222 リージェント運河の歩道整備(イングランド)
ストーリー:
リージェント運河は19世紀のイギリスを代表する建築家ジョン・ナッシュによって設計された。1811年に彼はロンドンの北部一体を開発する計画を策定したのだが、その計画にリージェント運河も含まれていた。ジョン・ナッシュの弟子であったジェームス・モーガンが実際の施行管理に携わり、パディントンからカムデン・タウンの区間が開通したのは1816年、カムデン・タウンからライムハウス・ベイジンまでが開通したのは1820年であった。これらは全長13.8キロメートルに及んだ。
産業革命と北ロンドン地区における鉄道ネットワークの敷設とによって、リージェント運河はロンドンでつくられた製品がイギリス国内に運ばれるうえで不可欠な役割を果たすことになる。それは、最初はミッドランドの石炭や、ロンドンで製造された商品を運ぶのに使われていたが、そのうち海運との結節点である、リージェント運河ドックで移し替えた貨物を運搬する役割を担うようになる。
しかし、1840年には貨物の物流は鉄道が主体となり、リージェント運河の重要性は低下していき、第二次世界大戦での武器輸送の需要がなくなった後はその運営維持も難しくなり、1948年にイギリスの運輸委員会の管轄下に置かれ、1956年に物流運搬の役割を終えることになる。また、カムデン・ロック周辺の運河は埋め立てられて高速道路をつくる計画も策定される。
一方で1963年にはイギリスの行政組織であるブリティッシュ・ウォーターウェイスの管轄下に置かれ、ロンドン市役所はブリティッシュ・ウォーターウェイスと協働して、ロンドンの歴史も体感できるような歩道をリージェント運河沿いにつくることを計画する。1968年にはウエストミンスター区は、引き船運河の部分をレクリエーションのために公開する。これがリージェント・キャナルの社会的役割の大きな転換点となる。翌年にはリージェント運河ドックが閉鎖され、ライムハウス・べージンと改名される。運河の沿岸は工業的な土地利用が為されていたが、これ以降、住宅やバーやビール醸造所などが立地するようになっていく。1974年には運河を埋め立ててつくられる高速道路の計画が却下されたのを受け、カムデン地区も引き船運河の部分を公開することになる。1979年にはセントラル電力発電委員会(CEGB)が運河沿いに電線を敷き、運河の水はその電線が生じる発熱を冷却化させることになる。1992年にはロンドン運河博物館がキングス・クロス駅周辺の運河沿いに開館する。そして、1996年にはブリティッシュ・ウォーターウェイスが他の組織とともにロンドン・ウォーターウェイ・パートナーシップを設立し、運河の再生プログラムを展開できるような組織替えを行う。
そして、20世紀末にロンドンが自転車のネットワークを拡充する計画を策定する際、このリージェント運河に目をつける。リージェント運河は自転車国道1号の一部を構成することになり、多くのサイクリストがここを利用するようになる。サイクリストが歩行者と共存できるかどうかについては、幾つかの調査がブリティッシュ・ウォーターウェイスによって行われたが、その結果、問題は少ないとの結論に達している。ただ、両者が遵守すべきマナー令のようなものは作成されている。
運河は現在でもレジャー用の船が運航しているのに加え、カムデンとマイダ・ヴァレの間は定期的に水上バスが運行している。リージェント運河はちょっとした都市観光資源にもなっており、また、それは野生動物の生態系を維持する回廊としても機能している。
リージェント・パークや動物園、カムデン・マーケット、キングス・クロス駅、そしてキャナリー・ワーフといったロンドン北部の主要なアメニティ拠点を繋ぐ歩行動線・自転車動線としてリージェント運河は、大都市ロンドンに素晴らしい非自動車交通環境を提供しているのだ。
キーワード:
広場,都市公園
リージェント運河の歩道整備の基本情報:
- 国/地域:イングランド
- 州/県:ロンドン県
- 市町村:ロンドン市
- 事業主体:ブリティッシュ・ウォーターウェイス
- 事業主体の分類:準公共団体
- デザイナー、プランナー:John Nash
- 開業年:1816
- 再開業年:1968
ロケーション:
都市の鍼治療としてのポイント:
