251 杭瀬中市場の再生(日本)
ストーリー:
尼崎市の南東端に位置する杭瀬。阪神電鉄に乗って梅田から6駅。県境の左門殿川を越えたすぐのところにある杭瀬はかつては兵庫の東の入り口として昭和初期は随分と栄えていた。国道沿いには映画館やダンスホールが並び、戦前に形成された商店街や市場がそのままの場所に残され、繁栄していた。杭瀬市場は杭瀬駅から北に約300メートルのところにある。正確には6つの商店街と3つの市場から構成されている。今回、取り上げるのは、その中の「杭瀬中市場」である。
杭瀬中市場は南北約40メートルほどの通りに約40店が営業していたが、高齢化や後継者不足などで15店ほどにまで減ったシャッター商店街のような状況になっていた。しかし、2019年から2020年にかけて「空き店舗ツアー」を実施したりしたところ、空き店舗を改装したイベントスペースや飲食店などの3店ほどの新規出店が相次ぎ、若者が訪れるようになる。そのような中、杭瀬中市場で2020年7月3日、飲食店など6軒が焼失した火災が起きた。その春先に開業したばかりのカフェバーから出火し、豆腐店やスーパーなど隣接する5軒に延焼した。カフェバーの隣の建物の二階からは一人暮らしをしていたと思われる高齢男性の遺体が発見された(朝日新聞、2020年8月4日)。
アーケードの一部が焼け落ち、電気設備も被害を受け、照明もつかない状況にあったが、火災二日後からは商店主等は営業を再開した。市場の存続に関わる大ピンチに直面して、後退するのではなく前進をすることを選択したのである。そして、市場内でイベントスペースを運営する若者は、その復興資金をクラウド・ファンディングで集めることを企画し、実践する。目標額は200万円。これに関しては残念ながら目標額には到達できなかったが、市場を元通りの姿に戻していくため商店街は動き始める。
そのうちの一つが2021年の春に開業した「二号店」である。ロッキングチェアが店の前になぜか置かれている。この店は、商店主たちが「市場再生のともしび」となって欲しいと考え、誘致をした「古本屋」である。「二号店」といっても、一号店がある訳ではない。いや、正確には市場外の幾つかの古本屋がここに本を置いていることもあるので、二号店と言えなくもない。しかし、じゃあ本店はどこ?と聞かれても即座には答えられないような二号店である。ビジネス・モデル的には、本を持ち込む出店者が売り上げの2割を店番に入れるという仕組みだ。店番は近所の主婦や若者、大学教員等がシフトを組んで務めている。現在、その数は約30組だそうだ。
このようなユニークなお店が開業する商店街の底力。これを、火災を契機としている火事場の馬鹿力的な現象であると捉えると、実態を読み誤る。むしろ、火災という大ピンチにもへこたれないだけのコミュニティ力が、火災以前に既に育まれていたということが、尼崎のまちづくりに関わってきた都市コンサルタントであり、杭瀬中市場でも「好吃食堂」を開店した若狭健作氏の取材から明らかとなった。
まず、このコミュニティ力の凄さの背景として挙げなくてはならないと、若狭氏が指摘したのは、「杭瀬アクション・プログラム」である。これは、2014年頃につくられた組織で、「杭瀬のことをする人なら誰でもウェルカム」という極めてオープンな会議であり、酒屋さんが発起人である。商店街組織の難しいところは、やる気ある人とやる気ない人との温度差が激しい。合意形成を図ろうとすると、結局、何も出来なくなってしまい、商店街の沈滞が進んでしまう。「杭瀬アクション・プログラム」は毎月一回、尼崎信用金庫杭瀬支店で夜7時から開催される。基本誰でもウェルカムではあるが、やる気がある人が集まる場でもある。ここでは、新たに杭瀬市場を面白くするような企画がどんどんと出されて、そして実行されている。2014年に空いた店舗を借りて開業(復活)した「市場食堂」、さらには2017年には4月〜9月の第二、第四水曜日に「みんなの杭瀬食堂」として、子供は無料、大人は300円という格安料金でカレーや焼きそば、スパゲッティが食べられるイベントがここで企画され、実行された。2018年には杭瀬のまちにいるプロフェッショナルな人達が習い事を教えてくれる「市場寺小屋」、2019年の3月からは「つまみぐいラリー」といった21の参加店の中から11店舗のつまみぐいメニューを味わうことのできるイベントなども、ここで企画、実行に移された。「amare(あまり)」という集会所のような場所を市場内につくった若者の住まい探しや、アルバイトの面接もここで行ったりもしている。議題がない時は、市場内に欲しいお店をリストアップしたりしている。実際、パン屋がなくなったのでパン屋が欲しい、ということが話題に上ると、誰かがツテを使ってパン屋を呼び込んだりしている。LINEアプリという文明の利器を手に入れた彼らは、迅速な動きが得意。いいと思ったら、すぐ実践に移すことができる。このスピーディーな行動力を獲得していたことと、地元の人達の紐帯がしっかりと構築されていた、ということが、杭瀬中市場の強みであると推察される。
