ランドスケープ・デザインに関する事例
(デンマーク王国)
コペンハーゲン南東部にあるゴミ処理施設、アマー・リソース・センターは老朽化が進んでおり、それを建て替える必要があった。そこで、その建て替えのための設計コンペを2011年に行った。提案されたアイデアは、高さ85メートルの丘のようなごみ焼却発電所を建て、その屋上をスキー場にするという奇抜なものであった。完成したコペンヒルには環境教育を学ぶ施設も併設されている。ゴミ処理施設の概念を大きく変える施設である。
(ベトナム社会主義共和国)
ハノイ市の紅河の堤防に沿って、長さ6.5キロメートルにも及ぶ長大なモザイク壁画が伸びている。ハノイの遷都1000年を記念して、国内外のアーティスト、地元の職人、そして子どもたちによって制作されたものである。無粋なコンクリートの塊を、ハノイ市のアイデンティティを具体化させるような芸術作品へと転換させた見事な事例である。
(大韓民国)
ソウル市北部にある「北村」(Bukchon)の韓屋保存地区。市役所と住民が協働して守る家並みの魅力に惹かれて、今日も多くの観光客が訪れる。都市的な伝統的空間の保全をするうえで多くの示唆を与えてくれる素晴らしい事例である。
(大韓民国)
トンデムン・デザインプラザは2014年4月にソウルのトンデムン(東大門)運動場跡地につくられたソウルの新しいランドマークである。ザハ・ハディドの設計による、奇抜ではあるが、圧倒的な存在感を纏う建築と、そこに入ったテナント群、博物館、イベント等の魅力に惹かれ、オープン以降、一日3万人が訪れる集客施設となっている。
(日本)
「伝泊」は奄美大島、加計呂麻島、徳之島にある宿泊施設・複合施設。「伝統的・伝説的な建築と集落と文化」を次世代に伝えることを目的とし、奄美の建築家、山下保博氏によって計画された。空き家などの「負」の地域資産を再活用し、地域アイデンティティを掘り起こした創造的な事業として高く評価され、2020年ジャパン・ツーリズム・アワード(国土交通大臣賞、倫理賞、ダブル受賞)など数々の賞を受賞している。
(メキシコ合衆国)
コヨアカン歴史センターはメキシコ・シティの都心部から10キロメートルほど南に位置し、石畳の歩道や建築群などに植民地時代の名残を残す、個性的な雰囲気を醸し出している。そしてこのコヨアカン地区の空間アメニティの快適性を象徴するのが、センテナリオ庭園とイダルゴ広場である。そこには都市の広場が魅力的になるべき、ほぼすべての要素が含まれている。
(アメリカ合衆国)
バンカー・ヒル・ステップスはロスアンジェルスのダウンタウンとバンカー・ヒルとを結ぶ丘につくられた階段。休憩用のテラスが幾つか設置されており、小さなカフェなども置かれていて、この階段を単なる移動空間ではなく、賑わいのある公共的な空間として演出している。
(日本)
大阪市城東区にある蒲生四丁目の一画は「がもよん」の名称で親しまれている。近年、地元不動産会社の斬新なアプローチによって、それまで老朽化して使われていなかった古民家が次々に再生され、新しい街の賑わいが生まれるなど、空き家活用の先進事例として注目されている。
(日本)
象の鼻パークは横浜港の発祥の地につくられた公園 。横浜は日本で2番目の人口を誇る都市であるが、その歴史は古くない。象の鼻パークは、横浜という都市のアイデンティティを象徴する場所として、横浜港開港150周年に合わせ2009年に整備された。
(日本)
駅前の一等地に、それまで下北沢の街に不足していた、緑に囲まれた遊歩道と野原が美しく広がる。世田谷区と小田急電鉄、そしてこの街を愛する住民達との見事なコラボレーションによって誕生した素晴らしい空間である。
(ブラジル連邦共和国)
ドイツの森はクリチバの郊外ヴィスタ・アレグレ地区にある公園。ドイツからクリチバに移民してきた人々に感謝することを目的として、ドイツの文化や伝統に敬意を表するためにつくられたものである。人々の多様性は都市の強みであるという認識が高まっているなか、このような移民の母国の文化・歴史をコンセプトに活かした公共空間づくりは非常に賢明なアプローチであると考えられる。
(日本)
