307 真鶴町『美の条例』(日本)

307 真鶴町『美の条例』

307 真鶴町『美の条例』
307 真鶴町『美の条例』
307 真鶴町『美の条例』

307 真鶴町『美の条例』
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307 真鶴町『美の条例』

ストーリー:

 神奈川県の南西部に位置する真鶴町は、人口6,789人(2023年5月)の小さな港町である。相模湾に向かって傾斜する土地の起伏が生み出す景観は美しく、建築物と周囲の地形とが織りなす風景は人の気持ちをホッとさせ、懐かしくさせる。
 しかし、以前、このような風景が失われるような危機に陥ったことがある。それは、バブル期に「リゾート法」が施行されたことである。この法律は、「良好な自然条件を有する土地を含む相当規模の地域」におけるリゾート施設の整備を目的とし、そのための条件整備として、1)環境保全に関する規制措置の大幅緩和、2)財政上の優遇措置、3)道路や上下水道などの公共施設の整備と国有林野の活用等がうたわれた。その結果、東京や横浜からのアクセスがよい風光明媚な真鶴町にもリゾート・マンションという名の高層建築の波が押し寄せてきた。1987年、地上七階地下一階の93戸のリゾートマンションが同町に建設されると、翌年には駅前に72戸の分譲マンションが建設され、全戸即日完売した(産経新聞)。リゾート法によって、そもそも人が住むための土地が、投機対象となってしまい、その美しい風景と日々の生活が破壊されることが懸念された。特に、大きな問題は「水」であった。真鶴町は水源に乏しく、新たなリゾート・マンションの建設はその水不足をさらに深刻化させることが危惧された。
 そのような中、リゾートマンション建設反対派の三木邦之町長が当選する。そして、就任3ヶ月というスピードで「給水規制条例」を制定する。これは、ある一定規模以上の開発に対しては新たな水の供給を行わないというものであった。そして、その次の対策として行われたのが、「美の基準」を含むまちづくり条例の制定であった。
 このまちづくり条例は3つの柱によって構成されている。それらは「土地利用規制基準」、「建設行為の手続き」、「美の基準」である。ここでは、この「美の基準」について解説する。
 ここでいう「美」は一般的な美(英語でいうところのBeautiful)ではなく、真鶴の生活を言葉にして集めたものとしている。この美の基準をつくるにあたっては、建築家(池上修一)、弁護士(五十嵐敬喜)、都市計画家(野口和雄)に協力してもらっている。そこで参考にしたのが、クリストファー・アレキザンダーの『パタン・ランゲージ』や1989年度に実施した住民による地域資源の掘り起こしイベント「まちづくり発見団」の報告書等であった。
 真鶴町の美の基準は同町が発行する『美の基準』という報告書(本)に整理されている。まず、その本の1ページ目には次のように書かれている。

 「本デザインコード(筆者注:デザインコードは「美の基準」のことを指す)は、町、町の人々、町を訪れる人々、町で開発をしようとする人々がそれぞれに考え、実行していくべき小さなことがらを一つひとつ綴っています」

 そして、その基準を「場所」「格づけ」「尺度」「調和」「材料」「装飾と芸術」「コミュニティ」「眺め」の8つに分類して、それぞれから、「美の基準」を普遍的な言葉にて表現できるように試みられている。そして、さらにそれを補完する69のキーワードが収められている。
 「美の基準」がつくられてから既に30年が経っている。美の基準の69のキーワードは現在まで一つも変わらずに継承されてきている。そして、この基準が今、真鶴町の大きな価値となっている。そして、このような基準がつくられた真鶴町に惹かれて移住する人が増え、彼ら・彼女らがSNSなどでその魅力を発信したことで、美の基準は広く社会に知られるようになった。リゾート法という国策に敢えて乗らず、それまでの町の有り様を変えずに、維持していくことを選んだ真鶴町は、若い人々を中心に多くの共感を得るようになった。
 「美の基準」というデザイン・コードは、真鶴町の貴重なアイデンティティとなり、現在に引き継がれ、そして真鶴町という自治体のコア・ヴァリューとして将来へと継承されていくであろう。

キーワード:

まちづくり条例,シビック・プライド,景観政策

真鶴町『美の条例』の基本情報:

  • 国/地域:日本
  • 州/県:神奈川県
  • 市町村:真鶴町
  • 事業主体:真鶴町
  • 事業主体の分類:自治体 
  • デザイナー、プランナー:池上修一、野口和雄、五十嵐敬喜
  • 開業年:1990年

ロケーション:

都市の鍼治療としてのポイント:

