172 ハッケシェ・ヘーフェの改修 (ドイツ連邦共和国)

172 ハッケシェ・ヘーフェの改修

172 ハッケシェ・ヘーフェの改修
172 ハッケシェ・ヘーフェの改修
172 ハッケシェ・ヘーフェの改修

172 ハッケシェ・ヘーフェの改修
172 ハッケシェ・ヘーフェの改修
172 ハッケシェ・ヘーフェの改修

ストーリー:

ハッケシェ・ヘーフェは、ベルリンのミッテ区のシェウネンフィアテル地区、ハッケシェ・マルクト駅のすぐ北側にある複合施設である。ハッケシェ・ヘーフェは中庭のある複合施設としてはドイツ最大規模のものである。
 ハッケシェ・ヘーフェのある地区はベルリン市外であったが、1731年にベルリン市が拡張するのに伴い、市域に組み込まれる。その後、ハッケシェ広場がこの地に開かれる。広場の開催と同時に、多くのユダヤ人がこの周辺に住むようになり、1866年にはシナゴーグが建てられる。
 そして、1906年にハッケシェ市場の対面にハッケシェ・ヘーフェが建設された。これは、建築家クルト・ベルントによって設計され、アール・ヌーヴォーのファサードはオーグスト・エンデルによってデザインされた。その建物は住宅、オフィス、店舗、作業場として使われ、多くのユダヤ人がここに住み、商いをした。
 建物は第二次世界大戦の被害をあまり受けなかったが、旧東ドイツ時代は、それは国が所有をしていて、1972年には歴史建築物として指定されてもいたのだが、ほとんど維持管理がされず、東西ドイツが再統一された時は、相当、荒れ果てた状態にあった。
 ドイツ再統一後の1991年にはベルリンのミッテ区役所がハッケシェ・ヘーフェの社会調査を行った。1993年に旧東ドイツ国家から、元の所有者にハッケシェ・ヘーフェが返還され、それを1994年にハイデルベルクの企業家ローランド・エルンストが取得すると、このコンセプトを保全しつつ、現代的な利用が可能となるような大規模改修事業が開始される。これには、8,000万ドイツマルクが費やされた。改修工事の基本コンセプトは、なるべくオリジナルと同様な空間利用を再現するということであった。改修工事は1997年に完了した。現在、ハッケシェ・ヘーフェの8つの建物は27,000平米の床面積を有し、40のテナントが入っている。これらのテナントには映画館、文化的な協会、カフェなどが入っている。
 ハッケシェ・ヘーフェは、現在、ベルリンでも最も刺激的なナイトライフが体験できる場所として、また昼は洗練された都会的な空間として、地元民だけでなく多くの観光客を集める場所として再生された。一方で、家賃が極めて高騰しているなどの問題も生じている。

キーワード:

商業施設, 歴史建築物保全, 複合施設

ハッケシェ・ヘーフェの改修 の基本情報:

  • 国/地域:ドイツ連邦共和国
  • 州/県:ベルリン州
  • 市町村:ベルリン
  • 事業主体:ローランド・エルンスト
  • 事業主体の分類:民間
  • デザイナー、プランナー:クルト・ベルント(建築)、オーグスト・エンデル(ファサード意匠)
  • 開業年:1993(1906)

ロケーション:

都市の鍼治療としてのポイント:

 その都市のアイデンティティを表現できるものには、どのようなものがあるのだろうか。それらは、パリのエッフェル塔、凱旋門、ロンドンのビッグ・ベン、バルセロナのサグラダ・ファミリア、サンフランシスコの金門橋、ニューヨークの自由の女神、ベルリンのブランデンブルク門だろうか。これらは確かに、ランドマークとして世界的に知られているが、しかし、そこで生活する人々の息づかいは感じられない。そういう意味では、パリのモンマルトルの丘、ロンドンのパキスタン人街であるブリック・ストリート、バルセロナのブケリア市場、サンフランシスコのチャイナタウン、ニューヨークのユニオン・スクエアの方がその都市で生活する人々の息吹といったアイデンティティを感じることができる空間であると思われる。そして、ベルリンにおいてそのような空間はハッケシェ・ヘーフェであると思われるのだ。
 ユダヤ人が多く住んで、生活を営んでいたという歴史性、アール・ヌーヴォーの時代を現在に伝える見事なファサード。そこは、移民を広く受け入れるという政策を(ナチスが台頭する以前まで)積極的に採用してきたというベルリンの伝統、そして新しいデザインの流れを積極的に導入してきたというベルリンの先取性、さらには高密なミックスド・ユースの空間利用を実践してきたアーバニティなど、都市としてのベルリンのアイデンティティが濃密に表現されている空間であると思われる。
 旧東ドイツ時代には荒廃するに任せられていたハッケシェ・ヘーフェであるが、見事、そのコンセプトを維持しての改修工事は、単に建物だけでなく、ベルリンという都市の重要な構成要素を再生するための事業であったのではないかと考えられる。

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