281 寺西家と寺西長屋の保全(日本)
ストーリー:
地下鉄御堂筋線昭和町駅のすぐそばに、大正時代に建築された町家、そして、その前の道を隔てて、昭和7年に建設された二階建ての四軒長屋がある。町家は和風本体の玄関横に「洋館」と言われている洋式の応接間が設置されている、いわゆる洋館である。そして、その前に建つ長屋であるが、これは戦前の都市住宅として典型的なものであったが、周囲にはそのようなものが既にあまり残っておらず、その時代の記憶を今に伝える貴重な建築となっている。この建物のある阿倍野地区は戦災に遭わなかった。そのため、このような長屋が昭和30年頃までに存在していたのだが、高度経済成長、そしてモータリゼーションの進展とともに失われていったのである。
この建物は、近代長屋としては、全国で最初に登録有形文化財として指定された。しかし、この近代長屋、そして戸建て住宅の母屋が残されることになったのは幾つかの奇跡的な巡り合わせが重なったためであることが、この長屋、そして母屋の所有者である寺西興一氏との取材から明らかとなった。
この趣のある母屋と長屋であるが、寺西氏は必ずしもそれを保全しようという気持ちを抱いた訳ではなかった。高度経済成長の時代からバブルの時代にかけて、周辺の長屋の多くが取り壊されて、マンションやアパートなどに建て替えられる中、この長屋が残ったのは、借家として使用されていたのだが、その住民たちを追い出すということを寺西家がしなかったからだ。
その後、相続対策を考える必要が生じた。寺西氏には二人の兄弟がいた。父親は長男の寺西氏に母屋である町家、長屋は二人の姉妹に渡す考えをもっていた。しかし、姉妹も古い長屋をもらってもしょうがないなと考えていた。かといって、それを売ってしまったら、母屋の前に変な建物が建つことを父親は危惧していた。そこで、寺西氏は父親がまだ生きている間に、長屋を壊してマンションを建てることを計画した。マンションが建てば、姉も妹もそれを相続して家賃収入が入ってくるので喜ばれると思ったのだ。
しかし、建て替える話をしたら、大学の先生で長屋好きの人がやってきて、「なんとか一軒でも残せませんか」と言ってきた。そして、京都大学の西原先生もやってきて、「この長屋はしっかりとした大工がつくっているし、登録有形文化財になるんとちゃうか?」と教えてくれた。
寺西氏は大阪府で建築の仕事をしていたのだが、登録有形文化財という制度をよく知らなかったので大阪府の文化財登録の部署に行った。すると、その担当者からは「大阪の長屋をなんとか登録文化財として残したいんだが、長屋の所有者がなかなかうんと言ってくれないんだ」と訴えられる。さらには、寺西家の長屋が登録有形文化財に登録されると、近代長屋としては日本初めてとなる、とまで言う。この「日本初めて」というのは寺西氏の心を捉えた。そこで「長屋を潰すのはいつでも潰せるけど、潰すと復活できない」ということで、マンションの開発業者は随分と抵抗したのだが、建て替えをすることを止めた。
その当時で、既に長屋は建てられてから70年ぐらい経っていた。内装は入居者任せにしていた。長屋を壊してマンションを建てればお金が入ってくるが、長屋を維持するのには随分と出費も多いだろうと覚悟をしていた。しかし、蓋を開けてみたら、全然、予想と違った。マンションを建てるとなると1億7,000万円ぐらいかかる。長屋の改修費は1,700万円で済んだ。さらに建物の固定資産税が二桁は違う。135万円対3万円。もちろん、これは店舗に貸せたからということもある。とはいえ、嬉しい誤算であった。古いものを活かすことは経済的にも有利であることを、寺西氏は身をもって知ることとなる。
町家は「金食い虫」となる長屋を維持するためにも、マンションに建て替えてその収益の道を確保しなくてはと考えていた寺西氏であるが、長屋が「金食い虫」ではなく「金の卵」であり、それを維持するための収益の道を確保する必要もないことに気づいたことで、この町家も登録文化財に指定した。そして、それを機会に町家の方も屋根の葺き替えと台所や居間の改修工事も行う。
このように、そもそもの長屋・母屋の維持は最初から意図していたことではなかったが、結果として「粗大ゴミ」かと思っていた老朽長屋が、実はそれが存在することで地域の人を始めとして喜んでもらえる「宝」であり、町にとっても、その歴史を今に伝える貴重な証となっている。この長屋・母屋があるかどうかで、この町を見る人の評価も大きく変わるであろう。