住民参加がなぜ必要なのか。それをする意義はどこにあるのか。このような質問に見事に回答してくれるのが「さいき城山桜ホール」である。逆境を乗り越えるために市民参加を徹底的に推し進めた結果、魅力あふれる市民の広場が実現した。2021年、国土交通省「都市景観大賞」受賞。
(デンマーク王国)
運河とカラフルな色彩の歴史建築物の景観が楽しめるコペンハーゲンの観光名所。オープン・カフェで飲食を楽しむ人々で賑わっている。しかし、ここは一昔前までは治安も決してよくなく、みすぼらしい雰囲気が漂い、運河沿いには自動車が違法駐車をするという、アメニティからはかけ離れた空間であった。どのようにして変貌したのか。
(日本)
桜木町駅から新港地区のシンボルである赤レンガ倉庫までを結ぶ500メートルに及ぶ歩行動線。歴史軸と位置づけられた鉄道路線跡は、「みなとみらい21」に散在する施設を繋いでいるだけでなく、過去と現在を繋いでいる。そして素晴らしい景観ビスタの形成にも成功した。まさに都市の鍼治療として優れた事例であると考えられる。
(ドイツ連邦共和国)
1972年のミュンヘン・オリンピックを契機に歩行者専用空間となったノイハウザー・ストラッセとカウフィンガー・ストラッセは、まさにミュンヘンを象徴する歴史的な通りである。カウフィンガー・ストラッセにおける一時間当たりの平均通行者数は12,975人(2011年5月)。この通行者数の多さ(ドイツ国内で4番目)が、ここをドイツで最も売上高の多い通りとしている。
(日本)
この公園は、港そして対岸の山並を展望する視点場としても極めて優れており、長崎という恵まれた自然景観を楽しむことができる。また、平地が少なく、広い空間が乏しかった長崎中心部に人が集まる開放的な空間を創出した。2004年にグッド・デザイン・アワード、2006年に土木学会デザイン賞、2013年には長崎市景観賞を受賞している。
(日本)
大阪市大正区のウォーターフロントに出現した複合商業施設「タグボート大正」は、人口減少に悩む地元のまちづくりを牽引する役割が期待されている。河川沿いの商業施設自体が日本では珍しいが、ここでは河川に係留された船が商業施設として利用されており、日本では初めてのケース。河川法を含め、多くの障害を乗り越えて実現に辿り着いたユニークなプロジェクトである。
(日本)
世田谷区の用賀駅から世田谷美術館までを結ぶようにつくられた、歩車共存の、公園のようなプロムナード。自動車を排除せずに、しかし、子供が遊んだり、お母さん達が井戸端会議をするような、交通機能以外の、広場的空間としての機能を十二分に享受できるような工夫が為されている。
(ドイツ連邦共和国)
人口30万人のうち10万人以上の市民が自転車を利用するドイツの古都ミュンスター。多くのヨーロッパの都市が城壁跡を環状の自動車道路にしたなかで、ミュンスターは自転車と歩行者のためのプロムナードを整備した。コンサートを始めとした多くのイベントが開催されるなど、ただの交通通路ではなく、より広義の公共空間として位置づけられている。
(日本)
横浜市北部に1965年に横浜六大事業の一つとして計画された港北ニュータウン。その計画理念の象徴のような役割を果たしているのが「グリーン・マトリックス」である。これは地域の貴重な緑の資源を「緑道」と「歩行者専用道路」という二つの系統のフットパスで結ぶシステムであり、港北ニュータウンのアイデンティティをつくりだしている源でもある。
(ブラジル連邦共和国)
レルネル氏の後を継いだグレカ市長のもとで、クリチバ市は幹線道路の一つであった「9月7日通り(Avenida Sete de Setembro)」の車幅を狭くするという事業を行なった。4車線あった通りは2車線になり、自転車道とミニ公園が生まれた。それは、自動車の利便性ではなくて、そこに住んでいる人達の生活環境のクオリティを優先した結果であった。
(デンマーク王国)
コペンハーゲンのど真ん中に、ちょっとした憩いの空間と先端的な子供の遊び場を提供するオアシスのような場所である。都心という極めて経済価値が高いところにおいて、直接的な経済価値をもたらさないものを整備することには勇気がいる。しかし、この空間をつくることで、周辺に多大なる価値を長期的にもたらすことになるのは多くの事例が我々に教えてくれる。