 真鶴町の「美の基準」を表現しているのは言葉である。それは、真鶴町民がまちづくりを考えるうえでの「共通言語」になっているのだ。このような共通言語があるからこそ、町民は対話をすることができ、そこから将来の新しい形が育み、そして、新たな価値を創造していくことができる。このようなコミュニケーションをする言語を有しているからこそ、真鶴町はまちづくりをすることが可能となるのだ。
 コミュニケーションをする言語なら、日本語があるじゃないか、と指摘する人がいるかもしれないが、日本語だけではまちの細かい点、人の場所に対する思い、まで表現することは難しい。それは、一度、「美の基準」というフィルターを通して、その言葉を純化しなくてはならない。例えば、69番目のキーワードは「眺め」であるが、それについての対応として以下のことが記されている。

 「真鶴町がいつか自然と人のユートピアとなるように願うこと」
 「美しい世界を一人ひとりが具体的に想像すること」
 「美しく豊かな眺めはそれぞれの心から創られる」
 
 「眺め」を仕事としてデザインしている一般のランドスケープ・デザイナーがこれを見たら、「何のこっちゃ」「ふざけてるんじゃないよ」という反応をするかもしれない。しかし、ちょっと距離を置いてみると、優れた「眺め」をデザインするには、「自然と人のユートピア」はどのようなものなのか、「美しい世界」とはどういうものなのか、それを真剣に考えないと、そもそも素晴らしい「眺め」が描けない。そして、公共的な空間においての「眺め」というものは、デザイナーといった個人ではなく、そこで生活する人、訪れる人達の「心」が積分されてはじめてつくられる、といった根源的なことをこの「美の条例」は示唆している。
 このような条例がつくられた背景に、リゾート開発を阻止しようと三木町長が県に訴えても「法律的にはつくられる」とその申出を断られたような経緯がある。三木町長は、それならと「上水道事業給水規制条例」や「地下水採取の規制条例」というカウンターを繰り出し、開発を阻止しようとしたが、そもそもこういう事態になったのは真鶴町の望ましい形をコミュニケートする「共通言語」が弱いからだという認識に至った。そして、その「共通言語」は開発業者、行政だけでなく町民がまちづくりにコミットする機会を提供することになる。
 条例づくりに協力した五十嵐氏は次のように語った。

 「戦後五十年たつのだから、そろそろ本当の住民自治に道を開かなくてはいけません。全国一律の上位法では国の都合のいい町づくりしかできない。だから原点に帰って、住民参加で町づくりを考えようとしているのです。」

 「まちづくり」という概念は、英語でも「machizukuri」と使用されることが多い。これは、「machizukuri」を適切に示す英単語がないからだ(Rotolo, 2019)。それは、ハード的なアプローチではなく、ソフト的なアプローチでの都市計画といった意味であるが、その重要な要素として、その過程で住民参加を伴うということが挙げられる。ただ、それを実践することは難しい。それは、住民参加を通して合意形成を図ることが求められるのだが、そのためのコミュニケーション・ツールが日本語だけでは難しいからである。この日本語をより誤差が少なく、意思伝達手段として「まちづくり」のプロセスに使えるツール。それこそが「美の条例」である。ただ、その内容は住民にとっては当たり前だそうだ。それまでの暮らしを言語化したので、内容的には普通のことを記しているだけなのだ。しかし、それを条例という形にしたことは、真鶴町の将来を決定的に変える(変えない)ことに通じるとてつもなく価値のある資産となった。
 真鶴町は2005年に景観行政団体の第一号となる。町がやってきたこと、反対されていたことが国策としての「景観法」に繋がったことを示唆する出来事であった。「美の条例」は、正解を示してくれる訳ではない。一定規模以上の開発では、69のキーワードについて協議をする。それは、常に議論を伴うが、それは「正解」を行政、開発業者、住民とで模索する過程である。
 取材に応じてくれた真鶴町の担当者は「美の条例」がなかったら真鶴町はどうなっていたと思うかという私の質問に次のように回答した。

 「この条例をつくらなかったら、他と同じような町になってしまった。いい意味で風景が変わってない。その結果、モノの豊かさより、質の豊かさが体感できる、豊かさの多様性を感じられる町が維持できている」。

【取材協力】
真鶴町まちづくり課 都市計画係 多田 英高

【参考資料】
全国町村会のホームページ
https://www.zck.or.jp/site/forum/19343.html

中川理(2008)『風景学』共立出版
Martina Rotolo (2019)「LabGov. City」
https://labgov.city/theurbanmedialab/the-japanese-way-of-urban-planning-the-machizukuri-approach/

産経新聞 1993/11/24朝刊

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