085 マグデブルクの「緑の砦」 (ドイツ連邦共和国)

085 マグデブルクの「緑の砦」

085 マグデブルクの「緑の砦」
085 マグデブルクの「緑の砦」
085 マグデブルクの「緑の砦」

085 マグデブルクの「緑の砦」
085 マグデブルクの「緑の砦」
085 マグデブルクの「緑の砦」

ストーリー:

 マグデブルクはドイツのザクセン・アンハルト州の州都である。エルベ川沿いに発展した古都だ。オットー一世がここに居を構え、ここに没したこともあり、中世においてはヨーロッパの中でも非常に重要な位置を占めた都市であったが、その後、幾たびかの戦災を受け、その重要性は低下する一方であった。特に最近ではハノーファーとベルリン間のドイツ新幹線ICEがマグデブルクをバイパスする北のルートを通ることになり、その重要性はさらに低下している。人口統計でもそれは現れており、マグデブルク市の人口の最大値は1940年の34万人で、現在はその3分の2の23万弱である。
 マグデブルクの都市のシンボルはゴシック建築の大聖堂であった。ドイツ最古のゴシック建築である。その風貌の厳つさやファサードを装飾する怪物や気色悪い人間の像などは、まさにゴシックそのものである。この大聖堂のすぐ北にウンザレ・リーベン・フラウエン修道院のようなロマネスク様式の傑作があるにも関わらず、この大聖堂のインパクトは強烈である。しかし、またこのシンボルが強烈すぎることや、マグデブルク市もゴシック都市を売り出したことで、逆に暗い中世のイメージが都市を覆っていたといっても過言ではないだろう。一方で、中世のイメージを売っている割に、中世の建築物は戦争で破壊されほとんど残されていない。したがって、歴史があるにも関わらず、それを現代に継承するものとしては大聖堂を越える存在感のものはなく、その周囲は社会主義時代の無粋なプラッテンバウで埋められるといったような状況にあった。
 そんな都市にゴシックとはまったく異質の「緑の砦」という建築が中心市街地に現れたのは2005年のことである。まるで絵本にでも描かれているかのような色彩豊かなお城のような建物は、ゴシック的な灰色のイメージに挑戦するかのようなピンク色を基礎として、そのうえを原色が輝くように配色されている。そして屋上を含めて平面は人々の歩行空間以外は芝などの緑に覆われている。それは都市のイメージを一つの建物で根源的に変える個性を有している。そのような建物を設計できる人はガウディ、フランク・ゲーリー、ザハ・ハディドと数は多くないが、この個性溢れる建物を設計したのはオーストリア人のフンデルトワッサーであった。
 この土地は、以前は聖ニコラス教会が建っていた場所であった。その後、第二次世界大戦で空爆を受け、プラッテンバウ団地(社会主義時代に多くつくられたパネル工法の住宅)が建設される。プラッテンバウ団地は社会主義時代には人気があったが、東西ドイツが再統一された後は急激に人気がなくなり、空き家が増えた。そこで、1954年からマクデブルク市の住宅会社の会長であったロルフ・オピィッツ(Rolf Opitz)がフンデルトヴァッサーに、ウィーンなどで実践したように、プラッテンバウ団地を彼風の住宅に変えて欲しいと1995年に依頼した。
 そこで、1999年にプロジェクトを開始したのだが、彼は2000年に帰らぬ人となる。しかし、彼の遺志は見事に引き継がれ、2005年にこの建物は完成する。彼の死後、この設計を担当したのは、ウィーンのフンデルトヴァッサー・ハウスにおいても設計を担当したピーター・ペリカンで施行はハインツ・スプリングマンである。現在、ここは1階はレストラン、店舗、カフェ、保育所、情報センターが入っており、上階にはオフィス、クリニックに加え55戸の住宅が入っている。建設費は2700万ユーロであった。

キーワード:

フンデルトヴァッサー, 環境共生住宅, 公共住宅

マグデブルクの「緑の砦」 の基本情報:

  • 国/地域:ドイツ連邦共和国
  • 州/県:ザクセン・アンハルト州
  • 市町村:マグデブルク市
  • 事業主体:マグデブルク市住宅会社
  • 事業主体の分類:自治体 
  • デザイナー、プランナー:フリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサー、ピーター・ペリカン、ロルフ・オピィッツ
  • 開業年:2005年

ロケーション:

都市の鍼治療としてのポイント:

 ジャイメ・レルネル氏は天才を巧みに都市づくりに活用すべきだと指摘する。バルセロナは幸せであった。ガウディという天才が生まれて、その都市の個性をリュイス・ドミニク・イ・モンタネール等とともに形成することに寄与してくれたからである。しかし、天才がたとえ生まれなくても落胆することはない。天才に助けてもらえればいいからだ。フンデルトワッサーといえばウィーンというイメージが強いし、やはりウィーンのフンデルトワッサーとして後生にも認められるであろうが、天才に愛されたウィーンとは異なり、あまり天才に恵まれていないマグデブルクもフンデルトワッサーが足跡を残してくれたおかげで、新たな都市のイコンが創造され、都市の貴重な宝物が付け加えられたのである。
 ゴシックの街にピンク色の建物は強烈な対比をこの都市に与える。ヘビーメタルにアイドルという、ベビーメタルのようなイメージだ。しかし、それは決して悪くない。この都市に欠落していると思われた多様性が見事に加わった。そして、この「緑の砦」があることで、それまで大聖堂に押されていたと思われるウンザレ・リーベン・フラウエン修道院もその存在感を発揮できるように思われる。少なくとも、この「緑の砦」によって、これら3つの建築物が大聖堂広場を中心に緊張感ある三角形をつくりだしている。
 フンデルトワッサーの名を世に知らしめたウィーンの集合住宅は、ウィーンという綺羅星のように輝く街の個性を形づくる一つの星として光っている、ここマグデブルクでは明けの明星のような明るさを放っている。
 建築物が都市を変革する鍼治療として極めて効果的であることを、この事例は教えてくれる。それは、人口縮小が続く、暗いゴシック都市マグデブルクのイメージを一変するかのような効果がある。

類似事例:

055 ビルバオ・グッゲンハイム美術館
081 フンデルトヴァッサー・ハウス
109 オスカー・ニーマイヤー博物館
254 グエル公園
303 トンデムン・デザインプラザ(東大門デザインプラザ)
・ 大阪市環境局舞州工場、大阪市(大阪府)
・ ヴァルトシュピラーレ集合住宅、ダルムシュタット(ドイツ)
・ クンストハウス・ウィーン、ウィーン(オーストリア)
・ クッヒルバウアー塔、アーベンスベルク(ドイツ)
・ ロナルド・マクドナルド・ハウス病院、エッセン(ドイツ)
・ グッゲンハイム美術館、ニューヨーク(ニューヨーク州、アメリカ合衆国)