(日本)
名鉄豊田市駅の目の前に豊田市駅東口まちなか広場が2019年9月にオープンした。その広場はToyota Creative Base Areaの頭文字をとった「toyocba」から“とよしば”との愛称がつけられた。芝生広場の面積は560平方メートルと決して広くはないが、そこはまさに芝生しかないためにその使い方は無限の可能性を有している。
(イングランド)
リージェント運河の歩道の魅力は、ロンドン北部の魅力あるスポットを巡ることができることである。道路と交叉せずに、自動車を気にせずに歩けて、自然が多い川沿いを歩くのは快適な体験である。ロンドンという都市の本質的な豊かさ、その歴史的積み重ねなどをカーテンの裏側から覗くような楽しみも与えてくれる。
(ブラジル連邦共和国)
平和の鐘公園はブラジルの南部にあるサンタ・カタリーナ州のセウソ・ラーモスにある。そこには、長崎県から送られた鐘が、鶴を模したモニュメントにて展示されている。平和の鐘は日本以外では世界に二つしかない。一つは国連の本部、そしてここセウソ・ラーモスである。
(日本)
モエレ沼公園は、札幌市の北東に位置する公園。マスタープランを策定したのは、世界的彫刻家であるイサム・ノグチである。ノグチ氏の急逝など、様々なハードルを乗り越えて2005年に開園した。多くの人に楽しんでもらいつつ、芸術作品をしっかりと次代に継承していくという、両立が難しい二つのバランスを取りながら市民に親しまれている。
(アメリカ合衆国)
ウエスト・ポンドはデービス市の西端にある南北に長い池である。市内最大の野生動物の生息場所になっており、カナダ・グースを始めとした多くの水鳥を観察することができる。つくられた当時はただの雨水処理の貯水池であったのだが、住民達が野生動物なども生息できる環境をそこに創造することを目的としたグループをつくり、市役所などと協働して、現在のウエスト・ポンドの生態系に優しい環境を実現させた。
(ドイツ連邦共和国)
ノルドシュテーン・パークはドイツ・ルール地方のゲルゼンキルヘン市にある公園である。1993年まで操業していたツェヒェ・ノルドシュテーン炭鉱跡地につくられた。土壌汚染や水質汚染などの問題を解決しながら開発するにあたって、ゲルゼンキルヘン市は、IBA(国際建築展)だけでなく、連邦庭園博覧会までをも活用することになった。これは、いわば万博とオリンピックを同時に開催するようなもので、ある意味、非常に贅沢なことではあるが、逆にいえば、それだけ同市が本事業において失敗は許されないという自覚をもっていたことの裏返しと推察される。
(ブラジル連邦共和国)
ブラジル・パラナ州の州都クリチバの都心からほど近いところにゴミ捨て場となっていた保健省の土地があった。環境都市宣言をした当時、市長であったレルネル氏は、このゴミ捨て場を植物園として整備しようと考えた。温室は地元の建築家アブラーオ・アサードによって設計され、現在では、クリチバ市のランドマークとしても非常に市民に親しまれており、結婚式の記念写真の人気撮影スポットとなっている。
(日本)
長門湯本温泉は長門市の南部、音信川の渓谷沿いに広がる温泉街である。開湯は1427年と温泉としての歴史は古い。宿泊者数は1983年の39万人をピークに減少し、2014年には18万人とピーク時の半分以下となる。さらに2014年、150年の歴史を有する老舗ホテルが廃業し、温泉街の中心には広大な廃墟ビルが残る苦境に追い込まれる。そのような状況の下、市長は星野リゾートの誘致に乗り出し、大胆なプロジェクトを開始する。
(日本)
福岡県柳川市は市内を堀割が縦横に流れている水郷都市である。堀割には一切の柵がなく、家などの建築物と見事に調和した田園景観をつくりだしている。人と自然環境とが見事に共存できている素晴らしい事例だと、ここを初めて訪れた人達は思うだろう。まさか、この堀割が埋め立て工事によって消滅寸前の危機に直面したことがあったなどということは想像できないのではないだろうか。
(スイス連邦)