この長屋は、2006年に「大阪まちづくり賞」の大阪市長賞に輝く。その際、京都大学教授である中嶋節子氏は講評で下記のように述べている。
「所有者の理解と建築家をはじめとする周囲の熱意によって、使い続ける道が模索され、平成16年3月に改修工事を終え飲食店へとコンバージョンされた。建設当初の外観が復元されたこと、質の高い改修工事が行われたことなど、建物の価値を理解し尊重した改修内容と完成度の高さが評価された。単なる長屋の転用事例にとどまらず、大阪の建築文化を再構築する試みとして意欲的である。」
キーワード:
歴史建築保全,近代長屋
寺西家と寺西長屋の保全の基本情報:
- 国/地域:日本
- 州/県:大阪府
- 市町村:大阪市阿倍野区
- 事業主体:寺西興一
- 事業主体の分類:個人
- デザイナー、プランナー:寺西興一、すがアトリエ(長屋改修時)
- 開業年:1926年(寺西家)、1932年(寺西長屋)、2004年(リノベーション)
ロケーション:
都市の鍼治療としてのポイント:
昭和町は天王寺駅というターミナルから一駅という利便性の高さがあり、周辺は戦後建てられた鉄筋コンクリートの建物ばかりだ。そのような中、寺西家の町家と長屋に囲まれた路地空間はあたかもタイムスリップをしたような錯覚を覚えさせる。
この二つとも登録有形文化財として登録されている。登録有形文化財とは、1996年につくられた制度で、50年以上経過した建物の外観を保存することを目的としている。したがって建物内部の改造は自由にでき、外観も通りから見えるところの4分の1以内の改修は可能である。このように、所有者に過度な負担をかけずに街並みの景観を守っていくことを優先した制度であるのだ。寺西家の町家と長屋が保全された経緯を知るにつけ、この制度がなければ、それらが維持されることはなかったであろうことに気づかされる。そう考えると、このような制度の重要性に改めて気づかされる。
今回、寺西氏に取材をして印象に残ったのは、老朽長屋は「粗大ゴミ」であると思っていたら、実は「宝石」であり、経済的にもマンションに建て替えするよりメリットが多かったと述べられたことである。もちろん、寺西長屋は昭和町という地下鉄駅から徒歩数分という利便性の高さが、飲食店のテナントが入るうえでは有利に働いているという指摘もされるかもしれないが、マンションでも地下鉄駅に近いと賃貸料金は高くなるであろう。そういった意味で、現在の日本の制度下では、歴史的建築物を保存した方がマンションに建て替えるより経済的メリットが大きいことを本事例は示しており、そのような動きを今後、広めるための大きな根拠となり得る事例ではないかと推察される。
寺西長屋も母屋も、強い意図のもとではなく、偶然が重なり、保全されることになった。まず、持ち主の寺西氏が大阪府庁に勤めていた公務員であり、建築が専門だったので、登録有形文化財の価値や古い建物の保全についての社会的価値をすぐ理解できる素養があったことが挙げられる。さらに、大阪府が登録有形文化財という制度を積極的に活用していたため、その保全の後押しをしてくれたことがある。特に、「近代長屋」で最初の登録有形文化財という勲章は、寺西氏の心を揺さぶったが、これも偶然である。
そして、これらの偶然が重なることで、その場所に極めて磁場の強い都市空間が維持・保全できていることは、町にとってはたいへん幸運であった。今後は、そのような偶然性に負うのではなく、確信をもって、歴史的な街並みを残すことを他の地域でも展開できると、日本の国土もより地域性溢れた多様で魅力的なものになるだろう。大きな勇気を与えてくれる事例であると考えられる。
【取材協力者】
寺西興一(国登録有形文化財全国所有者の会理事長 大阪府登録文化財所有者の会長)
【参考資料】
大阪都市景観建築賞運営委員会のホームページ
http://osaka-machinami.jp/past_work/detail/4189/
寺西興一(2012): 「長屋一色の街並みから混沌の街へ」『住宅会議』第84号
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