338 メルカテッロのソリダリティ(結束)(イタリア共和国)
ストーリー:
メルカテッロはイタリアのマルケ州の西端に位置する人口約1,300人(2024年)の小さなまちである。周辺は山々に囲まれた谷間に発展したまちで、イタリアの「最も美しい村」のうちの一つである。その主要産業は農業。その正式名称はメルカテッロ・スル・メタウロだ。
その歴史は古く、紀元前12世紀からウンブリ人がここに住み着いた。その後、ローマ人に侵略され、その時に随分と破壊されたが、6世紀にランゴバルド人によって再建される。1235年には城壁のある自治コムーネとなり、1437年にはウルビーノ公国の領土、1636年には教皇領になる。18世紀の教皇領時代に宗教・文化的建物は、バロック・スタイルの影響を強く受け、それらの建物の多くは今でもメルカテッロに残されている。この時期、この町は農産物の交易の拠点でもあった。19世紀にはナポレオンの侵略を受けるが、この町はそれほど影響を受けなかった。しかし、1861年にイタリア王国が建国されると行政・政治システムは大きく変更され、メルカテッロを始めとした多くの町は大きな影響を受ける。また、この頃、交通網が発達したことで周辺大都市へのアクセスが容易になり、それ以来、大都市からの影響を強く受けるようになった。20世紀になるとメルカテッロも近代化の影響を受け、第二次世界大戦後には道路や上下水道などの社会基盤が整理され、周辺の町とのネットワークも強化され、工業も発展していった。現在のメルカテッロは、中世につくられた街並み、そして教会をはじめとした歴史的建築物の豊かさと周辺の自然の美しさで知られ、観光客も多く訪れている。メルカテッロは人口1,322人という小規模な町であるにも関わらず、コミュニティの結び付きが維持されており、そのアイデンティティを素直に打ち出した媚びない観光マーケティングがオーセンティックなイタリアの町を体験したい観光客を引き寄せている。
ただし、このような町はイタリアに多くある。そのような中、「都市の鍼治療」として、メルカテッロに注目したのは、この町に日本人の建築家が住んでいるからである。彼の名前は井口勝文(いのくちよしふみ)。大学を卒業後、株式会社竹中工務店に入社し、関西を中心に都市開発を手がけ、同工務店を退職した後は、京都造形藝術大学(現京都藝術大学)で都市デザインを教える。竹中工務店時代にイタリアのフィレンツェ大学に留学し、1993年にはメルカテッロの廃屋となった伝統的な町家を購入して、改修する。一年の半分をメルカテッロで過ごすという生活を送り、メルカテッロの豊かな暮らしを『メルカテッロの暮らし』(2017年)、『イタリアの小さな町 暮らしと風景 地方が元気になるまちづくり』(2021年)などの書籍や雑誌記事、インターネット記事等で発表する。その結果、私を含めた日本人はイタリアの小さな町に暮らす人達が、大都会とは違った豊かさを享受し、日々を楽しんでいることを理解することができるのだ。
その豊かさのポイントは、町の人々の結び付き(ソリダリティ)が極めて重要な役割を担っていることにある。そして、この結び付きを維持し、強化する空間が街中に溢れている。それは、広場的に使われる街路を含む公共空間である。これらの「公共」的な価値を皆が共有することで、場所だけでなく時間をも共に過ごすことになる。実際、街路や広場はオープン・カフェだらけで、人口1,300人の町とは思えないほど人々が公共空間に溢れている。それらの人々は高齢者だけでなく、若者達もいて、まさに老若男女で溢れているのだ。カフェのテーブルに座って、喧喧諤諤と政治談義をしている中高年のグループがあるかと思えば、恋バナに盛り上がる若い女の子のグループ達もいる。そこにみられるのは活発なコミュニケーションである。コミュニケーションによって、街のコミュニティ力が高まり、結果、街が直面する課題やチャンスなどに対して、皆でスクラムを組んで取り組むことができるようになる。
井口氏は2016年の取材ウェブ記事で次のように述べている。
「人口1,300人というと、日本ではかなりの田舎ですよね。たしかにここも田舎なんですが、日本と比べると雰囲気は全くちがいます。建物のつくりがちがうというだけではありません。建物が密集し、路地は石畳、そして中心に広場がある。周囲には畑や山が広がっているんですが、建物が中心にぎゅっと凝縮しているので‟ひとが少ない田舎の村”とは感じません。独立した立派なまちなんです。そしてひとつひとつの家に庭があるのではなく、広場が共有の庭になっています。その周りにはバールという喫茶店や、教会、美術館もあって、みんなが集まってくる。だから住民同士の交流も盛んです。」