チューリッヒ市のエルリコン地区(Oerlikon)の再開発地区につくられた公園。開発にあたっての課題は、工場跡地という場所を、いかに人々に親しまれ、来たくなる(住みたくなる)場所へと転換させるかであった。しかも、この再開発地区は兵器工場であったから、そのネガティブなイメージをポジティブなものへと転換させることは、再開発成功の鍵を握っていたといえよう。
(アメリカ合衆国)
イースト・リバー沿いにある34ヘクタールの公園。ウォーターフロントの2キロメートルの長さの土地を公園として開発した。2008年から開始された埋め立て事業には、ワールド・トレード・センターの瓦礫が使われている。
(アメリカ合衆国)
マンハッタンのポケット・パーク、ペイリー・パークが1967年に開園し、ニューヨークという摩天楼の足下に小さいながらも、見事な緑の空間が創造された。それを受けて、1971年に近隣につくられたのが、このグリーンエイカー・パークである。
(アメリカ合衆国)
1967年に設計された13メートル×30メートル、わずか390㎡にしか満たない小公園は、しっかりと管理された私有地における公共空間の好例である。マンハッタンの喧噪の中にあるのだが、ひとたびこの空間に入るとその喧噪が気にならない。
(アメリカ合衆国)
1990年代前半、マンハッタンの治安はよくなかった。生け垣に囲まれて周辺から視界のないこの公園は、麻薬の取引をするには絶好の場所となってしまった。そこでニューヨーク市は、本来であれば自治体の業務である公園の管理業務を、民間のNPOのブライアント・パーク公社に任せてしまうという判断をする。しかし、この責任放棄ともとれる行為が、結果的にブライアント・パークの再生につながることになる。
(フランス共和国)
シトロエン公園はジャヴェル駅に近く、パリのように圧倒的に土地に対する需要が高い大都市においては、ビジネス的には喉から手が出るほど欲しい、幾らお金を出しても買いたい、と思う企業がいくらでもいたであろう。それを敢えて、そのような商業的な土地利用をせずに、公園として広く人々が活用できる公共空間として整備をした。
(スウェーデン王国)
建築の流行などというものを超越した、人は生まれれば死ぬ、という不変的事実を受け入れる場所としての墓地を具体化させたこと、特に北欧人にとって精神的な拠り所でもある「森」へ再び戻るという深層意識を空間的に表現した、まさに聖なるランドスケープである。
(カナダ)
アイスクリーム屋が1980年代に閉店した後、この空間は18番街を右折するためのレーンが設置されていた。このレーンの空間を市役所が潰すと判断したことで、この豊かな公共空間が生まれた。
(日本)
歩きやすい環境を活かして、湧き水を再生させ、管理し、それらをめぐる散策路を整備すれば街の活性化に繋がるのではないかという考えのもと、三島市では1996年から「街中がせせらぎ事業」を展開することにした。
(ブラジル連邦共和国)
リオの市長は「都市のためにオリンピックがあるのだ。オリンピックのために都市がある訳ではない」と頻繁に市民に伝えていたそうである。オリンピック自体がある意味で、極太の都市の鍼治療であるともいえよう。リオデジャネイロは、見事、このオリンピックを用いてオリンピック会場以外であったポルト・マラビーリャをも「治療」し、再生させてしまった。
(ブラジル連邦共和国)
計画当時、市長であったジャイメ・レルネルは、河川沿いの土地を市役所が買い取って公園にしてしまおう、と考えた。しかし、70年代初め頃のブラジルにはいわゆる公園という概念がなかった。公園の概念がない、ということは公園を整備するための予算もないということである。そこで、レルネルは洪水という災害を防止するための緑地整備ということで、連邦政府の防災予算を引き出し、それで土地を獲得して公園を整備し始めた。
(日本)
開発の仕方によっては台無しにしてしまったかもしれない、その地域のアイデンティティをしっかりと維持し、さらには市民にとって憩いの空間を創造することに成功した。日本人の都市空間デザインの質の高さを証明するような素場らしい事例であると考えられる。
(日本)
