232 ミュンスターの自転車プロムナード(ドイツ連邦共和国)
ストーリー:
ノルドライン・ヴェストファーレン州の歴史都市ミュンスター。この都市はヨーロッパ史的には1648年にウェストファリア条約が締結されたことで有名である。さて、このミュンスターの旧市街地の城壁跡は、多くのヨーロッパの都市のように自動車のための環状道路が整備されているのではなく、自動車が通行できないアスファルトの自転車そして歩行者のためのプロムナードが整備されている。このプロムナードは断面でみると3つの空間から構成されている。中央の空間は舗装されており、自転車が利用する。そして、その両側は歩行者用の移動空間となっている。法律的には、中央の道路は自転車専用道路ではなく、トラム(路面電車)用の空間である。したがって、自動車は走ることが法律的にはできない。その延長距離は4.5キロメートルで、城壁跡につくられているので旧市街地を囲むような環状プロムナードとなっている。
ミュンスター市の城壁は13世紀につくられた。18世紀の中頃に起きた七年戦争で、ミュンスターはたびたび占領され、城壁は壊された。1770年には著名なバロック建築家であるヨハン・コンラッド・シュラウンによって柑橘類の樹木が城壁跡に4列で植栽された。さらに城壁に沿ってつくられていた堀も埋められた。
第二次世界大戦の爆撃でミュンスターは壊滅的なダメージを受けたが、1948年からその修復工事が始まった。そして、1986年から1990年にかけて、歴史的遺産をしっかりと保全し、また生態系の維持を意識した緑地空間として大規模なリノベーションを行った。この時、自転車と歩行者の移動空間としての機能も格段に向上させた。
現在では一時間で1,200台の自転車がプロムナードを通過する。2013年の数字では、ザルツシュトラッセ通りとマウリッツシュトラッセ通りの区間を1,750台の自転車が1時間で通過したが、2003年ではこの数字はおよそ半分しかなかった。その10年間でいかにこのプロムナードの自転車利用が増えているかが理解できる。その増加数は、自転車交通によるプロムナードの混雑問題をも示している。
また、このプロムナードでは、コンサートを始めとした多くのイベントが開催される。それはただの交通通路ではなく、より広義の公共空間として位置づけられているのである。
キーワード:
自転車専用道路,城郭,自転車,アイデンティティ
ミュンスターの自転車プロムナードの基本情報:
- 国/地域:ドイツ連邦共和国
- 州/県:ノルドライン・ヴェストファーレン州
- 市町村:ミュンスター市
- 事業主体:ミュンスター市
- 事業主体の分類:自治体
- デザイナー、プランナー:Johann Conrad Schlaun
- 開業年:1770
ロケーション:
都市の鍼治療としてのポイント:
ミュンスター市は、人口30万人のうち10万人以上の市民が自転車を利用している。そして、ミュンスターには推定ではあるが50万台の自転車がある。これは、住民一人当たり2台の自転車を所有していることになる。ミュンスター市内には450キロメートル延長の自転車専用レーンが設置されている。ミュンスターはまさにドイツが誇る自転車都市なのだ。
ミュンスターを自転車で巡る。自転車も右側通行が徹底されており、自転車専用レーンを逆走している人はほぼ誰もいない。自転車専用の信号もあり、これは便利だ。さらに、皆、驚くほどタフである。私は、しょっちゅう後ろから来る自転車に抜かされた。老若男女、皆、結構速いスピードで自転車を走らせている。ミュンスターの人達が自転車を使いこなしていることが、ちょっと街中で走るだけで分かる。自転車都市という政策だけでなく、そこで生活する人たちも自転車都市を支えていることが理解できる。
ドイツで人口が20万以上の都市であるにも関わらず、ミュンスターは路面電車がまったく走っていない。しかし、プロムナードが本来的には路面電車が通る計画であったこと、そして、それによってこのプロムナードは自動車が走れなくなったことで、自転車が代わりにこのプロムナードを走り、路面電車の不在を十二分に補って余りあるような状態をもたらしていることは大変、興味深い。
多くのヨーロッパの都市は城壁跡を環状の自動車道路にした。ウィーンのリングシュトラッセがおそらく、最も有名な事例であろうが、他にもドルトムント、ミュンヘン、ブラウンシュヴァイグ、エアフルト、ライプツィヒ、マンハイムなども城壁跡を環状道路とした。そして、これらの環状道路は、多くの場合、旧市街地と周辺部を分断する障壁となっている。しかし、ミュンスターはここに自転車と歩行者の緑溢れるプロムナードを整備したことで、人間主体のアメニティに溢れる空間を出現させることに成功した。
そして、それはドイツを代表する自転車都市ミュンスターのシンボルともなっている。城壁跡に道路を整備せず、街路樹を植えた英断もさることながら、それを戦災を受けた後もしっかりとリノベーションしたことなども優れた政策的判断であったと考えられる。
【参考文献】
ヨーロッパ庭園ネットワーク(Europäisches Gartennetzwerk)のホームページ
https://wp.eghn.org/de/gaerten-2/deutschland/muensterland/die-geschichte-der-promenade-muenster/
類似事例:
038 サイクルスランゲン
039 サイクル・スーパーハイウェイ
076 自転車ステーション ミュンスター
097 シュテルヴェルク60
276 インナーハーバー橋
・ アルバーツランドの自転車政策、アルバーツラント(オランダ)
・ ハイライン、ニューヨーク(アメリカ合衆国)
・ マルモの自転車政策、マルモ(スウェーデン)
・ デービスの自転車専用レーン、デービス(アメリカ合衆国)
・ リングシュトラッセ、ウィーン(オーストリア)