214 ヴィクトアーリエンマルクト(ドイツ連邦共和国)
ストーリー:
ヴィクトアーリエンマルクトはミュンヘンの中心部にある食料品市場であり、広場でもある。その規模は2.2ヘクタール。140の屋台と店舗が立地している。花屋、果物屋、鶏肉屋、スパイス屋、チーズ屋、魚屋などの小売店に加えて、カフェ、ビアガーデンなどの食堂がここで営業している。
そこで売られているものは、巨大なグローバルな流通システムによって商品が地球上のどこかで確保され、この場所まで運ばれたものとはまったく異なる。それらは、地元で採れた野菜や季節物の果物、チーズ、ソーセージ、蜂蜜、ピクルス、ハーブなどである。野菜や果物が豊かな色彩を演出しているが、それは店舗群も同様である。また、ドーナツ屋やカフェなどに混じって、オクトーバーフェストの本場ミュンヘンであるので、多くのビアガーデンも軒を構えている。ユニークな店舗も多く、2009年にはニューヨーク・タイムスにて料理評論家のミミ・シェラトンは、ヴィクトアーリエンマルクトのソーセージは大西洋を飛行機で渡っていくだけの価値があるとの記事を書いている。
店舗は月曜日から土曜日、午前8時から午後8時まで営業できるが(ビアガーデンは朝の9時から営業できる)、実際は多くの店は午後6時には閉店している。レストランやパン屋は日曜日も営業することができる。ミュンヘンのまさにど真ん中という、交通至便の場所に位置していることもあり、常に多くの人に利用されている。
「ヴィクトアリエン」という言葉はラテン語で「食料」という意味である。ヴィクトアーリエンマルクトは1807年にマクシミリアン1世(バイエルン王)による命令でつくられた市場である。その後、この市場は周辺の建物を壊し、その規模を拡張させていく。
第二次世界大戦に、この市場は随分と被災し、戦後の復興時、市場を閉鎖して、代わりに高層の建物をつくる計画も出た。しかし、市役所は市場を保全し、再生することを決定した。そして、そのために多額の予算を捻出した。
ヴィクトアーリエンマルクトには6つの噴水があるが、これらは皆、ミュンヘンで活躍した芸能人を記念して戦後につくられている。バイエルン出身の女性コメディアンであるイダ・シューマハアー、男性コメディアンのカール・ヴァレンティンなどである。これらは市民の寄附によってつくられている。
ヴィクトアーリエンマルクトは1975年から自動車の通行を排除し、完全に歩行者ゾーンへと移行させた。ただし、ヴィクトアーリエンマルクトで営業するお店に関しては、午前の10時45分までと18時以降(日曜日から金曜日。土曜日は15時以降)は、自動車で入ることができる。このような歩行者ゾーンであることもあり、イベントやちょっとした息抜きのレジャー空間としてはうってつけの場所となっている。実際、この市場では、多くのイベントが開催されており、醸造者の日、庭師の日、アスパラガスの出荷初日、夏祭り、懺悔火曜日(Shrove Tuesday)などを行っている。
2005年には隣接した土地で、それまで駐車場として使われていたところを、それ以前にあった建物を復元する形で鋳鉄のドームのような建築空間がつくられた。この建物はシュランネと言われ、2015年からはイタリアの惣菜屋のチェーン「Eataly」のドイツの最初の店が開業している。
近年は観光客も多く訪れるようになっているが、地元民に親しまれているミュンヘンを象徴するような市場である。
キーワード:
都市観光, 公共空間, 広場, 市場
ヴィクトアーリエンマルクトの基本情報:
- 国/地域:ドイツ連邦共和国
- 州/県:バイエルン州
- 市町村:ミュンヘン市
- 事業主体:Wholesale Market Munich (ミュンヘン市によって運営されている組織)
- 事業主体の分類:自治体
- デザイナー、プランナー:ミュンヘン市
- 開業年:1807
ロケーション:
都市の鍼治療としてのポイント:
