるのだ。バーのチェーン店は存在しない。それは、「個」を確信的に消しているチェーン店はレルネル氏が評価する上記の点を提供することができないからだ。
 そして、このアンチ匿名性の魅力をロック・バー「マザー」は見事に具現化させている。それは店主である山崎千鶴子氏の個の魅力に負うところは大きいが、娘の春奈さんが店を継ぎ、従来とは異なる新しい個の魅力をつくりだしている。また、「マザー」が他の店と一線を画すのは、その革新性である。そもそもロック・バーなるコンセプトが当時は新しかった。ロック音楽という爆音でないと楽しめない音楽は、下北沢周辺のアパートに住む若者が家で楽しめるものではなかった。またレコードもそうそう買えるほど安くはなかった。ロック・バーというのは、まさにロックという音楽が普及した時代において求められるものであったのだ。そして、50年前にロック・バーを24歳のうら若き女性が経営していたのである。
 江弘毅氏がその著書『「街的」ということ』(講談社現代新書)で、情報化、カテゴライズ化されている街に対する違和感、消費のランドスケープとして街を捉えるようにすることが、いかに街の理解を遠ざけるか、街を楽しむ作法から離れていくのか、ということを指摘している。そして、街は消費する対象ではなく、街にいかに受け入れられるかを考えて、自分を街の仕様に合わせることこそ、街を楽しむポイントである、と述べている。「マザー」も店が客を選んでいるというところがある。そこは、ちょっとした修行の場のような雰囲気があり、それは、客を一人の個人として捉えて、真剣に接客しようと考えていることでもある。
 江弘毅氏は、同書で魅力ある街は「何かやろう」という人が前触れなく突然出てきて、「自分でつくった店」を出す、そこで「自分が好きなもの」をつくったり見つけてきたりして、「自分で流行させ」、そしてそのような店が集積することでつくられる、と言及する。「マザー」はまさに、下北沢という魅力をつくっているお店であり、このようなお店が多くあることが下北沢を東京においても特別な都市としているのである。

【取材協力】
山崎千鶴子氏(マザー店主)

【参考資料】
「線路と街」ウェブサイト:https://note.com/senro_to_machi/n/n4828d7e0e57a
「散歩の達人」ウェブサイト:https://san-tatsu.jp/collects/136718/
江弘毅(2006)『「街的」ということ』(講談社現代新書)

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・ かとりや、溝口(川崎市、神奈川県)
・ ネヴァーネヴァーランド、下北沢(世田谷区、東京都)
・ ヒューベルス・ブラウエライ、ドルトムント(ドイツ)
・ ウエリゲ・ブラウエライ、デュッセルドルフ(ドイツ)
・ ハモニカ横丁、吉祥寺(武蔵野市、東京都)
・ レディ・ジェーン、下北沢(世田谷区、東京都)
・ ピンク・キャデラック、蕨市(埼玉県)
・ 清水、神宮丸太橋(京都市、京都府)
・ 草庵、中京区(京都市、京都府)