022 パール・ストリート(アメリカ合衆国)
ストーリー:
コロラド州のボルダーの中心市街地に、パール・ストリートという4ブロックに渡る歩行者専用モールがある。ここは、常に人が溢れて賑わっている大変活力のあるモールである。
しかし、パール・ストリートがこのように賑わうようになったのは、1960年代から70年代にかけてボルダー市民の大英断があったからなのである。全米では1960年代から、ナショナル・チェーンの大型店をアンカーテナントとして入れた屋内モールが多く郊外に立地するようになり、多くの都市のダウンタウンは衰退し、息の根を止められつつあった。ボルダーも1960年中頃は御多分に洩れず、中心市街地の中心通りであったパール・ストリートは、空き店舗が半分もあるような閑散とし、見窄らしい状態にあった。
そのような状況を改善するために、ボルダー市民は対応策の検討を開始した。1966年に「中心地域のポテンシャル探求委員会」(後年、「明日のボルダー」と改名)が設立され、ダウンタウンの開発案とそのための資金をどのように獲得するかを検討することになった。ダウンタウンの開発案としては、ショッピング・センター開発の大家であるビクター・グルーエン率いるグルーエン社のものがまず、提示された。これは、駐車場ビルと市庁舎、小さな映画館と劇場からなる市民センター(シビック・センター)、そして歩行者専用モールを新たに整備するという案であった。このグルーエン社の案は大規模な都市改造が伴うために、現実的ではないと却下される。グルーエン社は都心を再開発しなければ、消費税、不動産税などが大幅に下落して、市の財政にマイナスのダメージを与えると指摘したが、市民はこれを無視する。
このグルーエン社の対案が地元の建築家カール・ワージントン氏から出される。これは、ボルダーの中心街であるパール・ストリートの4ブロックから自動車を追い出し、歩行者専用道路にするという斬新なアイデアであった。これを踏まえて1970年には、当時の州知事ジョーン・ラブが公共モール法を制定した。これによって、コロラド州の都市は歩行者専用道路を整備するためにダウンタウンの道路を閉鎖することが許可されるようになり、またそのような事業への財政措置も図られた。
ワージントン氏の精力的な啓蒙活動が功を奏し、また財政面でも「1974年コミュニティ住宅開発法」からの補助金を得て、地主も積極的に出資したため、ボルダー市は1977年8月には中心街であったパール・ストリートから自動車を4ブロックほど排除して、歩行者専用モールとして整備することに成功する。現在のパール・ストリートは路上で生ピアノ演奏をするミュージシャンを始めとして多くの大道芸が行われたり、木陰で読書をする人達や、路上のテーブルでチェスをしたりする人などもいたりして、人々が楽しんでこの公共空間を共有していることが観察できる。
キーワード:
中心市街地再生,地産地消,アイデンティティ,集客施設,商店街
パール・ストリートの基本情報:
- 国/地域:アメリカ合衆国
- 州/県:コロラド州
- 市町村:ボルダー市
- 事業主体:ボルダー市
- 事業主体の分類:自治体
- デザイナー、プランナー:カール・ワージントン
- 開業年:1977
ロケーション:
都市の鍼治療としてのポイント:
パール・ストリートには地方都市における活力のある中心市街地の商店街が保有すべきほとんどの条件を有している。まず、歩行者が安全に快適に歩き回れる。パール・ストリートは散策を楽しむ空間として徹底的にデザインされており、その空間は街路というよりかは公園である。都市デザインが大きな付加価値を生み出すということが理解できる素晴らしい商店街である。もともとは広幅員の目抜き通りを歩行者専用街路としたことで、スケールが大きすぎるという欠点は、花壇を置いたり、植樹したり、ストリート・ファーニチャーを置いたり、噴水を設置したりして、ヒューマン・スケールになるよう工夫している。
また、多くの商店は地元のオーナーにより経営されているので、ナショナル・フランチャイズのチェーンによって経営されるショッピング・センターなどとの差別化を図ることに成功している。ボルダーのパール・ストリートでなくては購入できないという品、ここのレストランでしか食べられないメニューなどが多くある。
ダウンタウンの問題は誰もダウンタウンのそばに住みたがらないことだ。総合計画を考えるうえで、ボルダー市が最も重要視したことは、ダウンタウンのそばに住宅を立地させるようにしたことである。アメリカの多くのダウンタウンは周辺の土地を駐車場や軽工業などに利用してしまうため、夜になると誰もダウンタウンに行く気にならない。それで本来的には素晴らしいポテンシャルを有しているにも関わらず、結果的に、ダウンタウンが死んでしまう。ボルダーでは、そのような状況にならないように努めた。
そして、何より重視したのは都市を自動車から人に取り戻すことである。当時は、歩行者専用道路は非常に少なかったが、都市計画委員会であった前述のワージントン氏が、他の委員に世界の素晴らしい都市デザインの事例を紹介し、人を中心とする都市空間の重要性を理解してもらい、パール・ストリートは実現されたのである。それは街のDNAとでも呼ぶべき街の魂を発露させるという行為でもあった。
多くの知恵と勇気、そして市民が協働することで具体化した素晴らしき「都市の鍼治療」事例であると思われる。
類似事例:
041 エクスヒビション・ロード
058 チャーチストリート・マーケットプレイス
059 サード・ストリート・プロムナード
069 花通り
074 ブロードウェイの歩行者専用化
084 ランブラス
091 平和通買物公園
094 マデロ・ストリート Madero Street
128 おかげ横丁
141 グランヴィル・トランジット・モール
170 ヴィア・スパラーノ(Via Sparano)の改修事業
175 デュッケ・ダヴィラ・アヴェニーダの歩道拡幅事業
204 16番ストリート・モール
242 ノイハウザー・ストラッセとカウフィンガー・ストラッセ
250 ノイハウン(Nyhavn)の歩行者道路化
253 ロープウェイ通りの空間再構築
258 さんきたアモーレ広場・サンキタ通りの再整備
264 四条通りの歩道拡張
278 日本大通りの再整備
306 シフィエンティ・マルチン(Sw. Marcin)通りの改造事業
310 ヴェスター・ヴォルゲー(Vester Voldgade)のプロムナード化
・ストロイエ、コペンハーゲン(デンマーク)