シンボルの創出に関する事例
(フランス共和国)
2013年、マルセイユ旧港の広場に広大なる天蓋(オンブリエール)が架けられた。広場において建築が存在することのマイナス的要素をできる限り打ち消しながら、そのプラス的要素をしっかりと満たしたこの天蓋。これによって広場の魅力は大きく向上した。見事にツボをついた「都市の鍼治療」事例であると考えられる。
(フィンランド共和国)
広大なる再開発地区に人々の注目を集めさせることはなかなか難しい。そこに人々の足を運ばせるとなると尚更である。しかし、ヘルシンキの海沿いに広がる再開発地区につくられたロウリュ公共サウナは、ウォーターフロントに対するヘルシンキ市民の意識を変えるようなプロジェクトとなっている。
(ドイツ連邦共和国)
ベルリン市内を歩くと、ところどころでモノを丁寧に持ち上げているような形で両手を挙げている等身大(高さは2メートル)の熊の像に出会う。これらの熊は様々なボディ・ペインティングが為されていて、どことなく無機質で機械的な印象を与えるベルリンの街並みに、カラフルな躍動感を与えてくれる。
(イングランド)
ブリストルの街を歩くと落書きの多さにすぐに気づく。 バンクシーに触発された多くの芸術家達がブリストルを目指し、市内の壁面は極めて芸術性の高い「落書き」に溢れることになった。その都市景観はユニークであり、圧倒的な個性を有している。
(デンマーク王国)
コペンハーゲン南東部にあるゴミ処理施設、アマー・リソース・センターは老朽化が進んでおり、それを建て替える必要があった。そこで、その建て替えのための設計コンペを2011年に行った。提案されたアイデアは、高さ85メートルの丘のようなごみ焼却発電所を建て、その屋上をスキー場にするという奇抜なものであった。完成したコペンヒルには環境教育を学ぶ施設も併設されている。ゴミ処理施設の概念を大きく変える施設である。
(ドイツ連邦共和国)
エルプフィルハーモニーは欧州最大の再開発プロジェクトであるハンブルクのハーフェンシティに建つコンサート・ホール。つくられたと同時にその都市のイコンとなるような建築はなかなか多くない。都市のアイデンティティ構築、都市観光における目的地づくり、シビック・プライドの醸成など、いろいろなプラスの側面が考えられるが、エルプフィルハーモニーはそれらに加えて新たに見事な公共空間を創出したこと、市民が音楽に親しむ機会を大幅に増やしたことなどからその効果は極めて大きい。
(ドイツ連邦共和国)
エアフルトのドーム広場で開催されるクリスマス・マーケットは例年200万人が訪れ、ドイツでも最大の規模を誇る。運営は市役所が行ない、クリスマス商品をあつかう店舗が並ぶ一方で、エアフルトの歴史的な人々とクリスマス物語のシーンを再現したクリスマス・ピラミッドが目を惹くなど、シビック・プライドを醸成する機会ともなっている。
(ポーランド共和国)
ブウキエンニツァ・ストリートはウッチの暗黒面の象徴とも言われていた。そこは売春が横行し、禁止されていたアルコール類のやり取りもされていた。それが、現在では見違えるようになっている。廃屋のような建物は、改修され、カラフルな色にペンキで塗られ、ビフォア・アフターの写真を見ても、同じ場所だとはとても思えない。
(デンマーク王国)
コペンハーゲンの運河沿いに新たに出現した、レム・クールハウスが設計したBLOXの建物は、都市の文脈を上手く掴んで、その課題を建築によって解決しようとする大胆で見事な試みである。BLOXはウォーターフロント・エリアに新たな目的地性を与え、それまでアクセスが難しかった運河は新たなる公共的な活動の場へと変化しつつある。
(ポーランド共和国)
ヴロツワフはポーランドの南西、シレジア地域に位置し、市内をオーデル川が流れる。市内のあちこちに置かれている小人像は2003年に当時の市長が設置することを企画した。これらの小人の銅像は、ヴロツワフ市民が共有し、シビック・プライドを持つ歴史的イベント(ソリダリティ運動)を象徴しており、人々の都市への帰属意識を高めることに貢献している。
(ベトナム社会主義共和国)
ハノイ市の紅河の堤防に沿って、長さ6.5キロメートルにも及ぶ長大なモザイク壁画が伸びている。ハノイの遷都1000年を記念して、国内外のアーティスト、地元の職人、そして子どもたちによって制作されたものである。無粋なコンクリートの塊を、ハノイ市のアイデンティティを具体化させるような芸術作品へと転換させた見事な事例である。
(大韓民国)
