326 ブリストルのストリート・アート(イングランド)

326 ブリストルのストリート・アート

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326 ブリストルのストリート・アート
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326 ブリストルのストリート・アート

ストーリー:

 ブリストルはイギリスの西部にある人口46万人ほどの港湾都市である。ロンドンから西に170キロメートルぐらいの場所に位置する。ブリストルの街を歩くと、落書きに溢れていることにすぐに気づく。高層ビルの広大な壁を思い切って使ったものや、建物の全体に入れ墨を彫ったかのように描かれたものもある。そして、それらの落書きが、もはや落書きというよりかは芸術と表現したいようなレベルの高さにある。また、それらは捻ったメッセージを有していたり、政治批判などを暗示していたりする。ブリストル出身のアニメーション会社のアードマンのキャラクターであるグルミットやショーンが描かれている壁絵もあったりする。これらは「落書き」であって「落書き」ではない。それは、もはやブリストル市の都市資源である「ストリート・アート」となっている。
 ブリストルが、このような「ストリート・アート」に対して寛容な姿勢を有しているのは、ブリストル出身のストリート・アーティストであるバンクシーの存在が大きい。バンクシーは素性不明の路上芸術家であるが、彼の初期の作品はブリストルにおいて出現した。無断に市内の壁面などにステンシル・アートで描かれたこれらの作品は、落書きを芸術として認めさせる圧倒的なクオリティを有しており、世界中の人々の落書きを見る目を大きく変えた。そして、バンクシーに触発された多くの芸術家達がブリストルを目指し、その結果、ブリストル市内の壁面は極めて芸術性の高い「落書き」に溢れることになった。その都市景観はユニークであり、圧倒的な個性を有している。
 しかし、ブリストル市とストリート・アーティストは常に協働していた訳では決してない。それどころか、その関係は当初は敵対的なものであったと言っても過言ではない。大きな転換期があったのが2017年である。ゴミ問題とグラフィティに対して罰則の実行も恐れない当時のリー市長の強気な対応に、市議会がアーティストの間に入り、グラフィティを合法的に描ける壁のネットワークを設置することを提案した。これによって、これらの壁であれば、グラフィティを描いても訴追される心配は不要となる。
 この市議会の提案を受けて、アーティストは自分達がグラフィティを描く権利があると考える56の壁を提示した。これによって、警官とアーティストの間にトム・アンド・ジェリーのようなやり取りに終止符が打つことが期待された。
 2017年時点では、既に多くのストリート・アーティストがブリストルに集まってきていた。バンクシーの、落書きとはまったく形容できないようなレベルの高いグラフィティは、それに感化されたアーティストをブリストルに集め、また、そのようなアーティストがブリストルの街をキャンバスとしてお互いの腕を競い合ったのである。
 市議会はストリート・アートが合法的な場所を決め、その所有者には何が許されるのかを説明することとした。これによって、ストリート・アーティストは、法律を犯しても合法的な場所でないところで描くリスクを取ることもできるし、合法的な場所で描くという二つの選択肢を得ることができたのである。
 ブリストル市のアプローチはストリート・アートという芸術にとっては「負け」と捉えられなくもなかった。芸術活動が規制を受ける時点で、それは芸術の自由度を奪うからだ。リー市長はブリストル市のグラフィティの大切さを理解していることを述べつつ、「幾つかのものはアートではない」と述べている。しかし、何がアートで何がアートでないか、の境界線をどこに引けばいいのか、というのは極めて難しい問題であるし、リー市長はそのような問題意識を持っていないという点で、ストリート・アートを管理する資格がなかったと言えなくもない。
 一方で、この判断によって、おそらく少なくないリー市長のような考え方を持っていた市民とストリート・アーティストとが妥協点を見出せたのは、都市という多様な人々が共存していくうえでは重要であった。
 そして、その妥協点が現在のブリストルの街並みを描きあげている。そして、それは目に楽しく、自分をその空間に置くことでちょっとした高揚感を覚えさせるような空間である。おそらく芸術家がより強い意見を持っていたら、より過激な街並みが描かれていたであろう。それは、観光客には楽しかったかもしれないが、住民にとっては鬱陶しさを増したと思われる。そして、リー市長のような人がより強い意見を持っていたら、道徳的に漂白されたような街並みが描かれ、ブリストルの個性はなくなり、凡庸な都市となり、観光客も訪れなくなり、ストリート・アーティストも集まらなくなったであろう。ある意味で、この民主主義的な協働的な姿勢が、現在のブリストルの街並みのほどほどの良さを演出させているのかもしれない。
 現在のブリストル市は、「ストリート・アート」が人と場所との関係性を高めるという点に着目し、また、そのクリエイティビティによって高まったブリストルの国際的名声をしっかりと維持させていくために、アート全般を人と場所を媒介するメディアとして位置づけ、それを積極的に展開させる政策を実施している。その政策によって実現された150のアート作品を掲示したウェブサイト「ブリストルの公共空間におけるアート」(https://aprb.co.uk)を閲覧すると、都市空間を「アート」がより豊穣なものへと変容させていることを伺い知ることができる。「ストリート・アート」の域まで昇華された「落書き」によって得られた名声を土台にブリストル市はさらなるフェーズへと前進しようとしているのだ。
 また、ブリストルの「ストリート・アート」は、イギリス国内だけでなく海外からも観光客を引き寄せ、それらのウォーキング・ツアーも企画され、またそれらが見られるスポットが紹介されたアプリも開発されている。ヨーロッパ最大の「落書き」コンテストであるアップフェストも同市で開催された。もはや、「ストリート・アート」はブリストルのアイデンティティにまで昇華している。その公共的なマイナス面を上手くコントロールし、そのプラス面を十二分に発現させるという、バランスを取るのが難しい政策をブリストルは行っているのである。

