247 グアナファトのミギュエル・イダルゴ通りの地下化(メキシコ合衆国)

247 グアナファトのミギュエル・イダルゴ通りの地下化

247 グアナファトのミギュエル・イダルゴ通りの地下化
247 グアナファトのミギュエル・イダルゴ通りの地下化
247 グアナファトのミギュエル・イダルゴ通りの地下化

247 グアナファトのミギュエル・イダルゴ通りの地下化
247 グアナファトのミギュエル・イダルゴ通りの地下化
247 グアナファトのミギュエル・イダルゴ通りの地下化

ストーリー:

 メキシコのほぼ中央に位置するグアナファトは、周辺にある金鉱や銀鉱がもたらす富で潤い、17世紀末から18世紀末にかけて栄華を極める。18世紀の終わり頃にはラ・ヴァレンシア鉱から産出された銀はペルー国の総産出量と匹敵するほどであったとアレキサンダー・フォン・フンボルトは指摘している。これはメキシコ国内で最大の銀鉱であった。
 グアナファトは4つの別々の集落が拡張し、それがくねくね道によって結ばれて、現在の谷間を中心とした形へと発展する。このような発展をしてきたため、都市は極めて計画的ではなく、自然発生的につくられていった。それは、地形にのっとりつつ、小さな広場へとのアクセスを重視したようなつくられ方である。ローズ・オブ・インディースに則ってつくられてきた新世界の格子状の都市とは大きく一線を画しており、それがグアナファトの都市をユニークなものとしている。そのような都市構造であったために、グアナファトはその地形の急峻さと平地の少なさから主要道路は狭く、川に沿ってつくられたためにカーブが多く走行しにくかった。
 1960年までは、まだモータリゼーションも進展していなかったこともあり、それでも地元住民の移動にはそれほど不便はなかったが、モータリゼーションの進展が見え始めた1960年代終わり頃から州政府そして市政府はその状況を改善しようと幾つかの施策を考えた。その中でも最も重要なものは、グアナファトの都心部を流れるグアナファト川の水を上流にダムをつくることでせき止め、そして水が流れなくなったグアナファト川の川底を舗装して自動車道路としたことである。これによってつくられたのがミギュエル・イダルゴの地下道である。それはグアナファトの歴史地区の真下を通り、その距離は3キロメートルにも及ぶ。
 その後、このミギュエル・イダルゴ通り以外にも地下道のネットワークができ、歴史的市街地を錯綜する狭隘な道路を通らずに、グアナファトの中心道路であるミギュエル・イダルゴ通りにアクセスできるようになった。これによって、都心部の自動車による通過交通による移動が飛躍的に改善されると同時に、歴史的市街地から通過交通の自動車を排除し、その一帯を歩行者ゾーンとすることを可能とした。その結果、現在の歴史的市街地の広場、街路、庭園の都市的な魅力を格段に改善させることになり、それが世界遺産の指定、さらには観光客の増加に繋がっていると考えられる。

キーワード:

地下道路, 自動車排除, 歴史保全

グアナファトのミギュエル・イダルゴ通りの地下化の基本情報:

  • 国/地域:メキシコ合衆国
  • 州/県:グアナファト州
  • 市町村:グアナファト市
  • 事業主体:グアナファト市、グアナファト州
  • 事業主体の分類:自治体 
  • デザイナー、プランナー:N/A
  • 開業年:1963

ロケーション:

都市の鍼治療としてのポイント:

 グアナファトを訪れた時、グアナファト空港からどうやって行くか迷ったことがある。バスで行けない訳ではないが初めての町ということもあって、タクシー代が日本に比べれば安いということもあり、思い切ってタクシーで向かった。空港からは40キロメートルほどある。一時間ほど走り、なんとトンネルの中でここがそうだから降りろと言われる。タクシーの運転手はあまり英語がしゃべれなく、私の拙いスペイン語での理解だとここから上がると旧市街地の真ん中だと言っていると思われたのだが、これは詐欺なのではないか、と随分と訝しい気持ちになった。とはいえ、タクシーの運転手は確信を持った顔をしてこちらをみているので、そのまま車から降りた。暗い感じのトンネルであるが、歩道はしっかりと整備されている。とりあえず、歩道を歩いて一番最初の階段を上がってみた。すると、そこは小さな広場となっており、歴史ある重厚でいて、カラフルな建物の見事なファサードが目前に展開した。
 このミギュエル・イダルゴ通りは、元は河が流れていたところを地下道路として整備したものである。周囲を急峻な丘に囲まれているグアナファトは、大雨の後には勢いよくこの都市部に雨水が流れ込み、頻繁に洪水の被害に悩まされていた。それへの対策として、この河の水量をしっかりと確保することが必要であったために、都心部の建物の基盤は少しでも高くつくられるようになったのである。建物をつくられる平地が少なかったために、河川沿いぎりぎりにまで建物はつくられ、その結果、河の上部まで建物がつくられていき、しまいに河のほとんどが建物の下を流れるような形になってしまった。これが、現在でもトンネル内の道路において橋梁やアーチ型の天井などが残っている理由である。
 そして、1963年にはこの河の上流部にダムをつくり、河であったところを舗装化し、自動車を通す地下道路へと転用するという大胆なプロジェクトを実行に移すことにする。その結果、世界遺産にも指定されたグアナファトの素晴らしい歴史的街並みは自動車から開放され、人間を中心とした見事な空間を維持することができるようになった。それは、自動車が出現する以前につくられた歴史的市街地とたいへんしっくりとくる都市景観を生み出している。都市の鍼治療と括るには大事業ではあるが、その政策は見事にツボを押さえている。

【参考資料】
世界遺産都市協会のホームページ(https://www.ovpm.org/city/guanajuato-mexico/
Angel Humberto Arcos García: (2007) “Interventions in the Historical Center of the City of Guanajuato – Mexico”

類似事例:

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・環状道路1号線地下化事業(オタニエミ、フィンランド)
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