205 柳川市の堀割の復活(日本)

205 柳川市の堀割の復活

205 柳川市の堀割の復活
205 柳川市の堀割の復活
205 柳川市の堀割の復活

205 柳川市の堀割の復活
205 柳川市の堀割の復活
205 柳川市の堀割の復活

ストーリー:

 福岡県柳川市は市内を堀割が縦横に流れている水郷都市である。堀割の「どんこ舟」による川下りは観光客に人気で、ウナギ料理も有名な「水の都」として知られている。人々はこの堀割をうまく活かしつつ生活しているようで、堀割には一切の柵がなく、堀割のウォーターフロントと水田、そして家などの建築物が見事に調和された田園景観をつくりだしている。世界にも誇れるような人と自然環境とが見事に共存できている素晴らしい事例だという印象を、ここを初めて訪れた人達は抱くであろう。まさか、この堀割が埋め立て工事によって消滅寸前の危機に直面したことがあったなどということは想像できないのではないだろうか。それだけ、現在の柳川の水郷景観は風土と地域文化にマッチしているように映えるからだ。
 この柳川の堀割をテーマとした映画がある。『風の谷のナウシカ』や『千と千尋の神隠し』などの名作アニメで知られるスタジオ・ジブリの高畑勲氏が監督した作品である。高畑氏は、この柳川をアニメの舞台として登場させるつもりで現地のロケハンをしていた時、柳川の堀割を再生させるために奮闘した市職員、広松伝氏のことを知り、柳川を舞台としてではなく、主人公として取り上げるドキュメンタリーを製作することを決めた。これが、『柳川堀割物語』という1987年に公開された168分にも及ぶ映画である。
 柳川の堀割がつくられたのは弥生時代にまで遡る。干拓地で真水が入手しにくかった柳川では、雨水を貯めるための堀割をつくった。16世紀になると柳川城がつくられ、防衛のために縦横に堀割が広がる。第二次世界大戦前ぐらいまでは、良質の井戸水に恵まれなかった柳川の人々にとって、堀の水は飲料水でもあった。当時は、福岡県令「飲用河川取締規則」というものが制定されており、そこでは生活排水を始め、いかなる排水をも堀割には流してはならない、と記されていた。そこで、人々は家庭排水を田んぼにほられた穴に捨てるようにしていた。農家ではレンコン畑をつくり、そこに排水を捨てていたそうだ。
 しかし、第二次世界大戦後、都市化が進み、生活様式が近代化されるにつれ、家庭排水がこの堀に捨てられ始める。そして、1970年頃になると、柳川の堀にはごみが捨てられ、水も流れず、悪臭を放つなど、ほぼ死に瀕していた。柳川市出身の作家、檀一雄氏は知人の市長宛に送った当時の手紙の中に、次のように書いている。
 「我がふるさとはしぶたも住まず、蚊蚊ばかり」。
 その対策として、当時の古賀市長は、とりあえず堀をコンクリート張りにして、小規模な水路は暗渠化し、臭いものに蓋をするという計画を成立させる。これは、総工費25億円の大事業であり、柳川のまちから水路がなくなり、大きな堀だけが残るような将来が描かれたものであった。
 もはや柳川の堀も風前の灯火といった状況下の1977年、広松伝氏が都市下水道係長として異動してくる。そして、堀を埋め立てる事業に強く反対する。「市民の生活を400年支えた水路、これを汚くなったからといって埋め立てていいのか、下水道に換えていいのか」と、その事業計画を覆すことを市長に提言する。水の浄化によって自然は守られているのに、水を塞いだら柳川も死んでしまう。古賀市長も一度決まったことを変えるのは相当、慎重になったが、6ヶ月の期間に「万人を納得させる実現性の高い代替案」を出すことを広松氏に命じる。広松氏は早速調査を始め、柳川水路を歴史的・科学的から総合的に捉えた「河川浄化計画」を起草する。
 その計画は「水路を埋めれば柳川は沈没してしまう」と埋め立ての危険を警鐘する。これは、比喩ではない。柳川市周辺の地層は水分を7割も含む軟弱地盤である。水路を埋めて地下水に依存することになると、地盤沈下は避けられない。そして、地盤沈下をした場所は洪水が生じる。
 広松氏が代替案で提言したのは次の3点であった。

・流水を確保
・排水機能を強化
・維持管理の体制(市民参加による維持管理体制の復活)

 古賀市長は、広松氏の提案を受け、堀の埋め立て事業を白紙に戻す英断をする。ただ、埋め立てという土木事業と違って、河川浄化をするには、市役所だけが頑張っても到底無理で、住民達が取り組まないとどうにもならない。そこで住民達に、堀を埋めたてずに再生することの重要性を説き、水路を不法に占拠していたものは自ら撤去し、役所と住民とが協働してヘドロの浚渫を進めることにした。ヘドロをどこに捨てるかが大きな問題だったが、ヘドロを捨てる場所を提供する住民が出始める。このような住民の愛、そして堀を元通りに戻すことへのコミットメント、そして住民達と役所との連帯があって、柳川の堀は復活したのである。
 その後の市報に「川や堀は私たち市民すべての共有財産です」と書かれたが、そのような意識が共有されたことで、柳川市はその環境、風土だけでなく、コミュニティの連帯をも維持することに成功したのである。
 『柳川堀割物語』は、このコンクリート化を阻止した10年後につくられた。

キーワード:

自然共生, 水循環, 持続可能, 堀割, ウォーターフロント, 市民参加, 都市観光

柳川市の堀割の復活の基本情報:

  • 国/地域:日本
  • 州/県:福岡県
  • 市町村:柳川市
  • 事業主体:柳川市
  • 事業主体の分類:自治体 
  • デザイナー、プランナー:広松伝
  • 開業年:1978

ロケーション:

都市の鍼治療としてのポイント:

 柳川を歩いて驚くのは、景観的に優れていることである。なぜかと考えて、堀に柵がないからだということに気づく。それは、人と水がお互い近いからである。堀割の水が澄んでいるが、それは観光協会が毎朝、川下りコースの堀を清掃し、それ以外の場所は市役所が清掃しているからである。それは、積極的に人々が環境へと関与することによってつくられる美しさである。
 柳川の堀割の復活を「都市の鍼治療」として紹介するのは適切ではないかもしれない。それは、多大なるエネルギーと労力によって、それが成し遂げられたからである。しかし、堀割がヘドロにまみれた際、臭いものに蓋をするという大手術のような堀の埋め立て事業ではなく、そのヘドロを掬い、その根源的な問題に真っ正面から取り組むという、根気は必要だが、地道に問題を解消させていくというアプローチを採用した。そして、水路を維持するために不可欠な、水路との「煩わしい付き合い」を伴う市民参加を復活させることによって、都市における水との共生を守り、アメニティを蘇らすことに成功する。そういう点では、トップダウン型の画一的な対策ではなく、ボトムアップ型の地域固有のアプローチを採用した事例でもあり、「都市の鍼治療」的であると思われる。
 柳川の堀割の復活は、日本人はもちろんのこと、世界の人にも、水と人との不可分な関係性、そして水なしでは生きていくことができない人間という存在、さらに水といかに共存することがサステイナブルな社会に不可欠な条件であることを伝える。この取り組みは柳川市を救っただけではなく、広く世界中の都市に、どのように水をマネジメントするべきかを示唆している、極めて貴重な事例であると考えられる。

【取材協力】柳川市役所
【参考資料】DVD『柳川堀割物語』(じぶり学術ライブラリー)

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