メルカテッロは1981年には1,589人いた町民が、現在(2024年)は1,322人にまで減少している。40年間で20%の人口減少率は日本の地方自治体と比較しても、なかなかの数字である。高齢化も進んでおり、65歳以上人口が30%ほどを占める。しかし、この町が、増田寛也氏が指摘するような「消滅自治体」になるとは到底、思えない。なぜなら、この町はコミュニティとしてしっかりと機能しているからだ。そして、井口勝文氏のような日本人をしっかりとコミュニティの一員として受け入れる抱擁性と、そのような人材を有効に町の戦力として位置づける懸命さと戦略性を有している。井口氏を通じてメルカテッロで会った人々も、一度は大学、そして仕事のためにメルカテッロを去ったが、その後に戻ってきたような場合が多かった。これだけの紐帯を共有していれば、町が既にそれぞれの町民のアイデンティティの重要な要素となっているであろう。そのような町は、大学や仕事で一度離れたとしても、再び引き戻す高い吸引力を有していると考えられる。
井口氏はメルカテッロで生活するということは風景を共有することでもある、と指摘する。前述した取材ウェブ記事で次のように述べている。
「日本の田舎は、道が全てアスファルト、用水路はコンクリートで固められています。メルカテッロの中心部は石畳ですし、自然のままの川や舗装されていない山道もある。定期的に整備が必要で、不便な面もありますが、この方がいいと住民が思っているんです。これは美意識のちがいだと思います。広場でパーティーをやると、蝶ネクタイをつけたひとがカッコつけてサービスしてくれる。洗濯物の干しかたひとつとっても、はっきりした美意識が感じられます。メルカテッロは、そうした住民ひとりひとりがつくりだすまちの風景が美しい。そしてここで暮らしているひとたちも、実に生き生きとしています。」
場所と時間を共有することが、人々の風景への共有に繋がる。風景を共有している人達が住むコミュニティが「消滅」することは、ちょっと考えられない。
キーワード:
コミュニティ,オープン・カフェ,歩行者空間,広場,ネットワーク
メルカテッロのソリダリティ(結束)の基本情報:
- 国/地域:イタリア共和国
- 州/県:マルケ州
- 市町村:メルカテッロ
- 事業主体:メルカテッロ町民
- 事業主体の分類:市民団体
- デザイナー、プランナー:N/A
- 開業年:N/A
ロケーション:
都市の鍼治療としてのポイント:
レルネル氏はソリダリティという言葉を多く使う。『都市の鍼治療』では「ソリダリティの約束」という章で次のように書いている。
「真摯な共同責任の約束をもってすれば、効果ある都市の鍼治療を実施することが出来るであろう。何十年もの間、我々は不公正な社会の中で生活してきた。そして、都市の最下層を形成する低所得者達を社会の枠外へと追いやってしまった。この問題についての見せかけの調査、セミナー、シンポジウムなどのお役所的仕事に使われた紙を使えば、世界中のスラムを覆うことができるのではないだろうか。(中略)
スラム地区の治安を改善するためには、人々が集まる場所や平坦な場所などにおいて人々の活動が展開するようにすることが基本である。レストラン、商店、照明等を設置することは一つの解決方策であり、スラム地区を一つのコミュニティにするのに貢献するであろう。スラムの丘を上っていき、その地区の一体性を図るような施策を実施することは効果的な都市の鍼治療である。しかし、それは素早くしなくてはならない。社会的分析や調査をしている暇はない。」
誤解がないように述べるが、メルカテッロはスラムでは決してない。ただ、人口が1,300人という小さな町であり、グローバル経済下では「不公正」な状況に置かれており、コミュニティをしっかりと維持していくことが困難な状況に「追いやられている」のは、他の中心からリモートな町と同様である。
しかし、メルカテッロは人口減少という課題に直面していても、レルネル氏が指摘するような都市への鍼治療である「地区の一体性を図るような施策」がしっかりとされていることもあり、そのような課題への抵抗力は強いものがあると考えられる。
メルカテッロの町民達の強みは「共有」していることである、ということを日本人である我々が知り得たのは、そこに井口勝文という日本人がメルカテッロを紹介してくれたからである。井口氏はメルカテッロにある歴史ある廃屋町家を購入し、それを17年かけて再生させ、そこに住み、生活をするようになった。井口氏は短期間の表面的な視察、滞在では決して得られないような生活者、建築家そして出資者としての視点からイタリアの実態を紹介してきた。また、彼がメルカテッロに滞在していることから、私を含む多くの日本人がここを訪れることになった。私も井口氏がいなければ、メルカテッロという名前も知らず、そして、そこを訪れるようなこともない人生を送っていたであろう。
井口氏という「鍼」がメルカテッロに「刺さってくれた」ことで、我々はイタリアの小規模な町の持続性の背景を知ることができたのである。彼自信は鍼治療ではないかもしれないが、彼によってメルカテッロの魅力の源泉であるソリダリティという「治療法」を知ることになった、ということで、これを「都市の鍼治療」の事例の一つとして紹介したい。
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