266 石巻市震災遺構大川小学校(日本)
ストーリー:
2011年3月11日、東日本大震災が起きた。宮城県石巻市釜谷地区にあった大川小学校では、学校のそばを流れる北上川を遡上してきた津波によって児童・教職員84名が犠牲となり、小学校周辺の地区でも418名が犠牲となる惨事となった。津波による避難において、小学校側に過失があったと遺族が裁判を起こすなど、この悲劇は、地震という天災だけではなく、人災という側面もあり、多くの人々に遺恨を残すことになった。
そのような状況下、この被災した小学校の遺構をどうするのかを検討することは遺族にとって、住民にとって、そして行政にとって難しい課題となった。
石巻市は震災後、震災復興基本計画を策定し、震災伝承を重要な事業として位置づける。そして、大川小学校より早い時点で、震災遺構である門脇小学校をどのようにするかの検討を2013年には開始した。そして、2015年3月、大川地区の住民がつくった「大川地区復興協議会」にて、同小学校をめぐって「保存」、「一部保存」、「解体」を選ぶアンケートが実施された。その結果、多数が「保存」を選択し、協議会は、校舎全体を保存して周辺を「鎮守の森」として整備することを地元の総意であることを記した要望書を石巻市に提出する。
石巻市はそれを受け、2016年7月から2017年3月までの期間、大川小学校旧校舎の震災遺構検討会議を5回ほど開催する。この設置目的は、大川小学校旧校舎を全体保存することとし、周辺は慰霊・追悼の場としての整備を行うという方針に基づき、「震災遺構整備計画」を策定するにあたり、幅広い意見を反映させることであり、そのために大川地区復興協議会(6名)、大川小学校遺族会(6名)、学識者(1名)、市職員(12名)など32名から構成された。
そして、これらの犠牲者の慰霊・追悼の場であるとともに、震災被害の事実、学校における事前防災と避難の重要性を伝えることを目的とした。
2019年10月には学校側の津波対策の不備を認めた仙台高裁判決が確定する。2020年には遺構整備の工事が始まる。2021年7月18日、震災遺構の一般公開が始まった。校舎内には柵があって入ることはできないが、津波の苛烈さを物語る教室や廊下を見ることができる。大川小学校の悲惨さがあまりにも衝撃的であったために、大川地区では旧大川小の児童以外にも合計で418人が死亡・行方不明になっていることが忘れられがちである。大川小以外でも大勢の人が犠牲になったことも、しっかりと次世代に継承させるために「大川震災伝承館」を小学校の敷地内に設置し、各集落の被害状況や、地元の伝統的な祭りや歴史なども展示することにした。
キーワード:
震災遺構, 記憶の継承, 記憶装置, 博物館, 資料室
石巻市震災遺構大川小学校の基本情報:
- 国/地域:日本
- 州/県:宮城県
- 市町村:石巻市
- 事業主体:石巻市
- 事業主体の分類:自治体 市民団体
- デザイナー、プランナー:AL建築設計事務所、総合設計研究所、西澤徹夫建築事務所、オンサイト計画設計事務所、構造計画研究所等(ジョイント・ヴェンチャー)
- 開業年:2021
ロケーション:
都市の鍼治療としてのポイント:
震災の遺構を保全すべきかどうか。これは、難しい課題である。そこで、多くの人々が災害に巻き込まれたとしたら尚更である。その場所を見るたびに、凄惨な悲劇を思い出してしまう。大川小学校も、校舎を残したいと思っていた遺族は少なかった。
しかし、そのような遺構が残されないと、その悲劇も忘れ去られてしまう。それを同時代の人だけでなく、次世代の人々にも「悲劇が起きたことと、なぜ悲劇が起きたのか」を伝えることも重要であると考える遺族もいた。「大川小の教訓を広めてほしい」との思いから、大川小を訪れる見学者の前で説明を始める遺族も出始めた。
一方、被災した大川小の惨烈たる残骸は、多くの児童や教職員がそこで亡くなったという事実を強烈に見るものに訴える。それは、学校現場での防災意識の高まりを否が応でも喚起する圧倒的な存在感を有していた。
校舎をめぐっては保存か、解体か、という二者択一の中、遺族や住民が随分と議論をしたが、教訓の伝承や将来の防災教育へ資することから、それを震災機構として校舎全体を保存することを2016年に当時の石巻市長であった亀山氏は表明する。そして、旧大川小は震災遺構として保存されることになるが、現在でも「校舎を見たくない」という遺族はいるそうである。ただ、その人達も「遺すと決まった以上は、より良い残し方を模索するべきだ」と現在では意見が変わってきているそうである(朝日新聞 2021/07/29)。
遺産機構として保存されることが決定される前から、全国各地から人々が校舎を訪れるようになった。これらの人々に、津波の壮絶さ、さらには災害大国における防災対策の重要性、そして命の大切さを伝えるために、この破壊された校舎は強烈なメッセージを伝えることができる。遺族にとっては辛い記憶を蘇らせる建築物の残骸ではあるが、それを保全することで未来の命を守ることに繋がるかもしれない。学校管理下で過去最大の犠牲者を出してしまった事実、それを悪夢として忘れたいという思いを越えて、子供の命を失ったことと教員の無念さを、しっかりと語り継ぐことができるのは、この校舎跡地である。そのためには、そこは極力手を加えずに遺す。そして、遺族や関係者が静かに祈れる環境を整備する。さらに、訪れる人々にこの悲劇をしっかりとした事実をもとに伝える。
天災という悲劇に対抗していくための心の盾のような役割を担う施設であると考えられる。
【参考資料】
西坂涼(2019)「震災遺構の処置決定に向けた会議棟における検討事項の変遷」日本都市計画学会、都市計画報告集、No.17
朝日新聞 2021年7月31日
朝日新聞 2021年7月29日
小さな命の意味を考える会「小さな命の意味を考える」2019年6月
【取材協力者】
龍谷大学政策学部准教授 石原遼河
類似事例:
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283 京都芸術センター
・ 震災遺構門脇小学校、石巻市(宮城県)
・ 石巻南浜津波復興祈念公園、石巻市(宮城県)
・ せんだい3.11メモリアル交流館、仙台市(宮城県)
・ 気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館、気仙沼市(宮城県)
・ 東京電力廃炉資料館、富岡町(福島県)
・ 人と未来防災センター、神戸市(兵庫県)
・ ベトナム・ワー・メモリアル、ワシントンDC(アメリカ合衆国)
・ 殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑、ベルリン市(ドイツ)
・ アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所、オシフィエンチム市(ポーランド)