トンデムン・デザインプラザは2014年4月にソウルのトンデムン(東大門)運動場跡地につくられたソウルの新しいランドマークである。ザハ・ハディドの設計による、奇抜ではあるが、圧倒的な存在感を纏う建築と、そこに入ったテナント群、博物館、イベント等の魅力に惹かれ、オープン以降、一日3万人が訪れる集客施設となっている。
(アメリカ合衆国)
バンカー・ヒル・ステップスはロスアンジェルスのダウンタウンとバンカー・ヒルとを結ぶ丘につくられた階段。休憩用のテラスが幾つか設置されており、小さなカフェなども置かれていて、この階段を単なる移動空間ではなく、賑わいのある公共的な空間として演出している。
(日本)
駅前の一等地に、それまで下北沢の街に不足していた、緑に囲まれた遊歩道と野原が美しく広がる。世田谷区と小田急電鉄、そしてこの街を愛する住民達との見事なコラボレーションによって誕生した素晴らしい空間である。
(ブラジル連邦共和国)
ドイツの森はクリチバの郊外ヴィスタ・アレグレ地区にある公園。ドイツからクリチバに移民してきた人々に感謝することを目的として、ドイツの文化や伝統に敬意を表するためにつくられたものである。人々の多様性は都市の強みであるという認識が高まっているなか、このような移民の母国の文化・歴史をコンセプトに活かした公共空間づくりは非常に賢明なアプローチであると考えられる。
(ブラジル連邦共和国)
クリチバの街を移動していると、ランドマーク的な場所で印象的な壁画を見ることができる。ナポレオン・ポティグアラ・ラザロット(Napoleon Potyguara Lazzarotto, 1924-1998)の作品である。彼の壁画によって、そこに住む人々にとっては自分達の日々が客観化され、都市や人々と自分の関係性が確認される。そして、外からの訪問者には、クリチバという都市の理解を促進させる効果がある。都市における壁画というメディアの有効性を我々に気づかせてくれる。
(日本)
京都市の烏丸御池駅という京都屈指の一等地に立地する京都国際マンガミュージアム。昭和初期に建てられた龍池小学校の校舎を活用し、地元市民との協議を経て2006年に開館した京都市と京都精華大学の共同事業である。2017年には来館者300万人を記録。外国人の訪問客も多く、京都市の調査では外国人の市内訪問先トップ25にランクインしている。
(フィンランド共和国)
ヘルシンキ中央図書館は、個人ではアクセスが難しいものも、「共有」を通じて誰もが必要なものにアクセス可能になるという、図書館の新しい役割を教えてくれる。図書館が貸すのは「本」や「CD」に限られる必要はない。音楽スタジオ、撮影スタジオ、仕事場(オフィス)、ゲーム機とゲーム・ソフト、高級工具であっても構わないのである。
(日本)
自由が丘というと、お洒落な街というイメージがあり、日本を代表するデベロッパー企業の力によって華やかな街づくりが展開されているような印象を持っている人も少なくないと思われる。しかし、自由が丘は、地元の人達がボトム・アップ的に地味な努力を絶えず積み重ねながらつくられた街なのである。
(日本)
2011年3月11日、東日本大震災が起きた。宮城県石巻市釜谷地区にあった大川小学校では、学校のそばを流れる北上川を遡上してきた津波によって児童・教職員84名が犠牲となり、小学校周辺の地区でも418名が犠牲となる惨事となった。この被災した小学校の遺構をどうするのかを検討することは、遺族にとって、住民にとって、そして行政にとって難しい課題となった。
(日本)
住民参加がなぜ必要なのか。それをする意義はどこにあるのか。このような質問に見事に回答してくれるのが「さいき城山桜ホール」である。逆境を乗り越えるために市民参加を徹底的に推し進めた結果、魅力あふれる市民の広場が実現した。2021年、国土交通省「都市景観大賞」受賞。
(日本)
さんきたアモーレ広場は、神戸市の三宮駅の東口にある約1,000平米の広場。サンキタ通りはこの広場を起点とし、阪急三宮駅の高架下に沿って延びている。さまざまな課題に悩まされていたが、神戸の玄関口にふさわしい空間をめざして再整備され、魅力的な空間へと改善された。
(日本)
都心部における緑地不足の状況を改善したこの事業のポイントは、4車線・幅20メートルの車道を集約的に配置することで、駅前という一等地において市民が憩える緑の広大なる芝生広場をつくることに成功したことにある。2014年には第1回九州まちづくり賞(ホルトホール大分と大分いこいの道の一体的整備によるにぎわいの創出)、2019年には景観大賞(大分駅南地区)を受賞している。
(日本)
桜木町駅から新港地区のシンボルである赤レンガ倉庫までを結ぶ500メートルに及ぶ歩行動線。歴史軸と位置づけられた鉄道路線跡は、「みなとみらい21」に散在する施設を繋いでいるだけでなく、過去と現在を繋いでいる。そして素晴らしい景観ビスタの形成にも成功した。まさに都市の鍼治療として優れた事例であると考えられる。
