242 ノイハウザー・ストラッセとカウフィンガー・ストラッセ(ドイツ連邦共和国)
ストーリー:
ミュンヘンにあるノイハウザー・ストラッセとカウフィンガー・ストラッセは、まさにミュンヘンを象徴するような歴史ある中心通りである。それはマリエン広場とカールス広場とを結ぶ線上にあり、900メートルにも及ぶ歩行者専用道路の沿道にはからくり時計で有名なミュンヘン新市庁舎、ミュンヘン旧市庁舎、聖ミヒャエル教会、ピュルガーザール教会、ドイツ狩猟漁猟博物館、そしてデパートを始めとして多くの商店やレストランが立地し、ミュンヘンのランドマークでもあるフラウエンキルフェ(聖母教会)もすぐそばにあり、地元住民、観光客で、この通りは常に溢れている。
ノイハウザー・ストラッセとカウフィンガー・ストラッセは実質的には一つの通りである。西のカールス広場側がノイハウザー・ストラッセで、東のマリエン広場側がカウフィンガー・ストラッセであるが、歩行者にはその違いはよく分からない。
カウフィンガー・ストラッセはミュンヘンでも最も古い名前を有する通りの一つであり、1316年時点でその記録がある(ただし当時はChufringerstrasseと綴られていた)。多くの商人がここに住居を構えていたのだが、19世紀にそれらはデパート店などの大規模な商業店舗に置き換わっていった。ノイハウザー・ストラッセも既に1293年の文献にこの通りの記録があり、1815年から1828年まではカールス・シュトラッセと呼ばれ、その後はノイハウザー・ガッセと呼ばれた。どちらも、ミュンヘンの都市形成史において重要な役割を担ってきた通りである。
ここが現在のように歩行者専用道路として再整備されるきっかけとなったのは1972年のミュンヘン・オリンピックである。それは、オリンピックで交通量が増えることに対応するために、都市全体の交通システムを再編成する一環として行われた。オリンピック開催の前年に地下鉄システムが導入され、開催年には新たなる郊外鉄道システムが導入される。さらに、旧市街地(アルトシュタット)内の通過交通をなくすために、市街地を囲むように環状道路アルトシュタットリングを整備する。そして、カウフィンガー・ストラッセとノイハウザー・ストラッセの通りを走っていたトラムは廃止され、その地下に郊外鉄道システムが通ることになる。そして、両通りからは自動車が閉め出され、歩行者専用空間となったのである。
カウフィンガー・ストラッセにおける一時間当たりの平均通行者数は12,975人(2011年5月)。この通行者数の多さ(ドイツ国内で4番目)が、カウフィンガー・ストラッセをドイツで最も売上高の多い通りとしている。地代もドイツ国内で最高額である。これは世界でも9番目に高い(2008年)地代の商店街である。隣接するノイハウザー・ストラッセは通行者ではドイツ国内で2番目に多く、この二つの通りがドイツにおいても、その歩行者による賑わいという観点からは傑出していることが統計数字からも理解できる。
カウフィンガー・ストラッセ、ノイハウザー・ストラッセにおいては、多くの露天商も出店しており、それらと大道芸人がこの空間を賑わいのある祝祭空間としている。さらにアウトドア・カフェも多く、この道路空間を楽しむために滞在する機会が多く提供されている。
両通りの通行者数の多さは、その歩行環境のアメテニィの高さ、沿道の商店等の魅力、公共交通の結節点からの利便性が要因であるが、現在ではこの両通りを起点に、旧市街地全体で歩行者専用空間の拡張が進展し、ミュンヘン市の歩行者専用道路の延長は5.5キロメートルに及んでいる。カウフィンガー・ストラッセ、ノイハウザー・ストラッセは、この全体が歩行者天国のような旧市街地において、そのシンボルのような存在となっている。
キーワード:
街路,アイデンティティ,歩行者優先,自動車排除
ノイハウザー・ストラッセとカウフィンガー・ストラッセの基本情報:
- 国/地域:ドイツ連邦共和国
- 州/県:バイエルン州
- 市町村:ミュンヘン
- 事業主体:ミュンヘン市
- 事業主体の分類:自治体
