183 ドルトムンダーUタワー (ドイツ連邦共和国)

183 ドルトムンダーUタワー

183 ドルトムンダーUタワー
183 ドルトムンダーUタワー
183 ドルトムンダーUタワー

183 ドルトムンダーUタワー
183 ドルトムンダーUタワー
183 ドルトムンダーUタワー

ストーリー:

 ドルトムンダーUタワーは、展示、研究、教育、そして製作活動といった多様な機能を有した新しいタイプの文化拠点である。その正式名称は「都市芸術文化センター」であるが、人々は、そのビルの屋上に設置された巨大なアルファベットのUの字への愛情を込めてUタワーと呼ぶ。それは、ドルトムント市だけでなく、ルール地域全体の構造的改革、文化の再生を象徴した施設である。このUタワーには、オストワル美術館、ドルトムント工科大学、ドルトモント市文化局、ドルトムント応用科学・芸術大学、ヨーロッパ創造経済拠点などの様々な組織がテナントとして入っており、創造的なプログラムや国際的な研究などを行うと同時に、それらの成果を展示したりする機会を提供している。その運営は、上記の組織が集まったU-PARTNERが行っている。
 ドルトムンダーUタワーはもとはユニオン・ビールの醸造所かつ貯蔵所の建物であった。それは1927年に建築家エミル・ムーグによって設計され、つくられたもので、当時はドルトムントで最も高い建物であり、ルール地方の中でも相当、目立つビルであった。それは、ドイツでも最大の生産量を誇るドルトムント・ユニオン・ビールがビール製造においてリーダーであることを表すと同時に、ドルトムントにおけるビール醸造の重要性をも表現するような建築物となった。建物のてっぺんに置かれたUの字は、1968年にアーネスト・ノイフェルトによって設計され、全方位からも読めるように4つの方角を向いた4つのUから構成された。それ以来、この建物はランドマークが少ないドルトムントにとっては都市のエンブレムのような役割を担うことになる。しかし、1994年に、この醸造所は閉鎖され、周辺にある多くの建物も閉鎖とともに壊された。ただし、このタワーを擁する建物だけは、ランドマーク的に意義があるということで保全されることなった。
 そして、しばらくその活用法についていろいろと議論されていたのだが、2008年にルール地方が「2010年のヨーロッパ文化首都」に指定されると、一挙に話が展開し、ここをその象徴的なプロジェクトに位置づけることに決定し、そのためにも文化を全面的に打ち出す施設が構想されることになった。その構想は「都市芸術文化センター」というものであった。
 そのコンセプトは20世紀と21世紀の現代芸術を展示すると同時に、デジタル時代にける芸術教育を発展させ、芸術と科学の融合を図り、創造産業における多様なプレイヤーが協働する機会を提供する場である。この建物の象徴であるUは統合(Unity)を意味し、それは国内外の、そして学際的な人達が協働することや、芸術、研究、教育、経済といった多様な分野を取りまとめることをも意味している。
 その中核施設はドルトムント市立オストワル美術館である。オストワル美術館は1949年にドルトムント市内にて開業したが、2009年に閉館し、ドルトムントを含めたルール地方がヨーロッパ文化首都に指定された2010年にドルトムンダーUタワーに移転、開館した。
 その建物の修復事業は大きな課題を有していた。外観は窓がなく、その内部は8階建てのビールの醸造、そして貯蔵のためにつくられた建物を、文化拠点としての魅力ある建物へと改修するのは容易ではなかった。この再生のための提案は、建築コンペによって募られ、二位になったエッカード・ゲルバーの案が選ばれた(一位の該当案はなかった)。ゲルバーの案の特徴は、東側にアトリウムのような空間をつくりだすことで、この建物の窓のない壁を保全し、それが醸造所であった記憶を来る者に喚起させることに成功させたことである。その案は見事、成功し、この建物は、石炭・鉄鋼・サッカー・ビールというドルトムントのステレオタイプのイメージに新たに「文化」という要素を付け加えることになり、多くの人が集う新たな都市の広場として機能している。

キーワード:

歴史保全, 文化施設, 美術館

ドルトムンダーUタワー の基本情報:

  • 国/地域:ドイツ連邦共和国
  • 州/県:ノルドライン・ヴェストファーレン州
  • 市町村:ドルトムント市
  • 事業主体:U Partners
  • 事業主体の分類:自治体 民間 市民団体 大学等教育機関
  • デザイナー、プランナー:Eckhard Gerber
  • 開業年:2010年

ロケーション:

都市の鍼治療としてのポイント:

 21世紀になってからルール地方の雄であったドルトムントは、その繁栄の礎であった鉄鋼業の衰亡から再生させるために、様々なプロジェクトに取り組むことになる。その大きなフレームワークとなったのは、世界的に知られている1989年から1999年まで取り組まれたIBAエムシャーパークである。
 そして、このIBAエムシャーパークの成功が、そのDNAを引き継いだような様々な後続のプロジェクトを生み出すことになる。この都市の鍼治療(ファイル44)でも紹介したフェニックス・ゼーがその典型例であり、また、このドルトムンダーUタワーもその象徴的なプロジェクトである。
 ドルトムントにデュッセルドルフ方面から鉄道でアクセスする。ドルトムント中央駅に近づくと、その右手にアルファベットのUが天辺に置かれたビルが姿を現す。ランドマークの少ないドルトムントにとっては貴重な建物である。この建物は、ヨーロッパを代表する工業地帯の雄であったドルトムントが、文化都市へと脱皮するための起爆剤であると同時に宣言でもあり、また、工業以外の重要な同都市のアイデンティティであるビールの都市(ドルトムントのビール生産量は、都市別でみるとアメリカ合衆国のミルウォーキー市に次いで二番目であった)の記憶を次世代に継承させるための仕掛けともなっている。そういう点において、二重にも三重にもこの建物はドルトムントにおいて重要な施設であるのだ。
 その都市戦略が成功したかどうかを、この時点で検証することは難しい。しかし、筆者が以前、行った「ルール地方のイメージ調査」(The Image Study of Ruhr Region、明治学院大学リポジトリ)において、若者はルール地方の形容詞として「工業(Industrielle)」、「正直(Ehrich)」といったものに混ざって「文化的(Kulturell)」といったものも挙げていた。徐々にそのイメージ転換政策が実を結びつつあることが、この調査からも浮き彫りになっている。
 Uタワーが67年間、この場所でビールを製造してきたという歴史の終焉は、サッカーと石炭・鉄鋼業、そしてビールを都市のアイデンティティとするドルトムントにとっては、経済的にも歴史の大きな転換点となった。そして、その建物の機能はまったく異なったものにはなったが、Uの字のエンブレムなど、そこが醸造所であったことを上手に次世代に継承するという目的も達することができた。見事な「都市の鍼治療」事例であると考えられる。

【参考資料】
Dortmunder U ウェブサイト(https://www.dortmunder-u.de)

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