(ドイツ連邦共和国)
1972年のミュンヘン・オリンピックを契機に歩行者専用空間となったノイハウザー・ストラッセとカウフィンガー・ストラッセは、まさにミュンヘンを象徴する歴史的な通りである。カウフィンガー・ストラッセにおける一時間当たりの平均通行者数は12,975人(2011年5月)。この通行者数の多さ(ドイツ国内で4番目)が、ここをドイツで最も売上高の多い通りとしている。
(日本)
駅前の渋滞・混雑に悩まされてきた由布院駅周辺は、ちょっとした一方通行の環をつくって自動車の動線を簡潔化することにより、人々のモビリティを大幅に向上させた。モータリゼーション以前に駅前空間を整備した観光都市などにおいては、大いに参考にする価値があると思われる。
(日本)
この公園は、港そして対岸の山並を展望する視点場としても極めて優れており、長崎という恵まれた自然景観を楽しむことができる。また、平地が少なく、広い空間が乏しかった長崎中心部に人が集まる開放的な空間を創出した。2004年にグッド・デザイン・アワード、2006年に土木学会デザイン賞、2013年には長崎市景観賞を受賞している。
(日本)
大阪市大正区のウォーターフロントに出現した複合商業施設「タグボート大正」は、人口減少に悩む地元のまちづくりを牽引する役割が期待されている。河川沿いの商業施設自体が日本では珍しいが、ここでは河川に係留された船が商業施設として利用されており、日本では初めてのケース。河川法を含め、多くの障害を乗り越えて実現に辿り着いたユニークなプロジェクトである。
(日本)
世田谷区の用賀駅から世田谷美術館までを結ぶようにつくられた、歩車共存の、公園のようなプロムナード。自動車を排除せずに、しかし、子供が遊んだり、お母さん達が井戸端会議をするような、交通機能以外の、広場的空間としての機能を十二分に享受できるような工夫が為されている。
(ドイツ連邦共和国)
人口30万人のうち10万人以上の市民が自転車を利用するドイツの古都ミュンスター。多くのヨーロッパの都市が城壁跡を環状の自動車道路にしたなかで、ミュンスターは自転車と歩行者のためのプロムナードを整備した。コンサートを始めとした多くのイベントが開催されるなど、ただの交通通路ではなく、より広義の公共空間として位置づけられている。
(日本)
長崎の絶景が楽しめる観光ルートとして、稲佐山中腹の駐車場から山頂までの600メートルを結んで2020年に開業したスロープカー。その洗練されたデザインと、スロープカーの車窓からの展望も見事であり、それ自体が一つの観光の目玉になっている。
(日本)
横浜市北部に1965年に横浜六大事業の一つとして計画された港北ニュータウン。その計画理念の象徴のような役割を果たしているのが「グリーン・マトリックス」である。これは地域の貴重な緑の資源を「緑道」と「歩行者専用道路」という二つの系統のフットパスで結ぶシステムであり、港北ニュータウンのアイデンティティをつくりだしている源でもある。
(ブラジル連邦共和国)
平和の鐘公園はブラジルの南部にあるサンタ・カタリーナ州のセウソ・ラーモスにある。そこには、長崎県から送られた鐘が、鶴を模したモニュメントにて展示されている。平和の鐘は日本以外では世界に二つしかない。一つは国連の本部、そしてここセウソ・ラーモスである。
(ドイツ連邦共和国)
閉山したラインエルベ炭鉱のぼた山を中心とする50ヘクタールの地区を公園とするプロジェクト。彫刻家のヘルマン・プリガンが10メートルの高さの芸術作品を設置し、「ヒンメルストレッペ」(天国への階段)と名付けられた。それまで何もなかったぼた山の頂上にランドマークがつくられたこと、そして周辺が森と変容したことで、市民が憩える空間となった。
(日本)
モエレ沼公園は、札幌市の北東に位置する公園。マスタープランを策定したのは、世界的彫刻家であるイサム・ノグチである。ノグチ氏の急逝など、様々なハードルを乗り越えて2005年に開園した。多くの人に楽しんでもらいつつ、芸術作品をしっかりと次代に継承していくという、両立が難しい二つのバランスを取りながら市民に親しまれている。
(ブラジル連邦共和国)
ブラジル・パラナ州の州都クリチバの都心からほど近いところにゴミ捨て場となっていた保健省の土地があった。環境都市宣言をした当時、市長であったレルネル氏は、このゴミ捨て場を植物園として整備しようと考えた。温室は地元の建築家アブラーオ・アサードによって設計され、現在では、クリチバ市のランドマークとしても非常に市民に親しまれており、結婚式の記念写真の人気撮影スポットとなっている。