一年前、天神を訪れ、西鉄ソラリアの前のこの公園を発見して驚いた。日本にもまともな広場が存在することを知ったからである。それは、ポートランドのパイオニア・コートハウス・スクエアやゴスラーのマーケット・スクエアをも彷彿させる、ほぼ完璧な広場であった。
(ドイツ連邦共和国)
シュヴェリーン市は、湖畔へのアクセスや城周辺の公園の整備、そして道路ネットワークの再編成といった都市計画的に重要な課題を、庭園博覧会という「鍼治療」で一挙に遂行した。
(アメリカ合衆国)
ロスアンジェルスの工業地帯。治安が悪く、また土壌も汚染されていた場所が、市民参加の公園づくりによって生まれ変わった。まさにアスファルト・ジャングルの中のオアシスのような空間。
(スペイン)
この大プロジェクトによって、マドリッドは河川という新たな都市景観を獲得し、また数少ない貴重なウォーターフロントを憩いの場に変容させた。週末には6万人が訪れるレクリエーション空間にもなっている。それまで自動車が占用していたウォーターフロント沿いのプロムナードを歩くと、ルイス・ガジャルドンはマドリッド市民にとって、とてつもなく素晴らしいプレゼントをあげたのだな、ということに気づかされる。世紀の大鍼治療である。
(アメリカ合衆国)
ユルバ・ブエナ・ガーデンスはサンフランシスコの都心にある敷地の再開発である。とてつもない経済性が期待できる敷地にもかかわらず、それ自体では直接的にはお金を産み出さない公園を整備することをサンフランシスコ再開発局は決定した。マーケットの原理ではつくることができない、「大都市の真ん中の緑の広場」をつくりえたことは、このプロジェクトが住民のためのプロジェクトであることを物語っており、加えてアーバン・ランドスケープという観点からみて大変意義のあるプロジェクトであると考えられる。
(デンマーク王国)
スーパーキーレンは、コペンハーゲン市の西部にあるノーブロ地区につくられた公園。その面積は3ヘクタールに及び、3つのエリアから構成される。赤の広場、黒の市場、緑の公園である。赤の広場は近代的な公園の機能を持たせており、カフェや音楽、スポーツ活動が行える施設・空間が配置されている。黒の市場は、伝統的な広場であり、噴水やベンチが置かれている。そして、緑の公園はピクニック、スポーツ、犬の散歩などに使われている。
(オランダ王国)
エコロニア住宅団地はオランダ、アルフェン・アーン・デン・レインに位置するエコタウンである。開発面積は約2ヘクタール、供給戸数は101戸と決して大きくはないが、いろいろな実験的な試みがなされており、周辺の郊外住宅地とは一目で分かる強烈な個性を発揮している。
(ドイツ連邦共和国)
ドイツはノルトライン・ヴェストファーレン州にあるデュースブルクの北部地区にあったティッセン社の製鉄所跡地を公園として再生した事例である。この製鉄所は1985年に操業を停止した後、周辺を汚染したまま放置されていた。
(日本)
墨田区と江東区を流れる運河、大横川。見事な桜並木を誇り、4月の開花時期には大勢の花見客で賑わう。この花見の季節には、土曜日と日曜日に地元商店街が「お江戸さくら祭り」を開催し、大横川には花見客を乗せた和船が行き来し、失われつつある江戸の下町情緒を感じさせる、ちょっとした地元の風物となっている。
(イングランド)
ダイアナ・メモリアル・ファウンテンは、ロンドン市内にある広大なケンジントン公園の中にある。1997年に交通事故で他界されたダイアナ妃の記念碑としてケンジントン・パーク内につくられた噴水である。2004年7月6日に開園した。
(大韓民国)
チョンゲチョン川は、ソウル市内を東西に縦断するように流れ、漢江に注ぎ込む総延長10.92kmの都市河川である。このチョンゲチョン川は、頻繁に大氾濫を起こし、その治水事業は朝鮮王朝時代からの大きな課題であった。
(ドイツ連邦共和国)
ライン川と都心部とを分断していた国道のトンネル化と、ライン川沿いのプロムナードの整備により、デュッセルドルフのウォーターフロントは魅力的な空間に生まれ変わった。
インタビュー
(建築家・元クリチバ市長)
