272 ベットヒャー・シュトラッセ(ドイツ連邦共和国)
ストーリー:
ドイツ北部に位置するブレーメン市。ハンザ同盟で力をつけたブレーメンであるが第二次世界大戦で市街地のほとんどが戦災を受け、旧市街地で残った建物は世界遺産の市庁舎ぐらいである。
その市庁舎からヴィーザー川に抜ける108メートルのベットヒャー・シュトラッセと呼ばれる小道がある。歴史的な街並みであるような印象を覚えるが、これは1921年から1931年にブレーメンの珈琲商人であるルードヴィッヒ・ロゼリウスがパトロンとなってつくった通りである。ベットヒャー・シュトラッセには、芸術、文化、レストランが集積しており、その建物はブリック表現主義(注1)の建築の珍しい事例である。ベットヒャー・シュトラッセを芸術・文化・レストランを集積させた集客力のある通りにするというコンセプトは、ロゼリウスが当初、考えたものであり、それは現在においても同様である。というか、むしろ強化されているかもしれない。
ベットヒャー・シュトラッセは中世から存在していた。それは、当時から市庁舎前の市場とヴェーザー川とを結ぶ重要な通路であった。水運産業が栄えたブレーメンは樽産業が栄えた。ベットヒャー・シュトラッセの語源となったベットヒャー(Böttcher)は樽製造者という意味である。しかし、19世紀半ばに港が移転した後は、徐々に衰退していった。1900年頃にはベットヒャー・シュトラッセは相当、酷い状況になっており、ブレーメン市はその地域全体を壊すことを考える。そのような状況下、二人の女性が1902年に、ルードヴィッヒ・ロゼリウスにベットヒャー・シュトラッセの6番地の家を買ってくれるように依頼する。ロゼリウスは、コーヒーからカフェインを抽出することに成功し、デカフェ・コーヒーを販売した富豪であった。彼は、芸術作品や考古資料の蒐集家・鑑定家であり、伝統的な職人技術と現代建築を融合させることで芸術の統合を図るような空間をこの街路で実現したいと考えた。
彼は依頼のあった家を購入し、そこに自分の会社Kaffee HAGの事務所を置く。ロゼリウスは段階的にベットヒャー・シュトラッセの不動産を購入し始める。それは、この通りを芸術・文化体験ができる魅力的な集客空間を具体化したいと考えたからである。1921年にはロゼリウスの家は博物館へと転用される。1923年から1926年にかけてはアルフレッド・ルンゲとエデュアルド・スコットランドの二人の建築家によって、数軒の建物が付け加えられる。これらの建物は、当時、典型的に用いられていたブリックと砂岩によってつくられた。そして1931年にはベルナード・ヘットガーの設計によるアトランティス・ハウスがつくられた。この建物はガラス、鉄、コンクリートでつくられたため、他の建物とはちょっと違う印象を与える。同年にはロビンソン・クルーソーの家がロゼリウスの設計により建てられた。
ロゼリウスは1943年に逝去する。その翌年、ベットヒャー・シュトラッセの大部分は爆撃によって破壊される。これによって、ドイツの貴重な建築空間が失われたのだが、それを元通りに復活させようという動きが、ルードヴィッヒ・ロゼリウスの娘であるヒルデガードによって展開する。そして1954年にはほぼすべてのファサードは昔のような姿に復活した。それは、戦後のドイツにおいて、最も重要な個人の手によるファサード再生事業であった。
1950年代と1960年代には、ベットヒャー・シュトラッセはブレーメンの中でも最も文化的で洗練された一画であると認識されるようになり、ハイエンドの小売店、評価の高いレストランがテナントとして入店するようになる。1973年には、保存記念物(Denkmalschutz)として登録される。1963年にはヒルデガード・ロゼリウスが亡くなる。
1970年代頃から建物の構造に多くの損傷が見出されたので、1988年にシュパルカッセ・ブレーメンが通りと建物を購入し(ハウス・アトランティスを除く)、建物の修繕作業を進め、1999年には完了する。2004年にはベットヒャー・シュトラッセはシュパルカッセ・ブレーメンの基金であるブレーマー・シュパーラー・サンクスに移管されている。その運営はシュパルカッセ銀行の関連会社であるベットヒャー・シュトラッセ株式会社が行っている。
一人の個人の思いによってつくられた芸術・文化的に溢れた魅力的な街路空間は、第二次世界大戦の被災を、その思いを継承した個人によって再生することに成功し、その後は地元の企業のフィランソロフィー的な組織によって維持されてきている。その結果、その空間はブレーメン市にとって、世界遺産の市庁舎と並ぶ観光の目玉にまでなっている。
(注1)
ブリック表現主義:ブリック、タイル、クリンカーのレンガを建物の主要な外観の建材として用いた表現主義的建築。1920年代に主にドイツとオランダによってつくられた。
キーワード:
中心市街地再生,アイデンティティ,街並み保全
ベットヒャー・シュトラッセの基本情報:
- 国/地域:ドイツ連邦共和国
- 州/県:ブレーメン州
- 市町村:ブレーメン市
- 事業主体:Ludwig Roselius
- 事業主体の分類:個人
- デザイナー、プランナー:Ludwig Roselius / Hildegard Roselius
- 開業年:1922
ロケーション:
都市の鍼治療としてのポイント:
ドイツの歴史的な旧市街地は美しい。それらは一部の都市では保存されていて、我々はその美しさを堪能することができる。チューリンゲン州のケドリンブルク、ニーダーザクセン州のゴスラー、バイエルン州のバンベルク、レーゲンスブルクなどだ。しかし、残念なことにそのような美しい旧市街地を戦災によって失われたところも少なくない。ブレーメンもそのような都市の一つである。
ただし、現在、ブレーメンの旧市街地を訪れると、第二次世界大戦以前のような歴史的な趣を感じることができる。これは、戦災を免れた世界遺産の市庁舎が強烈な存在感を放っているということが大きいが、その市庁舎からヴェーザー川に向かう小道「ベットヒャー・シュトラッセ」の存在も大きい。しかし、この小道はオリジナルも100年ぐらいの歴史しかないし、しかも戦後、復活してつくり直されたものである。そこには、前述した都市の歴史的旧市街地のようなオーセンティシティはない。しかし、その絶妙なヒューマン・スケールの空間のつくり、芸術・文化的要素を盛り込んだ空間コンセプト、ブリック表現主義の温かみのある建築群。そして、何より、ルードヴィッヒ・ロゼリウスの強烈な思い、さらには、その思いをしっかりと継承した娘のヒルデガードの忠実さ。これらが、この空間にユニークな命を吹き込んでいるかのようだ。
個人的には空間が一度、クランクしているところが面白い。これによって、その街路の先が分からないという期待と不安を訪れる者に与える。さらに、突き当たりが2カ所できることで、アイスポットも二カ所できる。このクランクがあることで、この108メートルという短い距離に複雑で多彩な空間の妙を演出することができている。
次代にも継承される素晴らしい空間でも、個人の力によってつくれる、そして、個人の力によって再生することもできるということを示してくれる素晴らしい事例であると考える。
【参考資料】
ブレーメン市のホームページ
https://www.bremen.de/tourismus/
ベットヒャー・シュトラッセのホームページ
http://www.boettcherstrasse.de/?lang=en
"Free Hanseatic City of Bremen with Bremerhaven" Kraichgau Verlag
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