(日本)
長門湯本温泉は長門市の南部、音信川の渓谷沿いに広がる温泉街である。開湯は1427年と温泉としての歴史は古い。宿泊者数は1983年の39万人をピークに減少し、2014年には18万人とピーク時の半分以下となる。さらに2014年、150年の歴史を有する老舗ホテルが廃業し、温泉街の中心には広大な廃墟ビルが残る苦境に追い込まれる。そのような状況の下、市長は星野リゾートの誘致に乗り出し、大胆なプロジェクトを開始する。
(アメリカ合衆国)
デンバー美術館はデンバーのシビック・センター(行政地区)にある。ダニエル・リベスキント設計のハミルトン・ビルディングは、その斬新な意匠によって、ほとんど一夜にしてデンバー市の重要なランドマークとして人々に認識されることになった。また都市計画的にも、行政地区の西端に集客施設をつくり、都心部を西に拡張させる役割も果たしている。
(日本)
既存の美術館の硬直性を、設計という創造的行為によって解放させようとした内井昭蔵と建築設計事務所のスタッフの熱意が、生活美術館、オープン美術館、公園美術館という斬新な視座をもたらし、それを「健康な建築」という大きな理念で包み込むことに成功した。
(ドイツ連邦共和国)
IBAエムシャーパークの事業として、ボットロップ市のバーテンブロック地区のぼた山の上に1995年につくられた。それは鋼鉄でできた一辺60メートルの三角錐の建築構造物で、底面は地面から9メートルの高さに浮いている。ここからはまさに360度のルール地方の展望を得ることができる。
(ブラジル連邦共和国)
ブラジルを代表する建築家オスカー・ニーマイヤーの設計によるブラジリアの大聖堂。その建築的造形の美しさとカトリック国としての存在を強く新首都において主張するこの大聖堂の存在は、ブラジルという国のアイデンティティを強烈に主張し、その都市の象徴としての役割を見事に果たしている。
(フランス共和国)
パリはホーブール地区の市場跡地に、ポンピドー大統領の指示によって1977年につくられたモダン・アート(現代美術)のための文化施設。そのデザインは、当時、随分と突飛な印象を人々に与えた。設計者のレンゾ・ピアノはその意図を「いかめしい文化施設のイメージを破壊したかった」(Figaro, 2017年2月)と述べている。
(アメリカ合衆国)
イースト・リバー沿いにある34ヘクタールの公園。ウォーターフロントの2キロメートルの長さの土地を公園として開発した。2008年から開始された埋め立て事業には、ワールド・トレード・センターの瓦礫が使われている。
(ベルギー)
歴史的地区が世界遺産に指定されているブルージュにおいて、新たに都市を改造する機会はほとんどない。そのような状況下では、歴史的地区の縁に存在するヘト・ザンド広場のリ・デザインは、ブルージュにとって多くの課題を解消させる千載一遇の機会であった。
(ポルトガル)
1980年頃からのヨーロッパの都市における大きな政策的トレンドは、公共空間の人間回帰である。具体的にはヒューマン・スケールを重視し、都心部における自動車の交通を制限し、歩行者を主体とした空間の再創造を図るというものだ。このデュッケ・ダヴィラ・アヴェニーダの試みもそのようなトレンドの延長線上にある。ただリスボンでも都心部ではなく、どちらかというと自動車利用が高い近郊部において、このような歩行者主体の公共空間をつくろうと試みたことが注目に値する。
(フランス共和国)
シトロエン公園はジャヴェル駅に近く、パリのように圧倒的に土地に対する需要が高い大都市においては、ビジネス的には喉から手が出るほど欲しい、幾らお金を出しても買いたい、と思う企業がいくらでもいたであろう。それを敢えて、そのような商業的な土地利用をせずに、公園として広く人々が活用できる公共空間として整備をした。
(シンガポール共和国)
都市の格が急上昇しているシンガポールであるが、世界都市としての歴史が浅いため、そのアイデンティティが確立できていないことが、そのアキレス腱ともなっている。そこで、夜間照明のデザインのマスタープランを策定することで、シンガポールの新しい都市像を創造することが企画された。
(シンガポール共和国)
シンガポールのシンボルであるマーライオンがあるシンガポール川の河口は、エスプラネード橋でマーライオン公園と対岸のエスプラネード劇場とが結ばれていた。そこに、新たにこの橋と平行するように2015年につくられたのが歩行者専用橋であるジュビリー橋である。
(スウェーデン王国)
インターネットの普及によって、図書館には人々が集まり、交流する、より広場的な機能が求められているように思われる。ストックホルム市立図書館は、まさに人が来たくなるような空間的魅力に溢れている。
