118 黒壁スクエア (日本)
ストーリー:
琵琶湖の東端に位置する長浜市は、羽柴秀吉が長浜城を築いてから城下町として発展し、長浜城が廃城された後も北国街道、さらには琵琶湖水運の要衝として発展していった。明治時代まで、その商業都市としての賑わいは続き、銀行も多くここに立地した。
鉄道も明治16年には関ヶ原駅と長浜駅が開業するなど、長浜は湖東地方の中心地として位置づけられていたが、その後、長浜駅をバイパスする路線が開通され、また東海道新幹線も長浜駅ではなく隣の米原駅にて停止することになる。
徐々に地域経済が停滞をしていった長浜市は、駅前の中心商店街もシャッターが目立つようになり、それに拍車をかけるように1988年に郊外ショッピング・モール(長浜楽市)が出来ると、さらに人々の足が遠のいていった。ショッピング・モールが開業後に中心商店街の来街者調査をしてみると、一時間で「人が4人と犬が一匹」しか通らないほど寂れた状況に陥ってしまった。
そのような中、北国街道と大手門通りの交差点である「札の辻」に建つ旧第百三十銀行(その時は既にカトリック教会として使用されていた)の建物が取り壊しの危機に直面する。この建物は銀行が使用していた時、壁が黒かったことから「黒壁銀行」と呼ばれ、その後、カトリック教会になってからは壁も黒色ではなくなったが、それでも「黒壁銀行」と呼ばれ続け、人々に親しまれてきた。既にその土地は不動産会社に売却されていたが、この建物の取り壊しを防ぐために、教育委員会、市役所、そして地元の商店街というよりも市内の企業経営者達が協働し、この建物を買い戻すために動き始める。市役所からは当初予定した1億円には遠く及ばない4,000万円しか得られることができず、残りの6,000万円は民間企業が出資をすることでどうにかカバーをする。そして、1988年に、黒壁銀行の建物の保存と再生を目的とする第3セクター「黒壁」が設立された。
第3セクターは設立されたが具体的に何をすればいいかが分からない。黒壁銀行の建物は保存したが、周辺の商店街はまったく集客力もない。そこで、集客するために何かしようということになった。いろいろとその知恵を探っている中、「ガラスをつくっているところは人が集まるから、ガラスでもやってみれば」とのアドバイスを受ける。「黒壁」の社員には、ガラス関係者はまったくいなかったため、このアドバイスをきっかけにいろいろと勉強をし始める。小樽やイタリアにメンバ−は赴き、ガラスによる街づくりの方策を学ぼうとした。そして、そのプロセスから「奥深い文化性の高いものをしないと、お客さんは来ない」ということを確信し、ヨーロッパからガラス作品を買い付け、全国からガラス職人を呼び寄せることにした。
そして1989年に黒壁ガラス館とオルゴール館(当時はレストラン)、ガラス工房を「黒壁」としてオープンした。当初は観光を意識してはおらず、ひたすら賑わいを取り戻そうとしただけだったのだが、口コミ等で人気が出始め、最初の9ヶ月で10万人弱の人が訪れた。そして、お客さんがこれだけ来るのに3つの店舗では少なすぎるということから、その面積を拡大しようと議論し始める。
多くの社員は拡大案に反対であったが、ちょうどタイミングよく長浜市が歴史建築物の調査をし始めたこともあり、黒壁銀行以外にも貴重な歴史的建物が多く残っていることが明らかになった。しかし、それらの多くは店主が高齢化したためシャッターが閉じられたままであった。そして、これをうまく活用しようということで、これらの建物を活用することした。当時はテナントが入るまで家賃を負担するといったことをしていたが、10年経った頃にはそのような必要もなくなり、商店街のシャッターは上がっていった。
現在では黒壁スクエアとは、黒漆喰の和風建築である「黒壁1號館」から「黒壁30號館」までの建物群の総称を指すようになっている(そのうち株式会社黒壁が所有しているのは8件だけ)。
【取材協力】株式会社黒壁 笹原司之氏
キーワード:
街並み保全,中心市街地再生
黒壁スクエア の基本情報:
- 国/地域:日本
- 州/県:滋賀県
- 市町村:長浜市
- 事業主体:株式会社黒壁
- 事業主体の分類:民間
- デザイナー、プランナー:株式会社黒壁
- 開業年:1989年
ロケーション:
都市の鍼治療としてのポイント:
長浜市の黒壁スクエアは、街づくりの成功例として広く知られている。それはバブル崩壊後の1990年代、衰退していく地方の希望の星として随分と注目された。
黒壁スクエアのユニークなところは、地元産業ではないガラスを街づくりのテーマにしたことである。通常、街づくりを考えるうえでは、地元の歴史などそのアイデンティティを活かすことが有効であり、王道であると捉えられている。そのような「法則」を無視した黒壁スクエアのアプローチであったが結果的には大成功であったということが興味深い。ただ、まったくアイデンティティと関係性がなかった訳ではない。というのは、ガラスの文化性をまちなかで演出するうえで、長浜のアイデンティティそのものである歴史的建築物を活用したからである。このガラスという集客性のあるテーマと、歴史的建築物との見事な組み合わせ。これが、非常に奏功した。また、産業としては縁がなかったガラスであったが、ガラスそのものではなく、ガラスの文化性を大事にしようとしたことも成功した要因の一つであろう。
黒壁スクエアは最初の10年間は右肩上がりで、美術館のオープン、飲食店のオープンといった打つ手が次から次へと成功に結びつき、関係者も予期しなかった人気観光地となり、10年目には年間100万人の来客数を誇るまでになった。
開業した直後に大阪方面から長浜への直通列車が走ったことや、NHKの大河ドラマ「秀吉」での画濱ブームなども後押しをしたが、これらは天から降ってきたというよりは、地元がある程度、呼び寄せたといった側面もある。
事業を開始してから30年近く経ち、流石に最近は観光客も頭打ちになり、若干、新規性に乏しくなっている。とはいえ、この黒壁スクエアをつくるきっかけとなったライバルであった長浜楽市は大幅な改装を既に2回もするなど苦戦をしている。それと比較しても、本事業がしっかりとした街づくり事業であったことが確認できる。また、組織形態は第三セクターではあるが、運営は100%民間主導で行われてきた。この民間主導で、しかも商店街主体ではなく、ある意味、外部者によって、ここまで歴史的町並みを再生できたということは驚きであると同時に、民間による街づくりの可能性を呈示し、他地域の人々に大きな希望を与えたと考えられる。大袈裟ではなく、前代未聞の街づくり事例であると考えられる。大変よく知られている事例ではあるが、「都市の鍼治療」からは決して外すことができない事例である。
類似事例:
005 パイク・プレース・マーケット
008 テンプル・バー
032 迪化街の歴史保全
063 チャールストンの歴史保全
071 稲米故事館
075 プリンツィパルマルクトの歴史的街並みの再生
091 平和通買物公園
112 みつや交流亭
195 ギャルリ・サンテュベール
256 金澤町家の保存と活用(NPO法人金澤町家研究会)
272 ベットヒャー・シュトラッセ
281 寺西家と寺西長屋の保全
296 がもよんの古民家再生
・ 歴史的資源を活用したまちづくり、川越市(埼玉県)
・ 豊川稲荷商店街のまちづくり、豊川市(愛知県)
・ 丸亀町の商店街リニューアル、高松市(香川県)