175 デュッケ・ダヴィラ・アヴェニーダの歩道拡幅事業 (ポルトガル)
ストーリー:
リスボンは歴史的建築物が保全され、昔ながらのトラムが走るヒューマン・スケールが維持されている旧市街地と、それを囲むように広がる近代的な自動車対応型の市街地とから構成される。アヴェニーダ・ノバス地区は、その旧市街地と自動車対応型の郊外開発地のちょうど狭間にあり、そのため中間的な特徴を有し、モータリゼーションが進展する前に市街地の拡張とともに、19世紀にレッサノ・ガルシアの計画に基づいて開発された地区である。ガルシアはオースマンのパリ計画に影響を受け、アヴェニーダ・ノバス地区は大きな道路と秩序だった区画割がなされ、さらに街灯、電線、公園、トラムなどが敷設・建設された。
この数十年間、リスボンの歴史中心地区の北側に位置するアヴェニーダ・ノバス地区は自動車が生活環境に浸食し、自動車交通量が増えた結果、駐車スペースの設置、道路の拡幅などによって歩道は狭まり、歩行環境は悪化していく一方であった。
そのような中、2007年に同地区に地下鉄が延長することになったのだが、地下鉄の新しい駅を設置する空間がなかったことを契機として、この地区の街路構造を大きく変更することにした。
リスボン市の都市デザイナー達は、この問題を周辺の歩行環境を改善する千載一遇のチャンスであると捉え、そのケース・スタディとしてデュッケ・ダヴィラ・アヴェニーダを選んだ。都市デザイナーはここで、地下鉄駅への出入り口の空間を確保できないという問題をむしろ、この周辺環境を改善する機会と捉え、この道を歩行者空間へと、その空間構成を大きく変更することにした。周辺部は自動車利用者が多く、自動車が歩行者より優先されているような状況であったが、それも改善させることを試みたのである。それまでの自動車道路を一方通行にすることで、自動車の走行空間の一部を歩道と自転車道に置き換えることにしたのである。
その区間はフンダサン・カロウステ・グルベンキアン庭園のある交差点から、技術大学のある角までの1キロメートルである。歩道が拡張される前は斜交駐車などが為されていたが、そのような利用はなくなり、広げられた歩道部分にはオープンカフェやベンチなどが設置され、また自転車のための走行空間も設置された。
このデュッケ・ダヴィラ・アヴェニーダの歩道拡張は市民には大変、好評を博し、その後、2014年にリスボン市は「一つの地区に一つの広場」というプログラムを策定することになる。これは、デュッケ・ダヴィラ・アヴェニーダのような公共空間を広く、整備することを目的としており、リスボン市にある24の地区それぞれにその地区の人々が集まれる場所をつくることを意図しており、それが居間のように機能することが期待されている。加えて、そこへは徒歩、自転車や公共交通で容易にアクセスできることが求められている。
そして、アヴェニーダ・ノバス地区の他の広幅員の通りでも似たような事業を展開させることになる。具体的にはDefensores de Chaves、Jo?o Cris?tomo、Miguel Bombardaなどにおいてである。そして、リスボン市のマスタープランにおいても、デュッケ・ダヴィラ・アヴェニーダのように歩行者主体の公共空間整備へと舵取りすることが明記されている。
このデュッケ・ダヴィラ・アヴェニーダの歩道拡幅事業は、リスボン市の近郊地区の空間環境を大きく変えるきっかけとなったのである。
キーワード:
歩道拡張, 歩行者空間, 公共空間
デュッケ・ダヴィラ・アヴェニーダの歩道拡幅事業 の基本情報:
- 国/地域:ポルトガル
- 州/県:リスボン県
- 市町村:リスボン市
- 事業主体:リスボン市
- 事業主体の分類:自治体
- デザイナー、プランナー:N/A
- 開業年:2007年
ロケーション:
都市の鍼治療としてのポイント:
1980年頃からのヨーロッパの都市における大きな政策的トレンドは、公共空間の人間回帰と形容されるようなものである。具体的にはヒューマン・スケールを重視し、都心部における自ョ車の交通を制限し、歩行者を主体とした空間の再創造を図るというものだ。その最初の動きはオランダのロッテルダムのラインバーンから自動車を排除したというもので1953年に行われた。その動きはドイツのカッセルを始めとした幾つかの都市に引き継がれ、1962年にはその後、世界的に大きな影響を与えるデンマークのコペンハーゲンの都心部ストロイエ地区からの自動車排除という事業が為される。これは、ヨーロッパだけではなく、アメリカにまで影響を及ぼすことになるが、これを契機に北欧諸国、ドイツ、スイスなどの都市において公共空間の人間回帰を目的としたような事業が数多遂行されるようになったが、それらがスペイン、イタリア、ポルトガルなどの国の都市に影響を及ぼすのは相対的に遅かった。ちなみに、その最後尾を走っていたのはフランスのパリであったが、ようやく最近、そのような動きがみられるようになっている。
今回のデュッケ・ダヴィラ・アヴェニーダの試みもそのようなトレンドの延長線上にあると位置づけられる。ただ、デュッケ・ダヴィラ・アヴェニーダの試みは、リスボンでも都心部ではなく、どちらかというと自動車利用が高い近郊部において、このような歩行者主体の公共空間をつくろうと試みたことが評価できると考えられる。興味深いことに、21世紀においてでも、沿道の商店主はこの事業において強く反対した。先行した多くの事例において、沿道の商店は通りから自動車交通を制限し、歩行者主体にすることによって売り上げが増えるという実績があるにも関わらずである。そして、多くの先行事例と同様に、このデュッケ・ダヴィラ・アヴェニーダにおいても、歩道を拡張したことでオープン・カフェが設置でき、客が増えることになり、売り上げも増えた。そして、この事業完了後、現地の研究者によるインタビュー調査では「この事業結果にたいへん満足している」と回答している商店主が多いのだが、これも多くの先行事例と同様である(出典、参考資料)。また、同インタビュー調査では、住民をも対象にしているのだが、「生活の質、快適性、そして歩行による移動性、周辺の店舗を利用するための利便性」において大きく改善されていると述べている。ただ、一方で家賃が高騰したとの問題も指摘している。
リスボン市のアヴェニーダ・ノバス地区の在り方を大きく変更させたという点からも、デュッケ・ダヴィラ・アヴェニーダはまさに「都市の鍼治療」的事例であると考えられる。
【参考資料】
Value and Service in Public Spaces- Experimenting an urban quality assessment tool in the neighborhood of Avenidas Novas ? Lisbon: Extended Abstract Emanuel R. Lobo da Costa Vaz, Masters in Architecture Instituto Superior T?cnico Universidade de Lisboa, May 2014
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