218 松應寺横丁にぎわいプロジェクト(日本)
ストーリー:
岡崎市にある松應寺横丁は、岡崎城から北に1キロメートルほどいったところにある。松應寺は徳川家康が父松平広忠の菩提のために1560年に創建した由緒あるお寺である。戦後、周辺は花街として発展するが、近年は建物の老朽化、空き家の増加、さらには住民の高齢化が進んだ。この問題に取り組むために、「NPO法人岡崎まち育てセンターりた」と住民が松應寺横丁プロジェクトを2011年から始める。これは、空き家問題、高齢者問題といった横丁の課題を、調査を通じて明らかにし、それへの対策を実施することを目的とした。
空き家問題への対策としては、空き家を利活用する方策を遂行する。そして、地域活力拠点「松本なかみせ亭」を整備・運営した。これをきっかけとして、他の空き家のマッチング事業も行い、小売店や食堂のテナント、コミュニティ施設が入り、横丁に賑わいが創出されるようになっている。高齢者問題への対策としては、買物難民という問題を解消することと安否確認を兼ねて、一週間に一度、弁当屋を開店することにした。さらには、以前は強かったコミュニティの紐帯を再び強化するために、縁日を再開させることにした。この縁日は「松應寺横丁にぎわい市」と呼ばれ、2011年から年四回開催され、平均来場者数は1,500名にも及ぶ。また、この横丁の魅力を発信するために2013年からは瓦版も発行している。
松應寺横丁には、戦後の闇市発祥の商店街と木造のアーケード、狭隘な路地が残っており、それらが昭和30年代のレトロな雰囲気を醸しだし、訪れる人々に強烈な郷愁を誘う。しかし、同プロジェクトが開始される前は、ここはもはや崩れかける寸前のような状態であった。それを、地元のNPOが住民と丁寧なコミュニケーションを重ねることで、その問題をテキスト化し、人々に共通した問題意識を持たせることに成功した。そして、その問題意識をベースに、ここに賑わいをもたらすことを通じて、その価値を保全するように心がけたのである。
この松應寺横丁での成功は、岡崎市の「地域を元気にするために地域資源を活用する」まちづくりのトリガーとなり、以降、岡崎市は「乙川リバーフロント地区整備」など市民と共同するまちづくりをさらに進めていくことになる。
キーワード:
歴史的建造物, 路地, NPO, 市民参加
松應寺横丁にぎわいプロジェクトの基本情報:
- 国/地域:日本
- 州/県:愛知県
- 市町村:岡崎市
- 事業主体:松應寺横丁まちづくり協議会
- 事業主体の分類:市民団体
- デザイナー、プランナー:天野裕(NPO法人岡崎まち育てセンター・りた)
- 開業年:2011
ロケーション:
都市の鍼治療としてのポイント:
岡崎の松應寺横丁が維持されるうえでは、NPOの組織、特に現在事務局長を務めている天野裕氏の果たした役割が大きい。天野氏は1999年に発足した岡崎CDC(Community Design Corporation)研究会に参加し、その後、その研究会をベースに2006年に設立したNPO法人岡崎まち育てセンターに2007年から所属する。
このようなNPO組織が必要となっている背景としては、市民と行政が円滑にコミュニケーションを図れていない状況がある。一方で、行政側も市民の力を借りないと、事業が進まないと考える職員も出始めてきた。市民と行政はある意味で水と油のようなところがあるが、それをブリッジできる人材が求められるようになってきた。天野氏はCDCなどでまちづくりに関わったり、市の若手職員の勉強会などに出席したりしているうちに、そのような仲介役としての役割を期待されるようになった。
そのように岡崎市のまちづくりに関わるようになってしばらく経った2011年頃、天野氏は松應寺横丁を知る。当時は地元でも知られていないような路地空間であった。戦後のヒューマン・スケールのレトロ感溢れる異界のような空間。
2010年頃から、市民参加がしきりと行われるようになる。ただ、これも義務のようになると、だんだんとアリバイのようになってくる。市民の意見を聞くといっても、それを行政がどのように事業に反映させるかが見えなくなってきた。行政が準備したフィールドでないと市民参加で出てきた声が具体化されない。天野氏は自分達からも何か仕掛けられないか、と考えた時にこの松應寺横丁に出会う。