- デザイナー、プランナー:N/A
- 開業年:1972
ロケーション:
都市の鍼治療としてのポイント:
カウフィンガー・ストラッセとノイハウザー・ストラッセの魅力を構成しているのは、マリエン広場やカールス広場、沿道の豪華絢爛で瀟洒な商店だけではなく、果物や野菜などを販売している屋台、そして芸達者な大道芸人のパフォーマンスであったりする。そして、そこを行き来する多くの人達だ。つまり、ファサードやアメニティの高い空間ではなく、「人」、そして「人の活動」がこの空間の魅力をつくっている最大要因のように思われる。それは、まさにアーバニティという言葉がしっくりとするような公共空間である。それは、ミュンヘンという都市の格を大きく向上させるような素晴らしい象徴的な都市空間である。
さて、しかし、その中心的な道路から自動車を排除することは、なかなか難しい事業であった。ミュンヘンでは、それをオリンピック開催という理由のもとで遂行する。1972年にミュンヘン・オリンピックを開催する時、その増大する交通量を処理するために、都心部の交通システムを大規模に改変させる。旧市街地を環状で囲むアルトシュタットリングを整備し、その内側には基本、自動車の通過交通を入れないようにした。そして、カウフィンガー・ストラッセとノイハウザー・ストラッセにはトラムが走っていたのだが、このトラムを撤去し、その代わりS-Bahnとよばれる郊外鉄道の地下路線をこの通りの下に1972年に開設する。このS-Bahnはミュンヘンの都心部と郊外とを結ぶ鉄道ネットワークであり、8つの路線から成り、その総延長運行距離は434キロメートルにも及ぶ。カウフィンガー・ストラッセとノイハウザー・ストラッセ沿道では、西端のカイザー広場、そしてマリエン広場に駅が設置された。これらは、すべてのS-Bahnの路線が通るミュンヘン中央駅とミュンヘン東駅とを結ぶ幹線軸となっている。その路線が開通する一年前の1971年には地下鉄システムが開業し、地下鉄路線は旧市街地においては、アルトシュタットリングの下とリンダーマルクトの下を走っている。
カウフィンガー・ストラッセとノイハウザー・ストラッセにおける歩行者専用化は、これらの大改革の一環として行われた。それは、まさに「都市の鍼治療」とは正反対のような都市の大手術であった。そして、その大手術によってミュンヘンは、現在の繁栄に通じるような土台としての都市基盤をつくりあげることに成功した。
それでは、なぜ、このカウフィンガー・ストラッセとノイハウザー・ストラッセを「都市の鍼治療」の事例として紹介するのか。それは、交通システムの大施術という事業の中で、都心部にその都市の象徴となるヒューマン・スケールの人間主人公の都市空間をつくるということを付け加えたからである。それこそ、まさにツボを見事に押さえたような事業であった。それは、この事業をきっかけとして、アーバニティを再生することに成功したからである。上述したような公共システムを整備しても、その上部空間を歩行者専用空間にする必要性はない。日本の都市は、東京の山手通りや環状八号線の事例からも理解できるが、高速道路や幹線道路を地下化しても上部空間を自動車のための道路のままで利用している。道路機能を地下化しても上部空間を歩行者に開放させないのだ。
そのように考えると、この都心空間を人に再び取り戻すことに成功したミュンヘン市の都市計画的判断は素晴らしいものであると考えられる。また、オリンピック開催という千載一遇のチャンスを上手く活用して、その都市の発展の基盤をしっかりと構築できたミュンヘンをみるにつけ、2020年の東京は極めて貴重なチャンスを逸してしまったなとも思わせられる。
【参考資料】
ミュンヘン市のホームページ(https://www.muenchen.de/int/en/sights/attractions/kaufingerstrasse-und-neuhauser-strasse.html)
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