キーワード:

アイデンティティ,ストリート・アート,グラフィティ

ブリストルのストリート・アートの基本情報:

  • 国/地域:イングランド
  • 州/県:ブリストル
  • 市町村:ブリストル
  • 事業主体:ブリストル市
  • 事業主体の分類:自治体 
  • デザイナー、プランナー:Banksy 他
  • 開業年:2017

ロケーション:

都市の鍼治療としてのポイント:

 いわゆるグラフィティと呼ばれるものは、1970年代初頭にニューヨークで見られ始め、その後、イギリスにも伝わる。イギリスで最初に発見されたのは1980年代前半でロンドンとブリストルにおいてであった。グラフィティは初期においては特徴的なロゴで描かれた文字であったものが、徐々に絵画的な要素を持ち始めた。当初はスプレイ缶が使われていたが、最近ではパレット、チョーク、チャーコール、マーカー・ペン、ブラシなどが用いられるなど、道具も多様化している。
 2003年頃からブリストルの街角の「落書き」が増え始め、これに対策を考える必要性が議論され始める。それからはアーティストと市役所とのいたちごっこが展開する。基本、「落書き」は建造物損壊罪、器物損壊罪といった犯罪であり、実際、「落書き」アーティストが検挙されるケースもあった。このような状況に大きな影響を与える事件が2006年6月に起きる。バンクシーがブリストル市内に裸の男がバスルームの窓からぶら下がる壁画を残したのだが、それを除去するか否かがインターネットで問われたところ97%が除去に反対し、結果、残存することになった。バンクシーは、それまでもブリストル市内に壁画を残してきたが、このアンケートによって、それが「落書き」という範疇を遥かに超越した、まさに芸術作品であり、それは人々の「落書き」に対する見方を大きく変えたことが確認されたのである。
 バンクシーの壁画のように圧倒的に支持される「落書き」は稀で、多くの場合は、もっと意見は拮抗する。ブリストル市では「望まれてない落書きは、市役所そしてブリストル市民に金銭的損害を与える」と述べている。基本、ブリストル市では「落書きはその所有者の許可が常に必要である」としており、場合によってはその作者は器物損害で刑罰に問われる。一方、アーティストは、コミュニティの多様性や歴史を祝ったテーマで壁画を描くことでコミュニティに貢献できると市役所は肯定的にも捉えている。芸術として捉えるか、ヴァンダリズムと捉えるか。この境界線は実はなかなか難しい。 
 2019年12月に兵庫県洲本市の市民公園近くにある壁に、バンクシーの作品に似たネズミの絵が二点みつかった。観光客からは「本物か偽物かは別にして面白い」「観光資源になるのでは」などの意見が出たのだが、同市は「落書き」と判断して、警察に被害届を出した。そして、「公共施設での落書きは見過ごせない」として消去することにした。
 バンクシーの作品は定義としては「落書き」である。しかし、それは芸術的価値のある「落書き」だ。そして、それは大した芸術的素養がなくても、すぐに理解できるような芸術的価値を有している。ある意味、ラスコーの洞窟の牛の絵も「落書き」であり、高松塚古墳の西壁女子群像も「落書き」である。確かにそれらは「公共施設」に描かれたものではないかもしれないが、芸術として見た場合、どのくらい差があるのか。バンクシーが我々に問いかける質問はなかなかの難問である。
 今回の記事を執筆するために、ブリストル市役所の都市計画担当者に話を伺ったが、ブリストル市の魅力を「新しいものを受け入れること」と述べた。そして、その結果、活力に溢れる都市となっている。そういう点で、同市はイギリスの中でもアヴァンギャルドな都市であるとも述べていた。ブリストル市も洲本市と同じように、バンクシーの裸の男がバスルームの窓からぶら下がる壁画を「公共施設での落書きは見過ごせない」として消去してしまったら、ブリストル市は現在のそれと比べると、随分とつまらない都市になってしまったのではないか、と思うのである。確かに「落書き」ではあるが、それは「芸術」でもある。杓子定規に対応することで、都市の魅力を育てる芽を摘んでしまう。ルールを守ることは重要であるが、そのルールの妥当性は時代によって、状況によって変化していく。難しいテーマではあるが、その微妙なバランスを取ることを選択したブリストル市だからこそ、そこには創造都市(リチャード・フロリダが提唱する「創造都市」ではなく、一般名詞としての創造都市)と形容すべきような活力に溢れている。なぜなら、創造都市というのは、ルールを絶対視しないで相対的に捉えられる柔軟な思考を具えていることが必要であるからだ。そういうことをブリストル市の試みは我々に教えてくれる。

【取材協力】
ブリストル市役所(都市計画課)

【参考文献】
産経新聞の記事
https://www.sankei.com/article/20191221-4T7HMTMDX5LH5OYHFTGKL2GV4A/

ブリストル市役所の公式ホームページ
https://visitbristol.co.uk/things-to-do/street-art/
https://aprb.co.uk/about/
https://www.bristol.gov.uk/residents/crime-and-emergencies/guide-to-tackling-graffiti

The Guardianの記事(2017/01/22)
https://www.theguardian.com/artanddesign/2017/jan/22/bristol-street-artists-banksy-city-legal-graffiti-walls-public-art

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