(スウェーデン王国)
ストックホルムの冬の夜は長い。そのような中、地下鉄といったそうでなくても日が差さない陰鬱な空間において芸術作品を展示をすることで、そこを創造的・刺激的な空間へと変容させることにした逆転の発想は、まさに「都市の鍼治療」的な事例であると考えられる。
(スウェーデン王国)
建築の流行などというものを超越した、人は生まれれば死ぬ、という不変的事実を受け入れる場所としての墓地を具体化させたこと、特に北欧人にとって精神的な拠り所でもある「森」へ再び戻るという深層意識を空間的に表現した、まさに聖なるランドスケープである。
(ブラジル連邦共和国)
レルネル元市長のもと、世界トップクラスの公園都市へと変貌したクリチバ市。しかし、その公園の芝生を管理する予算がなかった。ブレイン・ストーミングを市役所でしたら、ある職員が羊にやらせればいい、と提案した。
(フランス共和国)
パリの12区にある4.9キロメートルに及ぶ世界で最初に高架橋につくられた直線上の回廊公園である。一度、このプロムナード・プランテに上ると自動車をまったく意識せずに、パリの空中散歩を楽しむことができる。
(ドイツ連邦共和国)
アカデミー・モント・セニスは、ルール地方にあるヘルネ市のモント・セニス炭鉱跡地につくられた研修施設を中核とした複合機能施設である。そこには、研修者向けの宿泊施設、さらには図書館、地域センター、オフィス、そしてヘルネ市の派出所などが入っている。
(スコットランド)
これは、スコットランド唯一のミレニアム・プロジェクトであり、地球とその環境に関しての展示が為されている地球環境教育施設である。地球の資源が有限であること、環境に配慮しないで活動することによって、必ずしっぺ返しが来ることを、強制的ではなく自らの思考の結果として得られるような見事な展示構成がなされている。
(ノルウェー王国)
雑草が生い茂り、オスロ市内でも最もイメージの悪い地区の一つとなってしまったるヴァルカン地区。しかし、2004年にAspelin Ramm、Anthon B Nilsen Property Developersというデベロッパー会社によって、ほぼ100%民間主体でミックスドユース地区へと再開発され、オスロ市内でも有数のアーバニティ溢れる人気のスポットへと変貌している。
(ノルウェー王国)
筆者は、取材のためにオスロ市を滞在中、3回ほどこのオペラハウスを訪れたが、昼夜を問わず常に人で溢れていた。オペラを観劇しない人々もここを訪れているのである。
(ポルトガル)
空に浮かぶ無数の色とりどりの傘の群れ。何も資源がない町でも、アートを使えば新しい魅力を創出できるということを広く世に知らしめた素晴らしい鍼治療の事例。
(アメリカ合衆国)
淡水水族館として世界級のテネシー水族館は、チャタヌーガ市の再生を象徴するランドマーク。
(日本)
黒壁スクエアのユニークなところは、地元産業ではないガラスを街づくりのテーマにしたことである。通常、街づくりを考えるうえでは、地元の歴史などそのアイデンティティを活かすことが有効であり、王道であると捉えられている。
(ブラジル連邦共和国)
リオの市長は「都市のためにオリンピックがあるのだ。オリンピックのために都市がある訳ではない」と頻繁に市民に伝えていたそうである。オリンピック自体がある意味で、極太の都市の鍼治療であるともいえよう。リオデジャネイロは、見事、このオリンピックを用いてオリンピック会場以外であったポルト・マラビーリャをも「治療」し、再生させてしまった。
(ドイツ連邦共和国)
ハッピー・リッツィ・ハウスはドイツの中堅都市ブランシュヴァイクの都心部にある漫画のようなイラストが描かれた家の集合体である。
(ブラジル連邦共和国)
ここは更地に新しくつくった訳ではない。人々から忘れ去られていたニーマイヤーの建築物をも新たに再生するという意義も有していたのである。計画当時、パラナ州には美術系の博物館がなかった。
(日本)
構想時の理念は、これをイベントで終わらせないで、都市を魅力化させるトリガーとして位置づけるというものであった。単に道路空間だけでなく沿道の建物や寺社、またはランドマーク等もライトアップすることで、御堂筋という回廊全体の夜間景観を見事に演出している。
(スペイン)
完成してから5年、この建物は近代的で極めてユニークな意匠が為されているにも関わらず、世界遺産にも指定されている地区を擁するセビージャの旧市街地に見事に融和している。
(香港特別行政区)