リージェント運河の歩道の魅力は、ロンドン北部の魅力あるスポットを巡ることができることである。出発点であるパディントン駅そばのリトル・ヴェニスからしばらく歩くと、リージェント・パークと動物園、そして運河を挟んでその北にあるプリムローズ・ヒルに着く。ビートルズの名曲「フール・オン・ザ・ヒル」のモデルとも言われるプリムローズ・ヒルの丘からはロンドン都心の素晴らしい展望が得られる。そこから500メートルほど運河を歩くとカムデン・ロックに着く。カムデン・ロックは多くの人々を集客する市場やライブハウス、カフェやレストランが集積するロンドンを代表する観光地となっている。1970年代までは衰退していた工場地区であったが、その後の再開発で見事に変貌する。しばらく歩くと南側にニコラス・グリムショーの未来的な設計のグランド・ユニオン・ウォーク・ハウジングが姿を現す。1988年につくられたとは思えない斬新な意匠である。さらに行くと、セント・パンクラス駅の北側にあるセント・パンクラス・ロックに着く。ここの北には2015年に完成したガスホルダー公園があり、それに隣接してキングス・クロス・アカデミーが立地する。ここからハリー・ポッターで有名になったキングス・クロス駅までの地域はキングス・クロス再開発地区で、ロンドン市内でも大規模な再開発であり、21世紀の新しいロンドン像を観察することができる。2012年に川沿いにつくられたグラナリー広場はこの新しい再開発の顔である。
キングス・クロス駅へ向かう鉄道橋の下をくぐるとロンドン運河博物館である。この先はイスリングトン・トンネルという長いトンネルを抜ける。ここから先も、ライムハウス・ベイジンまでローズマリー・ガーデンやヴィクトリア・パークといった興味深いスポットを経由していくが、最も魅力的な区間はリージェント・パークからロンドン運河博物館の3キロメートルほどであると考えられる。
近年、都市観光のスタイルが大きく変貌している。それまでは観光スポットという点をめぐるというスタイルだったものが、より地元住民の日常的な生活体験のようなものを疑似体験するようなスタイルへとシフトしつつある。いわゆる観光ホテルではなく、普通の家を間貸しするAirbnbなどが普及していることや、例えば東京でいえば浅草や皇居ではなく、下北沢や高円寺、自由が丘などの日常的な都市空間を訪れる外国人観光客が増えていることは、そのようなトレンドを物語っている。
そして、それはロンドンでも同じであり、バローズ・マーケット(「都市の鍼治療」ファイルNo.6)、ポートベロ・ロード・マーケット(同No.54)、ブリック・レーン、カムデン・ロックといった地元の人々の日常的都市空間だった場所が観光資源となっている。リージェント・カナルもまさにそのような都市空間の一つである。それはいわば交通路にしか過ぎない。しかし、道路と交叉せずに、自動車を気にせずに歩けて、まだ初夏とかには臭いは多少漂うが、それでも大都市では珍しく自然が多い川沿いを歩くのは快適な体験である。それは「ロンドンの一番の穴場」とも形容されていた時もあるが、既に穴場ではなくなってしまっている。ロンドンという都市の本質的な豊かさ、その歴史的積み重ねなどをカーテンの裏側から覗くような楽しみも与えてくれる。
リージェント運河が完成してから2020年で200年経つ。つくられた当時とはまったく違った形で使われているリージェント運河であるが、その都市インフラ資源を見事に新しい時代にマッチするような形で変容させた事例であると考えられる。そして、ここを埋め立てて高速道路にしなくてロンドンにとっては本当によかったなと思う。
【参考資料】
Camden Watch CompanyのWebサイト
(https://www.camdenwatchcompany.com/blogs/the-camden-watch-company/a-brief-history-of-regents-canal)
類似事例:
011 ライン・プロムナード
012 パセオ・デル・リオ
016 チョンゲチョン(清渓川)再生事業
021 大横川の桜並木
053 ハイライン
090 デッサウ「赤い糸」
174 カール・ハイネ運河の再生事業
227 9月7日通りの歩道拡張
230 港北ニュータウンのグリーン・マトリックス
234 鈴鹿・長宿の景観整備と保全
236 タグボート大正
245 大分いこいの道
295 象の鼻パーク
336 バーミンガムの運河再生
・ トム・マッコール州知事ウォーターフロント・パーク、ポートランド(オレゴン州、アメリカ合衆国)
・ ビッグ・ディッグ、ボストン(アメリカ合衆国)
・ マンザナレス公園、マドリッド(スペイン)
・ カムデン・ロック、ロンドン(イングランド)
・ グラナリー広場、ロンドン(イングランド)
・ プリムローズ・ヒル、ロンドン(イングランド)
・ ブリック・レーン、ロンドン(イングランド)
・ ロンドン運河博物館、ロンドン(イングランド)
・ ガスホルダー公園、ロンドン(イングランド)