158 ベルリン市立ユダヤ博物館 (ドイツ連邦共和国)
ストーリー:
2001年にベルリンのクロイツベルク地区に開館したベルリン市立ユダヤ博物館は、4世紀から現在に至るまでのドイツにおけるユダヤ人の社会、政治、文化的な歴史を展示している。それは、ドイツにおけるホロコーストという悲惨な歴史的事実を経て、それらをこれまでのドイツにおけるユダヤ人の歴史の文脈の中で位置づけ、展示することも意図している。
展示は13の章から構成されている。そのコンテンツの内容が充実しているのは、もちろんであるが、この博物館を特別なものにしているのは、リーベスキント設計の建物自身であろう。鋭角の刃物で切り裂いたかのような亀裂が入ったオリエンテーションを失った矢印のようなジグザグの建物のデザインはそれを観る者に強烈なインパクトをもたらす。
ベルリンのユダヤ博物館ははナチスが政権を掌握する6日前の1933年1月24日に既に開業していた。ただし、これはナチス政権により1938年に閉鎖される。戦後、ベルリン市では、ユダヤ博物館を再建する声が強かったが、なかなか実現せず、ベルリン市がコンペを行ったのはドイツが再統一される直前の1989年であった。そこで優勝したのがリーベスキントであった。しかし、その後、なかなか建設することができず、建設が始まったのは1992年、建物が完成したのが1999年、開館したのは2001年であった。
ユダヤ博物館は、元ベルリン市立歴史博物館(旧ベルリン高等裁判所)の建物とリーベスキントが設計した新しい2つの建物の合計3つの建物から構成されており、ヨーロッパ最大のユダヤ博物館となっている。
リーベスキントのデザイン・コンセプトは3つの前提条件から導かれた。それは:1)ベルリンの歴史はユダヤ人の役割を無視して理解することは不可能であること、2)ベルリンという都市の記憶にはホロコーストという負の事件をもしっかりと刻印させる必要があること、3)ベルリンという都市とドイツという国の将来にとってユダヤ人を多く抹消した事実を認識しなくてはならないこと。
観光客は1735年に建てられた旧ベルリン高等裁判所の建物から入館し、そのまま階段を下りていき、何もない空間(Entry Void)を通り、地下に向かう。地下に動線を設けることで、昔の建物とリーベスキ塔g設計の新しい建物が並立し、対比されることを意識したそうだ。地下に行くと、3つの回廊に分かれ、一つ目はホロコースト・タワーという行き止まりに行き、二つ目は建物の外に出て、「亡命と移民の庭」(Garden of Exile and Emigration)というコンクリートの長方形が林立する屋外空間に行く。そして、3つめは最も長い回廊を通り、「つながりの階段」(Stair of Continuity)に到達し、それから博物館の展示スペースへと人々を導くようになっている。
1999年にドイツ建築賞を受賞。年間来館者数は70万人に及ぶ。
キーワード:
博物館,負の歴史,ランドマーク,都市の記憶
ベルリン市立ユダヤ博物館 の基本情報:
- 国/地域:ドイツ連邦共和国
- 州/県:ベルリン州
- 市町村:ベルリン市
- 事業主体:ベルリン市
- 事業主体の分類:自治体
- デザイナー、プランナー:Daniel Libeskind
- 開業年:2001年
ロケーション:
都市の鍼治療としてのポイント:
都市は、文化が育まれる場所であり、様々な歴史的イベントが起きる場所でもある。それと同時に、都市にはそれらを記憶し、また編纂し、展示する役割をも期待される。そして、この歴史という時間の積み重ねが都市を特別なユニークなものとしていくのだ。
それゆえに、歴史的建築物や歴史的な町並みをその都市が有していれば、しっかりとそれを保全し、未来を継承することが都市のアイデンティティを維持することに繋がるし、また、そのような歴史的建築物や町並みが失われたとしても、博物館や史料館をつくることで、それらの記憶は次代に継承することは可能となる。
そして、それは負の歴史でも同じである。ホロコーストのようなドイツ人の歴史にとっては、大きな汚点であっても、その歴史をしっかりと見据えたうえで、将来を展望してこそ、始めてその負の歴史を乗り越え未来に歩み出すことができる。そして、その負の歴史の消えない墓標のような役割を担っているのが、このユダヤ博物館であろう。自国民にとっては恥ずかしい過去であり、周りからも責められるような過去であるからこそ、それをしっかりと記憶して次世代に継承するようにする。そのような役割を有する建物であることをリーベスキントの設計は見事に表現している。細長い長方形のガラスによる切れ目は都市の歴史の傷跡を想起させ、それは歴史の中断、欠如を我々に伝えてくる。それは、ユダヤ人への悲劇を見事に表現し、その建物の痛々しさが、訪れるものに強烈な印象を残さずにはおられないが、それを踏まえて、未来に前進しようという肯定的なエネルギーのようなものを与えてくれる。この博物館で展示されている事実は、ドイツ人にとっては隠したくなるようなことかもしれないが、それを敢えて示すことで、ドイツ人の正直さ・愚直さをも観る者には伝えてくる。そして、そのような施設がドイツ最大であり首都であるベルリンにあることは、ベルリンにとっても大きな意味を有していると思われる。
類似事例:
031 剥皮寮(ボーピーリャウ)の歴史保全
033 ジェノサイド・メモリアル
071 稲米故事館
114 ホロコースト記念碑
159 聖母教会の再建
189 ポンピドー・センター
203 デンバー美術館(ハミルトン・ビルディング)
216 いわき震災伝承みらい館
254 グエル公園
303 トンデムン・デザインプラザ(東大門デザインプラザ)
・ 原爆ドーム、広島市(広島県)
・ アンネ・フランク博物館、アムステルダム(オランダ)
・ 軍艦島、長崎市(長崎県)
・ ベトナム・ワー・メモリアル、ワシントンDC(アメリカ合衆国)
・ コベントリー大聖堂、コベントリー市(イングランド)