331 ボローニャのポルティコ(イタリア共和国)
ストーリー:
イタリアのボローニャはポルティコで有名である。ポルティコとは、通りと建物の間に設置された屋根付きの回廊のことである。そこは開放された都市の広間のような役割を担っており、日本の家屋の縁側の都市版のようだ。ボローニャのポルティコは旧市街でも38キロメートルに及ぶ。旧市街の外までも含めると全長53キロメートルまでも達する。マラソン・コースよりも長い。
ポルティコとは柱列によってつくられる玄関空間であり、壁か柱に囲まれた屋根のある空間である。ポルティコの起源は古代ギリシャまで遡る。しかし、これらは主に公共的な建築物に使われた構造であり、それが都市に張りめぐらされるように発展したのは、このボローニャとトリノである。1041年にはボローニャのポルティコがつくられていたという記録がある。当時、ボローニャの人びとは家を垂直方向にも水平方向にも拡張することは規制されていてできなかった。そこで、屋根裏の部分を街路側に押し出すようにして床面積を増やす工夫をし始めたのである。最初は梁によって、この増床した屋根裏の部分を支えていたのだが、そのうち下に柱を立てて支えるようにした。これがポルティコの始まりである。そのうち、この屋根のある空間は商いや社会活動が行われるようになり、また道路から距離が保たれたので埃などが一階部分に入るのを防ぐ役割をも果たした。
ボローニャには世界最古の総合大学がつくられた。それによって常に人口が増えたこともあり、ボローニャ市は1288年に建築法を制定する。これは、すべての家は定められた基準によって家の前にポルティコをつくるというものであった。定められた基準とは、乗馬した人が安全に通れることであり、高さが2.66メートル、しっかりと回廊内の明るさを確保するといったものであった。そして、ポルティコに机等が置かれることは禁止された。しかし、この規制は必ずしも守られず、高さも様々なものがつくられた。さらに1352年には規制が3.6メートルまで高められ、その結果、様々なタイプのポルティコがつくられることになった。
例えば、マッジョーレ通りにあるイソラニの家にあるポルティコは中世に木でつくられたポルティコであるし、サン・ジャーコモ・マッジョーレ教会の脇にあるポルティコはルネッサンス時代につくられ、そのエレガントな意匠は他とは一線を画している。ファリーニ通りのポルティコはそのフレスコ画が見事である。最長のものは旧市街地の外にある聖ルカ教会、最高のものはアルタベッァ通りのもの、最も狭いものはセンザノーメ通りのもので95センチメートルしかない。この多様なポルティコが、現在のボローニャの魅力をつくりだすことに大きく寄与している。
ボローニャのポルティコは2021年に世界遺産に登録された。
キーワード:
公共空間,ポルティコ
ボローニャのポルティコの基本情報:
- 国/地域:イタリア共和国
- 州/県:エミリア・ロマーニャ
- 市町村:ボローニャ
- 事業主体:ボローニャ市
- 事業主体の分類:自治体
- デザイナー、プランナー:N/A
- 開業年:1100年前後
ロケーション:
都市の鍼治療としてのポイント:
ボローニャのポルティコは2006年から世界遺産の候補リストに名前を連ねていた。そして、2019年にはその認定へ向けての作業が開始され、2021年2月に正式に世界遺産に登録された。ボローニャという都市を代表する建築空間の価値が世界的に認められることは素晴らしいことだと思われる。
住居面積を少しでも増やすために上階部分を突き出して床面積を増やすという方法は、ドイツの都市でもみられたが、柱を出すほど突き出し部分を増やしてしまったところにイタリア人の貪欲さを感じさせると同時に、しかし、それによってこのボローニャのポルティコができたとすると何が幸いするか分からない。そして、その価値を認識して、むしろそれを義務化させてしまった市役所の英断も素晴らしい。その結果、ポルティコはボローニャの街並みを形成する最も重要な構成要素となって今日に至っている。
ポルティコには利点が多い。まず、それは物理的に夏の暑い日差し、雨や雪を歩行者から守ってくれる。特に、ボローニャの夏の日差しは強烈で、日中に日陰でないところを歩くのは相当しんどい。ポルティコがあるお陰で歩行者は快適に移動することができる。最長のポルティコである聖ルカ教会への参道は、長くてきつい坂道をどうにか耐えられるものにしている。この参道にポルティコがなければ、参拝客は大いに減ったであろう。さらに、それは私的空間と公的空間の中間の準公的空間のような役割を果たす。そして、屋外空間と屋内空間の中間のような役割をも果たしている。あたかも都市の縁側のようなものだ。そして、住宅において縁側の空間がコミュニケーションや交流を促すのと同様に、ポルティコは都市住民のコミュニケーションや交流を促している。そこは、オープン・カフェの立地空間としては絶妙であるし、ちょっとしたパフォーマンスをするうえでも大変使い勝手がよい。都市としては有り難くはないかもしれないが、物乞いをするのにも都合がよい。
ポルティコは戦後に建てられた建築においてもつくられ、それらは現代的な意匠が施されたりもしているが、ポルティコがあるということでボローニャらしさを纏うことができる。大理石が敷かれていたり、天井にフレスコ画が描かれたりしていると、ボローニャの人達がいかにこのポルティコを大切にしているかを知ることができる。
ポルティコはイタリアの諸都市はもちろんであるが、海外でも見られるものであるが、それを代名詞とするのに最も相応しいのはボローニャであることは論を俟たないであろう。その証拠が世界遺産登録である。
このポルティコは「都市の鍼治療」という解釈では、一撃ではなく、何回も同じツボに鍼を打ち続けて成果が得られたものである。一撃で都市の状況を劇的に改善したのではないが、同じツボに何回も鍼を打ったことで、その都市の景観までをも規定するような効果が得られた。時間はかかるが、その効果は都市のアイデンティティを確定させるようなものがある。
【参考資料】
ボローニャ市観光局の公式ウェブサイト
https://blog.travelemiliaromagna.com/porticoes-of-bologna
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