221 平和の鐘公園(ブラジル連邦共和国)

221 平和の鐘公園

221 平和の鐘公園
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221 平和の鐘公園

221 平和の鐘公園
221 平和の鐘公園
221 平和の鐘公園

ストーリー:

 平和の鐘公園はブラジルの南部にあるサンタ・カタリーナ州のセウソ・ラーモスにある。そこには、長崎県から送られた鐘が、鶴を模したモニュメントにて展示されている。平和の鐘は日本以外では世界に二つしかない。一つは国連の本部、そしてここセウソ・ラーモスである。なぜ、人口が3,000人にも満たない、大都市から遠く離れたセウソ・ラーモスに「平和の鐘」があるのだろうか。
 この鐘は長崎県からセウソ・ラーモスに送られてきたものである。セウソ・ラーモスは日本政府とサンタ・カタリナ州の協同事業として1964年に設立されたコロニーであり、そこに長崎県出身者であり、高校生の時、原爆に被爆した小川和己氏が入植した。彼は、その後、長崎県出身者を多数、このコロニーに呼び寄せ、りんごの富士や梨の二十世紀の栽培に成功した。ブラジルはそれまでりんごの栽培に成功したことはなかった。
 小川氏に浦上天主堂にあった長崎の鐘のレプリカが、長崎県から届いたのは1998年であった。長崎からラーモスに呼び寄せた叔母、そして弟は被爆が原因の癌で亡くなる。小川氏は日頃、よくこう言っていた。「ブラジルに来て梨もつくれた。りんごもつくれた。1つ心残りと言えば、この地で平和運動を広げることだ」。この発言が長崎県国際親善協会関係者の耳に入り、平和の鐘のプレゼントにつながった。小川氏も多いに喜んだものの、その処遇には困ってしまった。この貴重な鐘をどうすればいいのか、思い悩んだ小川氏はクリチバ市の中村ひとし氏に相談する。
 中村ひとし氏は当時、パラナ州の環境長官という立場であったが、小川氏に全面的な協力をすることを約束し、「平和の鐘公園」を実現させることに取り組むこととなる。小川氏は私の取材に対して、「州の環境長官という要職の人に御願いするのは、ダメ元の気持ちであったが、話を聞いてくれるだけでなく全面的に協力してくれると言ってくれた。あの時ほど嬉しかった時はない」とその時のことを回顧した。
 現地を訪れた中村氏は、周辺を広く展望できる高台に記念碑を置くと素晴らしいであろうと提案をし、それを中心にした公園の整備をすすめることとした。そして、小川氏と中村氏は、当時サンタ・カタリーナ州の知事であったアミン氏に「平和を訴える公園の建設委員長になってもらえないか」と依頼する。リンゴや梨のブラジルでの栽培を実現した小川さんの功績を認めていたアミン氏は、その要望をその場で受諾し、全面的な協力を約束する。
 平和の鐘公園は、頂上にモニュメントが設置される丘の広場、原爆の被爆資料館、さらには日本庭園に囲まれた茶室の3つのゾーンに分けて設計された。5,000万円ほどの建設資金は、長崎県、サンタ・カタリーナ州、さらには住民の寄附などで賄われた。工事は2001年に開始され、平和公園の第一期工事は2002年に完成する。丘の広場につくられた鶴を模した真っ白な平和のモニュメントは高さ約25メートル。人々が祈りを捧げるような形状をも彷彿させるこのモニュメントは、まさに平和を象徴するのにふさわしいものであった。
 二期工事は資金集めに苦労するも、連邦政府からの補助金を得て2010年に完成する。中村ひとし氏が得意とするユーカリの木の電信柱を再利用してつくられた被爆資料館は420平方メートル。平和の鐘を展示する他、長崎県から送られてきた被爆時の写真パネルを展示する部屋がつくられた。展示室に併設して、視聴覚室、自習室なども設け、学生達の平和学習の機会をも提供できるようにした。資料館はフレイ・ロジェリオ市の文化施設としても位置づけられ、その運営管理も行ってくれるようになった。
 資金的な問題、さらには2012年に小川氏が急逝したこともあり、三期工事の茶室の完成はまだ実現されていないが、社会科見学で学生がここを訪れ、平和学習に利用するなどして、その存在感は増している。

キーワード:

公園づくり,ランドマーク

平和の鐘公園の基本情報:

  • 国/地域:ブラジル連邦共和国
  • 州/県:サンタ・カタリナ州
  • 市町村:フレイ・ロジェリオ市(旧クリチバーノ市)セウソ・ラーモス(Celso Ramos)
  • 事業主体:小川和己
  • 事業主体の分類:個人
  • デザイナー、プランナー:中村ひとし、Maria Benesita Honda(モニュメントの設計)
  • 開業年:2002

ロケーション:

都市の鍼治療としてのポイント:

 小川和己氏には三回ほどお会いしたことがある。一回目はクリチバの中村ひとし氏の半世紀を書くための取材(取材結果は『ブラジルの環境都市を創った日本人: 中村ひとし物語』(未來社)としてまとめている)のために、そして二回目は奉職していた大学の学生達とともに「平和の鐘公園」を訪れた時、さらには2012年3月に小川さんが長崎市から招待を受けた時、偶然にも私も講演で長崎市にいたので、主催者の長崎市が会食をセッティングしてくれた時である。小川さんはその年の8月に逝去される。3月に長崎でお会いして半年も経ってない時に受け取った悲報であった。
 小川さんの遺志は、中村ひとし氏や家族を含めたセウソ・ラーモスの人々に引き継がれ、大きな平和運動へのうねりを、この小さなブラジルの片隅にある村から発信している。そして、平和の鐘公園は、まさにその発信塔としての役割を担っており、セウソ・ラーモスという、まだ50年ほどしか歴史のない町に、新たな社会的価値を付加させている。
 原爆の投下という事実、さらにはそれに被爆することの筆舌を絶する悲惨さ。それは被爆国である日本ではある程度理解できても、他国の人に伝えることは難しいし、他国の人が理解することも難しい。その難しいことを、ブラジルに移住した小川さんは行おうとした。そして、彼の活動は多くの日系人、さらにはブラジル人の心を動かし、具体的な行動を促した。その行動の集大成が「平和の鐘公園」である。「平和の鐘公園」ができた場所は、その瞬間、原爆被災という歴史を語る、特別な聖なる空間へと変容したのである。
 小川氏は、講演会や学校等で被爆体験を語り、平和の大切さを人々に伝えていく。そのような活動に対して、サンタ・カタリーナ州は2004年に民間人が受ける最高位の勲章である「アニタ・ガリバルディ賞」を授与した。日本人として初めて受賞である。また、彼のドキュメンタリー映画「平和の記憶(Memorial da Paz)」が地元の大学生や教員等によって制作され、この映画は第四回ヴァルジーニャ・シネマ・フェスティバルのドキュメンタリー部門でグランプリを獲得する。「平和の鐘公園」は、この映画の続編としての物語でもある。
 
【取材協力者】
小川和己氏、中村ひとし氏

【参考資料】
丸山康則氏「ラーモスの二つの公園」
https://ongtrabras.org/jp/images/stories/ramos/kizuna3.pdf

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