259 ゴスラーの市場広場(Marktplatz des Goslar)(ドイツ連邦共和国)
ストーリー:
ドイツのほぼ中間に位置するハルツ山地の麓にあるゴスラーは、近くに銀鉱が見つかったことで発展してきた鉱山都市である。都市の礎がつくられたのは922年。ザクセン朝初代王であるハインリッヒ1世によってつくられた。10世紀頃にはランメスベルグ鉱山が開発され、この鉱山で働く人たちが、この町で生活をし始める。そして、その鉱山の豊かさと風光明媚なハルツ山地の自然に惹かれて、ここには神聖ローマ帝国の皇帝たちが別荘を構えることとなる。
13世紀頃からは、神聖ローマ帝国が弱体化したこともあり、都市は皇帝たちではなく、市民によって営まれることになる。このときに都市の中心に市場広場がつくられ、役場もつくられる。この後期ゴシックの街づくりは、現在までも引き継がれていて、それがゴスラーをたいへん魅力的な町としている。
1992年にゴスラーはランメスベルグ鉱山とその歴史的な旧市街地が世界遺産に指定された。歴史的な旧市街地にはつくられた時代が異なる1,500以上の木組みの家が存在している。その町並みの見事さは世界遺産にふさわしい。しかし、世界遺産に指定された旧市街地で最もゴスラーの歴史の重厚さを感じさせるのは、市場広場であると思われる。
ゴスラーは神聖ローマ帝国時代の11世紀から12世紀には「隠れた首都(heimlichen Hauptstadt)」と形容されるほど、帝国と関係が深い都市であった。しかし、現在に残されているゴスラーの歴史都市としての豊さをつくったのは、神聖ローマ帝国の皇帝ではなく、ゴスラーのギルド商人達であった。ギルド商人はハンザ同盟にも加盟し、その豊かさと誇りを市場広場の空間デザインにて周知させようとしたのである。
広場は東西約50メートル、南北約40メートルの広さで、約200平米の大きさである。形状は必ずしも長方形ではなく、多少、歪んだ台形が重なったような形になっている。広場の中央には王冠を載せた鷲が鎮座する噴水が置かれている。この噴水はこの広場の中央に位置し、そこからは放射状の直線模様が描かれている。この直線模様は煉瓦色と灰色の敷石が交互に現れ、見事なトルコ絨毯のような意匠がなされているのと同時に、噴水のある中心への求心効果を視覚的に高めている。
この広場において噴水の持つ重要性は明らかである。それは広場の中心に位置し、噴水にはゴスラーの町のシンボルである鷲が鎮座している。この噴水の土台の部分は12世紀、その上の鷲を含む部分は13世紀、そして鷲が頭上に載せている王冠は18世紀につくられた。それは今でも機能している噴水ではドイツ最古のものである。この鷲は、帝国からの解放を意味している。
そして、この広場の空間デザインの素晴らしさに勝るとも劣らないのが、この広場のファサードを形成する建物群である。その中でも象徴的な建物がカイザーワースとタウンホール(役所)、そしてカイザーリングハウスである。カイザーワースは、織物商人のギルド・ホールとしてつくられ、その後、商工会館として使われた。ギルド商人は1494年に役場より立派な自分たちの建物をつくり、自分たちの豊かさを誇示してやろうと考えた。既に、当時、力を失ってはいたが、この建物を皇帝が見つけた時、ギルドはすばやく「カイザーワース」という名前をこの建物につけて、皇帝の機嫌を損ねるということを回避する(カイザーというのは皇帝を意味するドイツ語)。現在、この建物にみられる美しい彫り物はかつて漆喰で隠されており1990年に修繕工事をしている時に発見された。これらの彫り物は、ゴスラーと関係の深い皇帝に加えて、裸で金のコインが入った大便をしている金貨男(デュカット・マン)の彫り物などによって飾られている。カイザーワースは、この200年ほどはホテルとして利用されている。
役場は1450年に建てられたゴシック建築であるが、その後、何度も改修されていて、最近では2011年にもされている。これは広場に面して建てられた建物の中では最も古い。役場の後ろには聖コスマス教会と聖ダミアン教会の塔が聳え立っている。現在でも市議会議員はこちらで会議をしている。
そして、広場の東側に建つのがスレートで表面を覆っているカイザーリングハウスである。元裁判所の建物であった。この建物は一日四回ほど仕掛け時計の人形が出てきてランメスベルグ鉱山の歴史を物語る。現在はホテルとレストランとして利用されている。
キーワード:
広場, アイデンティティ, 歴史的町並み, 世界遺産
ゴスラーの市場広場(Marktplatz des Goslar)の基本情報:
- 国/地域:ドイツ連邦共和国
- 州/県:ニーダー・ザクセン州
- 市町村:ゴスラー市
- 事業主体:ゴスラー市民
- 事業主体の分類:市民団体
- デザイナー、プランナー:N/A