ジョギングをしている人、ギターの演奏をしている人、運動器具でシェイプアップしている人、散策をしている人、パーゴラの下で読書をしている人などを見るにつけ、優れた公共空間を整備することで都市生活はかくも豊かになるのだな、ということを改めて確認する。
(日本)
線路の線形を変更させるなど、空間整序を優先的に捉え、長期的なビジョンから、この駅を設計した。妥協を許さないデザイナー達の胆力が問われるような交渉を経て、初めて実現できたことなのではないかと推察する。旭川市の象徴として素晴らしい公共施設。
(ブラジル連邦共和国)
クリチバ市の政策的課題として、経済格差の隔たりと児童の教育問題がある。クリチバは90年代にこの「知識の灯台」や「環境寺子屋」といった子供の生活環境を改善させる試みに多く取り組んだ。
(日本)
平和通り買物公園は、北海道の旭川市の駅前にある歩行者専用道路である。最初に車両交通の禁止を検討したのは1963年。その後、1969年に社会実験として道路から自動車を排除させ、その良好な結果を受けて、1972年6月には日本で最初の恒久的歩行者天国となった。これは、銀座の歩行者天国事業よりもはやい。
(ドイツ連邦共和国)
デッサウでは、住宅市場の供給過剰に対応するために不要な建物を撤去した跡地を、「図」ではなくむしろ「地」に注目した都市像として提示している。そして、この「地」を空間的にネットワーク化し、新しく創出されたランドスケープを人々に認識してもらうために、それらを「赤い糸」で繋ぐことにした。
(ドイツ連邦共和国)
ジャイメ・レルネル氏は天才を巧みに都市づくりに活用すべきだと指摘する。あまり天才に恵まれていないマグデブルクもフンデルトワッサーが足跡を残してくれたおかげで、新たな都市のイコンが創造され、都市の貴重な宝物が付け加えられたのである。
(オーストリア共和国)
フンデルトヴァッサーのデザインは楽しく、その周辺、そして都市をわくわくさせる力を有している。直線を嫌う、その絵画的なデザインは、自然の造形からのインスピレーションにもとづき、そのカラフルな色彩はあたかも建築に生命を吹き込んでいるかのごとく映る。
(日本)
日本の都市は欧州の都市と違って、広場がないとよく指摘される。しかし、なければ創ればいいだけである。創れば人も使うであろう、という発想でつくったのだろうと思われるのがグランドプラザである。
(アメリカ合衆国)
使用されなくなったブラウンフィールドであるウォーターフロントを見事に再生させ、ボルティモア市は税収が増え、市民は魅力的な消費空間が提供され、さらに失業者には雇用が創出されるなど、誰もがメリットを生じることになった。都市の鍼治療というには、大胆で大規模な再開発プロジェクトではあるが、その精神性では通じる点があると考え、ここに紹介させてもらう。
(日本)
富山ライトレールは単なる交通サービスを提供しているだけでなく、富山市が抱える都市課題の解決手段としても位置づけられている。富山市は「コンパクトなまちづくり」を指向している。鉄軌道などの公共交通を活性化させ、その沿線に居住、商業、業務、文化等の都市機能を集積させ、公共交通を軸とした拠点集中型のコンパクトなまちづくりを目指しているのである。
(デンマーク王国)
イスラエル広場(南)はコペンハーゲンの中心部にある公共広場。その設計コンセプトは「地面に浮かぶ空飛ぶ絨毯」である。市民の利益を最優先に考えた、コペンハーゲン流の都市デザインがそこにある。
(ブラジル連邦共和国)
「都心は自動車ではなくて人間のためにあるべきである」という信念のもと、レルネル市長は連休中の3日間で2ブロックほどの道路の舗装を剥がし、そのうえに花壇を置き、自動車を通れなくした。1972年5月20日のことである。
(チェコ共和国)
味気ない郊外住宅地に現れた宇宙船のような地下鉄駅。地域アイデンティティの薄い地域に強烈なランドマークをつくりだすと同時に、交通移動のハブとしての象徴性をも見事に表現することに成功した。
(スペイン)
スペインは北東部に位置するバスク州の首都ともいえるビルバオ。鉄鋼業や造船で栄えるも、1970年代以降、これら産業が衰退すると同時に人口も縮小しはじめる。工業都市からサービス産業へと産業構造の大転換を図ることになり、そのために大きく都市開発を推進するのだが、その起爆剤となったのがビルバオ・グッゲンハイム美術館であった。
(アメリカ合衆国)
ハイラインはニューヨークに新しく出現した公共空間であり、また観光スポットである。それは、マンハッタンの西側、ハドソン川沿いにて放置されていた元高架貨物鉄道の跡地を公園として再生したものだ。
(アメリカ合衆国)
