195 ギャルリ・サンテュベール (ベルギー)
ストーリー:
ギャルリ・サンテュベールは1846年から1847年にかけてつくられた天井が窓ガラスのショッピング・アーケードである。19世紀当時の新しい技術である鉄とガラスが可能にしたこのタイプの建築物の先駆けであり、世界でもおそらく最も有名なギャラリアであるミラノのギャラリア・ヴィットリオ・エマニュエルよりも早くつくられている。
その幅は7.5メートルであり、高さは8メートル、そしてファサードは3層となっている。それらの層は下からトスカナ式、イオニア式、コリント式と、折衷された意匠が施されている
このギャラリアは3つのアーケードから構成されており、それらの延長は238メートル。3つのアーケードはそれぞれ「女王のギャラリア」、「王のギャラリア」、「王子のギャラリア」と命名された。「女王のギャラリア」は103メートルの長さを誇り、南側にあり、ブリュッセルの中心ともいえるグラン・プラスの広場のそばに入り口がある。ブリュッセル中央駅から、ここに真っ直ぐ向かうと「女王のギャラリア」からギャルリ・サンテュベールに入ることになる。「王のギャラリア」は95メートルあり、「女王のギャラリア」から少しだけ方角がずれている。これは故意にそのように設計されたのであり、奥行きを感じさせると同時に、単調さを感じさせないようにするための工夫としてである。「王子のギャラリア」は「王のギャラリア」「女王のギャラリア」から枝分かれしたように設けられており、その長さは40メートルと短い。これら3つを統合して、ギャルリ・サンテュベールと呼ばれるようになったのは1965年以降である。
このギャラリアがつくられる以前、ここは暗くて、ごみごみして汚く、まともな人が足を踏み入れないような空間であり、若き建築家ジャン・ピエール・クロイスナールはそれらを一掃し、明るく清潔で人々が集えるような空間へと変革させることを決意した。彼は、このアイデアを1836年には考え始め、1845年には具体的な構想にまで結晶化させていた。このアイデアは、地元の篤志家である銀行員の関心を引き、ギャルリ・サンテュベール協会といった組織も設立するが、土地の所有者を特定し、土地の強制収用をする手続きを行うことなどに9年間の歳月がかかった。土地の収用に際しては、当然ながら行政も関与したが、その過程で一人の地主が憤怒で心臓発作を起こして死亡したり、床屋が抗議で自殺するなどの事故も起きたりし、その道のりは決して平坦なものではなかった。
2020年1月時点で、ギャルリ・サンテュベールは世界遺産の候補地として暫定的な指定を受けている。
キーワード:
広場, ギャラリー, 商業施設, アイデンティティ
ギャルリ・サンテュベール の基本情報:
- 国/地域:ベルギー
- 州/県:ブリュッセル首都圏地域
- 市町村:ブリュッセル
- 事業主体:ブリュッセル市
- 事業主体の分類:自治体 その他
- デザイナー、プランナー:ジャン・ピエール・クロイスナール
- 開業年:1847年
ロケーション:
都市の鍼治療としてのポイント:
ベルギーの首都、ブリュッセルの中央駅をおり北に数分歩いたところにギャルリ・サンテュベールの「女王のギャラリア」の入り口がある。ブリュッセルのハート&ソウルとも言うべき、グラン・プラスの広場からも50メートルも離れていない。世界遺産であるグラン・プラスとともに、このベルギーの中心市街地の魅力を構成している重要な存在である。
ギャルリ・サンテュベールは開業してすぐに大成功を収め、人と出会い、交歓する場と利用された。ベルギーで最初の映画館が1896年にここに開業し、ボーダビルという劇場もここに開業している。また新聞社「ラ・クロニク」もここに立地した。多くのカフェやレストランが立地しているが、それ以外にも、多くの著名な店舗がここにテナントとして入っている。例えば、ベルギー・チョコレートを代表するノイハウスは1857年からここに店舗を開業しているし、ベルギーの革製品を代表するDelvauxもここに店を構えて久しい。
この街路の天井を覆うガラスから差し込む光は優しく、まるでこの回廊空間全体が温かい光によって満ちているようである。東京や京都で暮らしている私にはちょっと実感として分かりにくいが、ベルギーはヨーロッパの諸都市と比べても天候はあまりよくないらしい。そこで、じめじめした夏や底冷えのする冬の天候の悪さにもかかわらず、アウトドア・カフェの雰囲気を有したインドアの環境を提供してくれるギャルリ・サンテュベールは人々の憩いの空間として支持されているようだ。
1880年には、ブリュッセルには7つのこのようなガラスの丸天井のギャラリアがつくられた。しかし、現在も残っているのはこのギャルリ・サンテュベールを含めて3つだけである。空間構造的に捉えれば、これらの歴史あるギャラリアは現在のショッピング・センターとほとんど同じである。しかし、現在のショッピング・センターが有していない魅力が歴史あるギャラリアには強く感じられる。それは、この空間が蓄積させてきた時間と人々の記憶、思い出であろう。それは、ブリュッセルという都市の記憶でもあり、アイデンティティとも共振する。日本でも京都の錦市場では、そのようなオーセンティックな都市の魅力に触れることができる。そのような歴史的な空間を保全することができた都市だけが獲得できる、都市の貴重な財産である。
類似事例:
027 ギラデリ・スクエア
065 シュピネライ
075 プリンツィパルマルクトの歴史的街並みの再生
115 ミラノ・ガレリア
118 黒壁スクエア
133 ギャルリ・ヴィヴィエンヌ
192 ファニュエル・ホール・マーケットプレイス
259 ゴスラーの市場広場(Marktplatz des Goslar)
268 ゲトライデ通りの看板
322 メドラー・パサージュ
・ バーリントン・アーケード、ロンドン(イギリス)
・ ザ・パサージュ、ザンクト・ペテルスブルク(ロシア)
・ クリチバ・ショッピング・エスタソン、クリチバ(パラナ州、ブラジル)
・ ユニオン・ステーション、セント・ルイス(ミズーリ州、アメリカう合衆国)