- 開業年:12世紀(噴水の土台)、1494(Kaiserworth)、15世紀(タウンホール)
ロケーション:
都市の鍼治療としてのポイント:
ドイツ文学者の池内 紀(おさむ)氏が、『ドイツ 町から町へ』という本で「とっておきの町を一つといわれたら、ゴスラーをあげよう」と記している。さて、しかし池内先生は、ゴスラーの何が「とっておき」であるかをこの本では説明していない。ただ、ゴスラーのとっておきは明らかである。それは町の真ん中につくられた「市場広場」である。
広場はその都市にとって極めて重要な役割を担う。そこは、なぜ都市が必要なのかを最も雄弁に物語る空間でもあるからだ。そして、そのような広場の重要性を昔のヨーロッパの人々は極めて強く認識しており、素晴らしい広場が多くつくられた。グランプラス(ブリュッセル)、旧市街地広場(プラハ)、ヴォージュ広場(パリ)、エスパーニャ広場(セヴィリア)、マジョール広場(マドリッド)、トラファルガー・スクエア(ロンドン)、カンポ広場(シエナ)、市場広場(クラカウ)などである。
ドイツの都市にも多くの素晴らしい広場がつくられた。マリエンプラッツ(ミュンヘン)、レイマー広場(フランクフルト)、市場広場(ライプツィヒ)、市場広場(マインツ)などである。しかし、規模こそ小規模ではあるが、宝石のような輝きを最も放っているのはこのゴスラーの市場広場(マルクトプラッツ)ではないだろうか。中央に置かれた噴水、そしてそこから放射状に石畳で綺麗に色分けされた細い扇形が織りなす空間は、あたかも高級な絨毯のような見事な意匠である。そして、ファサードの建物と石畳との絶妙な調和。しかも、それらが800年以上の時間の積み重ねによって醸成されている。さらに、それが遺跡ではなく、現在においても重要な都市機能を担っている。この広場をひとめ見るだけで、ゴスラーという都市が特別であることがよく理解できる。
ゴスラーの市場広場の歴史性は必然と偶然が重なり合うことで、つくりあげられてきた。まず、ランメスベルグ鉱山という圧倒的な地理的条件がなければ、ゴスラーの発展はなかったであろう。そして、その土地の豊かさが商人を富ませ、それが広場の豪奢なるデザインをもたらせた。その最盛期は1450年から1550年である。そして、その後、ゴスラーは経済的に厳しい時代を送ることになる。これは、ゴスラーの豊かさを面白くないと思ったブランデンブルク選帝侯によって、ゴスラーの貿易路が閉鎖されたためである。ゴスラーはこれに対して神聖ローマ帝国に異議を唱えたが、帝国自体から離れたゴスラーへの対応は遅々として遅れ、その間、ゴスラーはどんどんと衰亡していった。しかし、その結果、貧困ゆえにリフォームをするしかなく、古い建物が壊されずに済んだのである。加えて、第二次世界大戦では同じハルツ山地のノルドハウゼンやハルバーシュタットが戦災を受けたにも関わらず、ゴスラーは戦災をほとんど受けなかった。
このようにゴスラーの市場広場は、その保全のための積極的な政策や対策の賜物であるというよりかは、偶然の賜物であるとも言える。しかし、結果論かもしれないが、この「市場広場」はまさにゴスラーの「ツボ」であり、それをしっかりと維持できたことが、ゴスラーの唯一無二の魅力となって地元住民や観光客に多幸感を与えてくれている。
【参考資料】
ハルツ地方のホームページ
https://www.harzlife.de/harzrand/marktplatz-goslar.html
『Kaiserstadt Goslar』Ursula Mueller, Hans-Guenther Griep等、2000
類似事例:
063 チャールストンの歴史保全
115 ミラノ・ガレリア
146 ブリッゲンの街並み保全
195 ギャルリ・サンテュベール
212 トラファルガー広場の歩行者空間化事業
233 グラン・プラス
256 金澤町家の保存と活用(NPO法人金澤町家研究会)
260 大内宿の景観保全
263 関宿の景観保全
267 京都市の眺望空間保全
275 セネート(元老院)広場
280 アンティランマキの地区保全
300 コヨアカン歴史センター(イダルゴ広場とセンテナリオ庭園)
304 北村韓屋保存地区
・ スタニラス広場、ナンシー(フランス)
・ カンポ広場、シエナ(イタリア)
・ 市場広場、クラカウ(ポートランド)
・ 市場広場、マインツ(ドイツ)
・ レイマー広場、フランクフルト(ドイツ)
・ マジョール広場、マドリッド(スペイン)
・ エスパーニャ広場、セヴィリア(スペイン)
・ バーリントン・アーケード、ロンドン(イギリス)
・ ザ・パサージュ、ザンクト・ペテルスブルク(ロシア)
・ モスクワ広場、モスクワ(ロシア)
・ 市民広場、プラハ(チェコ)
・ 旧市街市場広場、ワルシャワ(ポーランド)