「よりよい都市を目指すには、スピードが重要です。なぜなら、創造は「始める」ということだからです。我々はプロジェクトが完了したり、すべての答えが準備されたりするまで待つ必要はないのです。時には、ただ始めた方がいい場合もあるのです。そして、そのアイデアに人々がどのように反応するかをみればいいのです。」(ジャイメ・レルネル)
(横浜市立大学国際教養学部教授)
ビジネス、観光の両面で多くの人々をひきつける港町・横浜。どのようにして今日のような魅力ある街づくりが実現したのでしょうか。今回の都市の鍼治療インタビューでは、横浜市のまちづくりに詳しい、横浜市立大学国際教養学部の鈴木伸治教授にお話を聞きました。
(福岡大学工学部社会デザイン工学科教授)
都市の鍼治療 特別インタビューとして、福岡大学工学部社会デザイン工学科教授の柴田 久へのインタビューをお送りします。
福岡市の警固公園リニューアル事業などでも知られる柴田先生は、コミュニティデザインの手法で公共空間をデザインされています。
今回のインタビューでは、市民に愛される公共空間をつくるにはどうすればいいのか。その秘訣を伺いました。
(地域計画家)
今回の「都市の鍼治療インタビュー」は、九州の都市を中心に都市デザインに携わっている地域計画家の高尾忠志さんへのインタビューをお送りします。優れた景観を守ための開発手法や、複雑な事業を一括して発注することによるメリットなど、まちづくりの秘訣を伺います。
(大阪大学名誉教授)
1970年代から長年にわたり日本の都市計画・都市デザインの研究をリードしてきた鳴海先生。ひとびとが生き生きと暮らせる都市をめざすにはどういう視点が大事なのか。
これまでの研究と実践活動の歩みを具体的に振り返りながら語っていただきました。
(クリチバ市元環境局長)
シリーズ「都市の鍼治療」。今回は「クリチバの奇跡」と呼ばれる都市計画の実行にたずさわったクリチバ市元環境局長の中村ひとしさんをゲストに迎え、お話をお聞きします。
(大阪大学サイバーメディアコモンズにて収録)
お金がなくても知恵を活かせば都市は元気になる。ヴァーチャルリアリティの専門家でもある福田先生に、国内・海外の「都市の鍼治療」事例をたくさんご紹介いただきました。聞き手は「都市の鍼治療」伝道師でもある、服部圭郎 明治学院大学経済学部教授です。
(龍谷大学政策学部にて収録)
「市街地に孔を開けることで、都市は元気になる。」(阿部大輔 龍谷大学准教授)
データベース「都市の鍼治療」。今回はスペシャル版として、京都・龍谷大学より、対談形式の録画番組をお届けします。お話をうかがうのは、都市デザインがご専門の阿部大輔 龍谷大学政策学部政策学科准教授です。スペイン・バルセロナの都市再生に詳しい阿部先生に、バルセロナ流の「都市の鍼治療」について解説していただきました。
(建築家・東京大学教授)
「本当に現実に向き合うと、(統計データとは)違ったものが見えてきます。この塩見という土地で、わたしたちが、大学、学生という立場を活かして何かをすることが、一種のツボ押しになり、新しい経済活動がそのまわりに生まれてくる。新たなものがまわりに出てくることが大切で、そういうことが鍼治療なのだと思います。」(岡部明子)
今回は、建築家で東京大学教授の岡部明子氏へのインタビューをお送りします。
(東京工業大学准教授)
今回の「都市の鍼治療インタビュー」は、東京工業大学准教授の土肥真人氏へのインタビューをお送りします。土肥先生は「エコロジカル・デモクラシー」をキーワードに、人間と都市を生態系の中に位置づけなおす研究に取り組み、市民と共に新しいまちづくりを実践されています。
(東京都立大学都市環境学部教授)
人口の減少に伴って、現代の都市ではまるでスポンジのように空き家や空きビルが広がっています。それらの空間をわたしたちはどう活かせるのでしょうか。『都市をたたむ』などの著作で知られる東京都立大学の饗庭 伸(あいば・しん)教授。都市問題へのユニークな提言が注目されています。饗庭教授は2022年、『都市の問診』(鹿島出版会)と題する書籍を上梓されました。「都市の問診」とは、いったい何を意味するのでしょうか。「都市の鍼治療」提唱者の服部圭郎 龍谷大学教授が、東京都立大学の饗庭研究室を訪ねました。
お話:饗庭 伸 東京都立大学都市環境学部教授
聞き手:服部圭郎 龍谷大学政策学部教授