前述した「二号店」に関しても、若狭氏は「みんなで店番をするといった共通体験をつくること」の意義を指摘する。それは、まさにサード・プレイスであり、本があるというより、店番の人がいるから遊びにくるといった使い方がされているそうだ。若狭氏自身も「二号店」の前にある「好吃食堂」というカウンターの台湾料理屋のオーナーをしているが、「市場のおいしいものを知って欲しい」と、食材はほぼ近所の店で調達している。ちょっとした、杭瀬中市場のアンテナ・ショップとしての役割も担っている。
杭瀬中市場には、ユーチューバーとして市場の最新ネタを発信している中年男性がいる。商店街の副理事であり、市場食堂を運営する石原和明氏である。杭瀬中市場の広報部長という位置づけであり、また、「好吃食堂」と同様に、市場の横の繋がりを強化させるために、この食堂の食材も市場内から調達されている。火事の後、石原氏を中心に毎晩、瓦礫の処理をした。その時は、市場と関係ない人までが集まって、協力し合ったそうだ。石原氏は、雑誌「ミーツ・リージョナル」の取材で「火事でより市場の繋がりが強く」なり、それを機に「市場のみんなを巻き込み、そして自分も巻き込まれた」と述べている。
杭瀬中市場は火災という大ピンチをうまくチャンスへと転回させることに成功したのである。
キーワード:
商店街
杭瀬中市場の再生の基本情報:
- 国/地域:日本
- 州/県:兵庫県
- 市町村:尼崎市
- 事業主体:杭瀬中市場の商店主達
- 事業主体の分類:市民団体 個人
- デザイナー、プランナー:N/A
- 開業年:
- 再開業年:2020
ロケーション:
都市の鍼治療としてのポイント:
市場という場所は都市において特別な「場の力」のようなものが存在する。それは、その地域の地理的、歴史的なストーリーなどを反映させた場であり、センス・オブ・プレイスに溢れた空間である。市場(マーケット)というと、企業がつくるショッピング・センターと同じなのではないか、という指摘があるが、杭瀬市場のような市場は、個店の寄せ集めであり、それに起因する多様性、不確定性がもたらす魅力はショッピング・センターにはみられないものである。そして、杭瀬中市場は、このマーケットの魅力に溢れている。それは、この市場が、これもショッピング・センターが有していない要素であるが、何かを始める機会をふんだんに提供しているからである。それゆえ、ここには「二号店」といった風変わりな古本屋や、市場の食材を使った料理を提供する「好吃食堂」や「市場食堂」、一階が和菓子屋で二階がレコード屋というユニークな店舗ミックスなどが具体化する。それは、市場マーケティングなどではとても出てこない、経営理論や経済理論を越えた現象である。この意外性が訪れる人には驚きを与え、そこで生業をする人達は、その創造性を大いに刺激させられる。
ただし、そこに市場があればどうにかなるという訳でもない、ということが杭瀬中商店街を調べることで浮き彫りになってきた。火事という災害があったから市場のコミュニティの結びつきが強化されたことは間違いないが、それは単に「災い転じて福となす」(お一人が亡くなられた事件を「福となす」と表現することは極めて不適切ではあるが)といった単純に解釈できるようなストーリーでは決してない。それは、その災いに対応できるようなコミュニティがしっかりとそれ以前につくりあげられていたからこそ、その後の迅速な復活に繋がったと捉えるべきであることが理解できた。
地方都市が画一化されていく中、このようなセンス・オブ・プレイス的な地域アイデンティティを発露する市場の重要性はより高まっていく。それをしっかりと保全し、その場所の遺伝子とでも言うべき市場を保全することの重要性、そしてそのコミュニティの紐帯を強化させることの重要性を杭瀬中商店街は我々に改めて伝えてくれる。
【取材協力】若狭健作氏(2021年10月)
【参考文献】
朝日新聞 2020年8月4日
読売新聞 2021年11月30日
「南部再生」(尼崎南部地域の情報誌) 2019年10月号
「Meets Regional」 2021年7月号
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