サンディエゴのダウンタウンに位置するホートン・プラザは、サンディエゴ市の再開発局の業務を代行する都心部開発公社(Center City Development Corporation)と民間デベロッパーのハーン社(Ernest W. Hahn, Inc.)との官民パートシップによって実現されたプロジェクトである。
(スペイン)
この大プロジェクトによって、マドリッドは河川という新たな都市景観を獲得し、また数少ない貴重なウォーターフロントを憩いの場に変容させた。週末には6万人が訪れるレクリエーション空間にもなっている。それまで自動車が占用していたウォーターフロント沿いのプロムナードを歩くと、ルイス・ガジャルドンはマドリッド市民にとって、とてつもなく素晴らしいプレゼントをあげたのだな、ということに気づかされる。世紀の大鍼治療である。
(ドイツ連邦共和国)
ヨーロッパの工業の中心とも形容されたルール地方の中核都市の一つドルトムント。このドルトムントを始めとしたルール地方は、産業転換で不必要となった巨大な工業用地がたくさんある。フェニックス・ゼーは同市の南部、ヒューデ地区に位置するティッセン・クルップ社の溶鉱炉と製鉄所があった場所の再開発プロジェクトである。
(デンマーク王国)
スーパーキーレンは、コペンハーゲン市の西部にあるノーブロ地区につくられた公園。その面積は3ヘクタールに及び、3つのエリアから構成される。赤の広場、黒の市場、緑の公園である。赤の広場は近代的な公園の機能を持たせており、カフェや音楽、スポーツ活動が行える施設・空間が配置されている。黒の市場は、伝統的な広場であり、噴水やベンチが置かれている。そして、緑の公園はピクニック、スポーツ、犬の散歩などに使われている。
(デンマーク王国)
バナンナ・パークは5000㎡の運動公園で、運動場、巨大なバナナの形状をした盛り土、芝生、ちょっとした森、クライビング用の壁などが設置されている。都心から西部にあるノアブロ地区の土壌汚染された工場跡地につくられた。バナンナ・パークの地主は、そこを住宅として開発しようと考えていた開発業者に売り渡そうとしていたのを、市役所が干渉して、代わりに市が購入して、この地区周辺に不足していた緑地、そして公共空間を提供するようにした。
(日本)
高松港の貨物保管場所のために、昭和初期に建設された古い倉庫群がある。これらの倉庫は、宇高連絡船が営業中止になり、その結果、その役割を果たさなくなった。そして、周辺も人々に忘れられた賑わいのない地域へと変貌してしまった。その古い倉庫を活用して商業開発をして、新しい情報も発信するようにして、地域もまた人々に目を向けさせるようにしたのがこの北浜アリーである。
(ドイツ連邦共和国)
ドイツはノルトライン・ヴェストファーレン州にあるデュースブルクの北部地区にあったティッセン社の製鉄所跡地を公園として再生した事例である。この製鉄所は1985年に操業を停止した後、周辺を汚染したまま放置されていた。
(アメリカ合衆国)
コロラド州のボルダーの中心市街地に、パール・ストリートという4ブロックに渡る歩行者専用モールがある。ここは、常に人が溢れて賑わっている大変活力のあるモールである。しかしこのように賑わうようになったのは、1960年代から70年代にかけてボルダー市民の大英断があったからなのである。
(日本)
墨田区と江東区を流れる運河、大横川。見事な桜並木を誇り、4月の開花時期には大勢の花見客で賑わう。この花見の季節には、土曜日と日曜日に地元商店街が「お江戸さくら祭り」を開催し、大横川には花見客を乗せた和船が行き来し、失われつつある江戸の下町情緒を感じさせる、ちょっとした地元の風物となっている。
(ブラジル連邦共和国)
針金オペラ座はブラジルのパラナ州クリチバ市にあるオペラハウスである。クリチバ市の都心から10キロメートルぐらい離れた北側の丘陵地帯にある。そこは、クリチバ市が所有していた石切場の跡地で、以前はダイナマイトを使って採石していた。しかし、市街地が発達してきたため、ダイナマイトが使用できなくなり、放置されたままになった。
(大韓民国)
チョンゲチョン川は、ソウル市内を東西に縦断するように流れ、漢江に注ぎ込む総延長10.92kmの都市河川である。このチョンゲチョン川は、頻繁に大氾濫を起こし、その治水事業は朝鮮王朝時代からの大きな課題であった。
(イングランド)
イギリスの北東部、ニューキャッスル市とゲーツヘッド市の境界を流れるタイン川に架けられた歩行者・自転車専用のアーチ橋。この橋がつくられたことで、バルチック現代美術館をはじめとしたゲーツヘッド市のウォーターフロントを訪れる人が増え、かつての工業地区は文化地区として大きく変貌を遂げつつある。
(アメリカ合衆国)
