154 ストックホルムの地下鉄ホームのアート事業 (スウェーデン王国)
ストーリー:
ストックホルム地下鉄が開業したのは1950年である。それ以来、ネットワークは拡張していき、現在では駅の数も110ほどある。それらのうち90の駅がアート・ギャラリーのように芸術作品の展示場となっている。これらの芸術作品を製作した芸術家も150人にも及ぶ。それらは極めて日常的な生活に、ちょっとしたスパイスを振りかけたような、自宅に良質な絵画を掛けたような効果をストックホルムという都市に与えている。
戦後、スウェーデンの社会民主党は福祉に重きを置いた政策を展開していくが、同党は芸術がエリートなどの一部の人達に占有されているような状況を改善し、日常的に人々が鑑賞し、楽しめるようにすべきだという考えを抱くようになる。そして、同国の首都であるストックホルムは都市が拡張し、郊外化が進み、都心部と郊外を結ぶ地下鉄が整備されることになったことに着目し、それらの駅に芸術作品を展示し、ストックホルム市民が日常的に楽しめるプロジェクトを進めることにした。そして、これらの駅に絵を描いてくれる、もしくは彫刻を彫ってくれる芸術家を選考するコンペを実施したのである。最初に手がけられたのは、まさにストックホルムの地下鉄の中心駅であるT-Centralen駅においてであった。
地下鉄のアートは50年かけてつくられてきたので、それぞれつくられた時代背景を反映したものとなっている。例えば1970年代はスウェーデンは極めて政治的な議論が為されていたので、政治的主張がある芸術がむしろ好まれた(Solna Centrum駅や?stermalmstorg駅)。しかし、そのような状況は1980年代には変容し、個人的な芸術が徐々に好まれるようになる。さらに1990年代になると、まだ芸術作品がつくられていなかった郊外の駅に注目され、そのような駅に設置されることになる。
地下鉄の駅は無味乾燥なコンクリートでつくられている場合が多く、周辺の街並みや風景も見ることができず、特に冬の寒い中、ラッシュアワー以外の人気もない時間に郊外の地下鉄駅のプラットフォームで列車を待っているのは心寂しく、また不安にもなる。そのような気持ちを和らげるためにも、芸術作品は寄与している。
ストックホルムの地下鉄ネットワークは現時点では、その延長スピードも緩やかなものとなっている。したがって、新しい芸術作品も昔ほどのペースではつくられなくなっているが、それでもこの地下鉄ギャラリーは緩やかに変化をしている。そして、このプロジェクトは始めてから50年以上も経つことで、それぞれの作品がつくられた時代背景をも表現した、ちょっとした絵巻物のような機能をも有している。それは、ちょっとしたタイプスリップのような刺激をも訪れるものに与えてくれる。
地下鉄のホームに芸術作品を設置するといった試みはストックホルムの専売特許ではない。それどころか、ストックホルムよりも20年も先だってモスクワの地下鉄がそのような試みをしている。しかし、モスクワの地下鉄の芸術は社会主義のプロパガンダ的要素が濃いものであった。それに比して、ストックホルムは芸術とそれをつくった芸術家の精神を通じて、ストックホルムの都市アイデンティティのようなものが発露されているように感じられる。そして、何より素晴らしいのは、これらの芸術作品を鑑賞するのは無料であることである。いや、正確には地下鉄の乗車券は必要ではあるが。
【参考資料】David Cox, “A tour of the Stockholm metro ? the worlds longest art gallery” The Guardian (Oct.20, 2015)
キーワード:
地下鉄, パブリック・アート, 鉄道駅, 都市アイデンティティ
ストックホルムの地下鉄ホームのアート事業 の基本情報:
- 国/地域:スウェーデン王国
- 州/県:ストックホルム県
- 市町村:ストックホルム市
- 事業主体:ストックホルム市
- 事業主体の分類:自治体
- デザイナー、プランナー:Siri Derkert (Östermalmstorg駅)、Anders Åberg and Karl-Olav Bjork (Solna Centrum駅)、Fredrik Landegren (
- 開業年:1950年代後半から
ロケーション:
都市の鍼治療としてのポイント:
地下鉄での移動というのは楽しくない。私は以前、地下鉄の駅と私鉄の駅、どちらでも歩いていける場所に住んでいた。中学生であった長女は、地下鉄に乗った方が早く行けるにも関わらず、私鉄の定期券を買って、私鉄に乗って通学していた。理由を聞くと、地下鉄は乗っていてもつまらないからだそうだ。ラッシュアワーだと車窓を眺める余裕もないので、関係ないのではと思ったが、そうでもないらしい。
日頃、住み慣れた都市でもそうであるから、よそ者として訪れた都市で地下鉄に乗って移動するのは興醒めである。どうせ移動するのであれば、都市の風景を眺めながら、その都市の鼓動を感じながら移動したい。そちらの方が都市体験として遙かに優れているだろう。
ただ、ストックホルムは地下鉄という今一つな都市体験を芸術の力を使って改善させただけでなく、ちょっとした観光資源にまでも高めてしまった。それは、逆転の発想である。そして、このような試みを50年間も続けたことで、これら90の駅の芸術作品はストックホルムの貴重な都市資産になっている。それは、あたかも積立預金をしっかりと50年間続けたことがもたらした都市に豊かさを生み出す資産である。
ストックホルムの冬の夜は長い。そのような中、地下鉄といったそうでなくても日が差さない陰鬱な空間において芸術作品を展示をすることで、そこを創造的・刺激的な空間へと変容させることにした逆転の発想は、まさに「都市の鍼治療」的な事例であると考えられる。
類似事例:
062 ストリッシュコフ駅
099 旭川駅
167 パリ地下鉄のアールヌーヴォー・デザイン
286 ポティの壁画
332 オルセー美術館
・ プラハの地下鉄駅、プラハ(チェコ)
・ ユニオン・ステーション、セントルイス(ミズーリ州、アメリカ合衆国)
・ キングス・クロス駅、ロンドン(イギリス)
・ ショッピング・エスタシオン、クリチバ(ブラジル)
・ アンダーグランド・アトランタ、アトランタ(ジョージア州、アメリカ合衆国)