その空間に魅了された天野氏は、近くの喫茶店に通い、情報を収集していると、松應寺の住職とも知りあい、空き家が増え、賑わいがなくなった昔の花街を再生したいという天野氏の思いに共感してくれた。そのような中、自治会長、地元の市議会議員がキャスティングをしてくれ、松應寺横丁プロジェクトが発足した。よそものとして勝手に入っても相手にしてくれなかった筈で、これら地元の人達の支援がなければプロジェクトは成立できなかったであろうと天野氏は指摘する。また、花街としての歴史があったので外に対しても寛容という風土も、このようなプロジェクトができた要因であろうと考察する。
さらに、天野氏は、そこの住民になるという市民参加的には最強のカードを切って、地域の信頼を勝ち得る。最初に全住民のアンケート調査を実施した。それは、よそ者の提案でことが動くことになると反発が起きるのは必至であると考えたからだ。
そこではこの地域の問題として、空き家の増加、高齢者の増加、買物が不便ということが浮き彫りとなる。この3つの問題にプロジェクトは対処することにした。
空き家問題は、個人の財産の問題だがコミュニティの問題でもある。そこで、空き家の地権者の調査を行った。30軒のうち半分が空き家で所有者が分からない。地元の人が調査をし、1年間かけて全部の空き家の所有者が判明した。
また、この地域はお祭りを核とした、しっかりとしたコミュニティが形成されていた。それを復活させようということで、縁日をすることにした。これが、2011年から始まった「松應寺横丁にぎわい市」である。初回は1,000人ぐらいが来たが、その半年後に開催した時は1,500人も訪れた。このにぎわい市の成功に気をよくし、空き家をつかった、日常的に開いているような店をつくろう、ということで「なかみせ亭」がつくられることになった。天野氏の奥様も空き家の一軒を借りて、着物屋を開業した。
そうした中、2013年に開催されたあいちトリエンナーレの会場にもなる。トリエンナーレの期間中は何万人の人が訪れた。また、トリエンナーレで使われた空き家を使いたいという若者も増えてきた。現在は、商店街組合が借りてまた貸しをし、出店希望者がいたら面接をして投票をして決めるようにしている。ただ、家賃は本当に安いが、イニシャル・コストに100万円はかけないと使えたものではないので、そこがハードルとなっている。19軒あった空き家のうち、14軒が活用された。現時点でアクティブな店舗は10軒である。
高齢者の問題に関しては、高齢者のケアを考える会議を発足させて、独居老人に困り事を聞いた。その結果、買物が不便であることが判明した。そのため、会員制のお弁当屋を開設することにした。週に一回だけ開けるお弁当屋さんであり、独居人に会員になってもらい、毎週、同じ時間に買いに来てもらうようにした。そのお店が井戸端会議の場になり社会とのコミュニケーションを図れるようにして、この時に連絡なしに来なかったら、安否確認をするようにした。売る方も拘束時間が少ないので負担が軽い。
空き家問題、高齢者問題、コミュニティの再生といった、この地区の社会経済的課題に取り組みつつ、昭和30年代的なレトロで絶滅危惧種的な都市空間を維持し、次代にうまい形で残していくのは、都市計画行政の新たなテーマになるのではないかと考えられる。それまでは、このような都市空間を防災上、自動車交通などの理由で次々と破壊してきた都市計画行政ではあるが、その方針を大きく180度転回させる必要性さえ訴えるような貴重な都市空間であるとの印象を受ける。そして、そのような都市空間が現在でもしっかりと残っている背景には、天野氏を始めとした地元の人達の我慢強い活動の積み重ねがある。
【参考資料】国土交通省の流域圏担い手づくり事例集のHP
(http://www.cbr.mlit.go.jp/toyohashi/kaigi/yahagigawa/ryuiki-kondan/img/5_017_npookazaki.pdf)
『造景』(2020)「日本列島まちづくり-松應寺横丁」(天野裕)
【取材協力】
天野裕氏、三矢勝司氏(NPO法人岡崎まち育てセンターりた)
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