シアトル市の北部、ダウンタウンのスカイラインの見事な展望が望めるユニオン湖に面した場所に位置する広大な公園。ここは工業跡地が公園として生まれ変わった世界でも初めてのケースであり、以後の工業跡地の公共用地への転換への流れをつくった。
インタビュー
(建築家・元クリチバ市長)
「よりよい都市を目指すには、スピードが重要です。なぜなら、創造は「始める」ということだからです。我々はプロジェクトが完了したり、すべての答えが準備されたりするまで待つ必要はないのです。時には、ただ始めた方がいい場合もあるのです。そして、そのアイデアに人々がどのように反応するかをみればいいのです。」(ジャイメ・レルネル)
(横浜市立大学国際教養学部教授)
ビジネス、観光の両面で多くの人々をひきつける港町・横浜。どのようにして今日のような魅力ある街づくりが実現したのでしょうか。今回の都市の鍼治療インタビューでは、横浜市のまちづくりに詳しい、横浜市立大学国際教養学部の鈴木伸治教授にお話を聞きました。
(福岡大学工学部社会デザイン工学科教授)
都市の鍼治療 特別インタビューとして、福岡大学工学部社会デザイン工学科教授の柴田 久へのインタビューをお送りします。
福岡市の警固公園リニューアル事業などでも知られる柴田先生は、コミュニティデザインの手法で公共空間をデザインされています。
今回のインタビューでは、市民に愛される公共空間をつくるにはどうすればいいのか。その秘訣を伺いました。
(地域計画家)
今回の「都市の鍼治療インタビュー」は、九州の都市を中心に都市デザインに携わっている地域計画家の高尾忠志さんへのインタビューをお送りします。優れた景観を守ための開発手法や、複雑な事業を一括して発注することによるメリットなど、まちづくりの秘訣を伺います。
(大阪大学名誉教授)
1970年代から長年にわたり日本の都市計画・都市デザインの研究をリードしてきた鳴海先生。ひとびとが生き生きと暮らせる都市をめざすにはどういう視点が大事なのか。
これまでの研究と実践活動の歩みを具体的に振り返りながら語っていただきました。
(クリチバ市元環境局長)
シリーズ「都市の鍼治療」。今回は「クリチバの奇跡」と呼ばれる都市計画の実行にたずさわったクリチバ市元環境局長の中村ひとしさんをゲストに迎え、お話をお聞きします。
(大阪大学サイバーメディアコモンズにて収録)
お金がなくても知恵を活かせば都市は元気になる。ヴァーチャルリアリティの専門家でもある福田先生に、国内・海外の「都市の鍼治療」事例をたくさんご紹介いただきました。聞き手は「都市の鍼治療」伝道師でもある、服部圭郎 明治学院大学経済学部教授です。
(龍谷大学政策学部にて収録)
「市街地に孔を開けることで、都市は元気になる。」(阿部大輔 龍谷大学准教授)
データベース「都市の鍼治療」。今回はスペシャル版として、京都・龍谷大学より、対談形式の録画番組をお届けします。お話をうかがうのは、都市デザインがご専門の阿部大輔 龍谷大学政策学部政策学科准教授です。スペイン・バルセロナの都市再生に詳しい阿部先生に、バルセロナ流の「都市の鍼治療」について解説していただきました。
(建築家・東京大学教授)
「本当に現実に向き合うと、(統計データとは)違ったものが見えてきます。この塩見という土地で、わたしたちが、大学、学生という立場を活かして何かをすることが、一種のツボ押しになり、新しい経済活動がそのまわりに生まれてくる。新たなものがまわりに出てくることが大切で、そういうことが鍼治療なのだと思います。」(岡部明子)
今回は、建築家で東京大学教授の岡部明子氏へのインタビューをお送りします。
(東京工業大学准教授)
今回の「都市の鍼治療インタビュー」は、東京工業大学准教授の土肥真人氏へのインタビューをお送りします。土肥先生は「エコロジカル・デモクラシー」をキーワードに、人間と都市を生態系の中に位置づけなおす研究に取り組み、市民と共に新しいまちづくりを実践されています。
(東京都立大学都市環境学部教授)
人口の減少に伴って、現代の都市ではまるでスポンジのように空き家や空きビルが広がっています。それらの空間をわたしたちはどう活かせるのでしょうか。『都市をたたむ』などの著作で知られる東京都立大学の饗庭 伸(あいば・しん)教授。都市問題へのユニークな提言が注目されています。饗庭教授は2022年、『都市の問診』(鹿島出版会)と題する書籍を上梓されました。「都市の問診」とは、いったい何を意味するのでしょうか。「都市の鍼治療」提唱者の服部圭郎 龍谷大学教授が、東京都立大学の饗庭研究室を訪ねました。
お話:饗庭 伸 東京都立大学都市環境学部教授
聞き手:服部圭郎 龍谷大学政策学部教授