ドイツでも最も豊かな都市であるミュンヘン。人口もベルリン、ハンブルグに次いで大きく、バイエルンの州都としてその存在感は強烈なものがある。ただ、それにも関わらず、都心部には高層ビルもなく、生活感溢れる活力に満ちている。地に足がしっかりとついた印象を訪れたものに与える。高層ビルがないのは、都心部において聖母教会より高さが上回る建物を建ててはいけないという暗黙の了解があるからである(市の指針にはなっている)。これによって、都市空間がヒューマン・スケールに抑えられていることがそのような印象を与える大きな理由であるが、もう一つは、都心のど真ん中にこのヴィクトアーリエンマルクトという市場が設置されているからではないかと思われる。
都市において市場というのは、極めて重要な要素である。しかし、東京においての豊洲市場の例のように、それは都市が拡張し、都心部の土地の経済性が高まるにつれ、外部へと移転させられる傾向にある。第二次世界大戦にて都心部が壊滅的に破壊されたミュンヘンにおいても、その都心部のまさに中心に位置するヴィクトアーリエンマルクトも、その土地の経済的なポテンシャルを活かすために、そこに高層ビルを建てる再開発計画の話が出てきた。しかし、ミュンヘン市役所はその計画を却下し、この市場をこの場所で維持することを決定する。
それは敗戦後、経済的にも喘いでいたミュンヘン市にとっては経済面では厳しい決断であったであろうが、長期的にはミュンヘン市にとってはプラスとなった英断であったと考える。ヴィクトアーリエンマルクトがあるミュンヘンの地理的中心である旧市街地は、そこにある高さ100メートルの聖母教会以上の高さの建物を建ててはいけないという不文律があり、現時点でも守られている。いや、実際は守られているどころか、旧市街地以外の地区においても高さ100メートルの建物を建築するハードルがより厳しくなっている。
これは、歴史あるミュンヘン市の旧市街地を開発から守り、本質的な価値を維持して次代に引き継がせるような強い意志があるからだろう。それは、第二次世界大戦で大きく破壊された後でも変わらない。この「都市の鍼治療」の事例でも紹介したミュンスターのプリンツィパル・マルクト(事例075)を彷彿とさせる。
そして、ドイツでも現在、最も経済的に豊かな大都市としてミュンヘンが君臨している状況を考察すると、これはヴィクトアーリエンマルクトをミュンヘンの都心のど真ん中という一等地に維持し、ここに再開発をさせなかったことが大きな理由なのではないかと分析したい自分がいる。再開発は新たな価値を生み出すかもしれないが、ヨーロッパのように都市間競争が極めて激しい地域においては、都市は経済面以外の地域文化の象徴としての価値や、人々が自らとアイデンティファイ(自己同質化)するような価値をも有している。そして、経済以外の価値をしっかりと守っていると、経済的な価値は後からついてくる。現在でも、ヴィクトアーリエンマルクトを再開発しようという思惑が跋扈している。ミュンヘンにおいて、そこは最も開発ポテンシャルの高い都市であり、まさに不動産業者にとっては喉から手が出るほど欲しい土地であるから当然であろう。そのような開発圧力からこの場所を守るために、2013年からはここをユネスコの世界遺産に申請すべきかの議論も始まっている。
ミュンヘン市の戦後におけるヴィクトアーリエンマルクトへの対応、そして、都心部にこのような公共空間を有することの素晴らしさを実感するにつけ、この事例はまさにジャイメ・レルネル氏の「手を加えない」という「都市の鍼治療」の優れた事例ではないかと考察する。
【参考資料】ミュンヘン市役所のホームページ(https://www.muenchen.de/int/en/shopping/markets/viktualienmarkt.html)
類似事例:
005 パイク・プレース・マーケット
017 デービス・ファーマーズ・マーケット
054 ポートベロ・ロード・マーケット
073 ボケリア市場
075 プリンツィパルマルクトの歴史的街並みの再生
142 グランヴィル・アイランド
151 オックスフォード・カバード・マーケット
153 フェスケショルカ
192 ファニュエル・ホール・マーケットプレイス
251 杭瀬中市場の再生
ユニオン・スクエア・ファーマーズ・マーケット、ニューヨーク(ニューヨーク州、アメリカ合衆国)
クリチバ公設市場、クリチバ(ブラジル)
サンパウロ公設市場、サンパウロ(ブラジル)
アルト・マルクト、デュッセルドルフ(ドイツ)
グランド・バザール、イスタンブール(トルコ)
ユニオン・ステーション、セントルイス(ミズーリ州、アメリカ合衆国)