139 パイオニア・コートハウス・スクエア (アメリカ合衆国)

139 パイオニア・コートハウス・スクエア

139 パイオニア・コートハウス・スクエア
139 パイオニア・コートハウス・スクエア
139 パイオニア・コートハウス・スクエア

139 パイオニア・コートハウス・スクエア
139 パイオニア・コートハウス・スクエア
139 パイオニア・コートハウス・スクエア

ストーリー:

 パイオニア・コートハウス・スクエアは、ポートランドの都心部にある公共広場である。そこはライトレールが交差する結節点にもあたり、また裁判所が広場の前に立つ。ちょうど1ブロックが広場に充てられている(ポートランドの都心部のブロックは一辺67メートルの正方形の形状をしている)。そこは、まさにポートランドという都市の顔、居間にあたる中心的存在である。
 しかし、35年前、そこは二階建ての駐車場であり、ライトレールも走っていなかったこともあるが、地理的には都市のまさに中心であったにも関わらず、駐車場の利用者以外は訪れることもないような場所であった。駐車場がつくられる前は、ここには60年間営業していたホテルが立地しており、それなりに都市の顔のような役割を担っていたが、自動車の普及とともに、ホテルが閉業すると、そこは駐車場として整備されてしまった。
 1962年にパートタイムでポートランド市の市役所で働いていた建築家が、この駐車場をプラザにして作り直す提案をした。しかし、市はこの提案を無視する。1969年になると、2階建ての駐車場を増築する計画が浮上した。増築計画に対し、市民による反対が展開され、計画は中止され、それを契機として、そこを公共的な広場として整備する案が浮上し、1972年にはそれが決定される。そして、それを遂行するためにポートランド市は1979年に土地を買収する。さらに、その設計の国際コンペを翌年行い、ウィラード・マーティンの案を選定した。
 これで広場がつくられることがほぼ決まったかと思われたが、市長が替わると、この計画は中止される。市長だけでなく、ダウンタウン商工会(Downtown Business Association)もその建設に反対であったのだ。
 その後、Friends of Pioneer Squareという市民団体が、この事業が再開されるように資金を集め始め、160万ドル(約2億円)を募金によって調達し、さらに市民の寄付によって6万個のレンガを確保した(ポートランド・コートハウス・スクエアに敷かれたベンチには寄付者の名前が記されている)。
 このような努力が功を奏して、駐車場はようやく壊され、1984年にこの広場は誕生した。そのオープニング・デイのイベントには9,000人の市民が集まった。

キーワード:

広場, アイデンティティ, 公共空間

パイオニア・コートハウス・スクエア の基本情報:

  • 国/地域:アメリカ合衆国
  • 州/県:オレゴン州
  • 市町村:ポートランド市
  • 事業主体:City of Portland
  • 事業主体の分類:自治体 
  • デザイナー、プランナー:Willard K. Martin
  • 開業年:1984年

ロケーション:

都市の鍼治療としてのポイント:

 最近では、日本で随分と注目を浴びているポートランド。都市デザイン的な観点からすると、その優れた事例はほとんど1990年代までに完成しており、その後につくられた新しい価値としては、ライトレールの延伸、ライトレールを補完するようにつくられたトラムぐらいかな、と個人的には思っている。とはいえ、この1990年以前につくられた数々の優れた都市デザインが、現在のポートランドの都市の魅力をつくっていることは間違いない。そして、その革命的な転換点は、このポートランド・コートハウス・スクエアがつくられたことであった。
 アメリカの都市は1960年代から70年代にかけて自動車に魂を売った。その結果、人間が集い交歓するという都市の本質的機能を担ってきた都心の広場は、駐車場や非人間的なアーバン・クリアランスによってつくられたスカイスクレーパーなどにとって変わられた。いつのまにか都心はスラム化し、人々は郊外で生活をすることになった。しかし、しばらくして幾つかの都市は、このような状況はおかしいのではないかと気づき始める。都心のように社会基盤が既に整備されている場所を使わないのは非効率であるし、都心部のスラムという社会的課題は解決しなくてはいけない、と考え始めたのである。ポートランドはまさに、そのような先駆的な事例であった。
 パイオニア・コートハウス・スクエアは、ダウンタウンにある公共広場で成功した数少ない例のひとつである。この事業が成功した理由は、市民がそれを実現するために運動を展開し、財政的な支援までしてきたことである。具体化するうえでの課題を一つ一つクリアしていった忍耐力、そして、その動きを市民が支持していったことが、この広場の具体化に繋がった。
 そして、さらにこの広場の中心性を高めるために、その後、整備されたライトレールの結節点をこの広場になるような計画を推し進めた。アメリカの都市は自動車と自動車文化に侵されて青息吐息になっているが、ここポートランド市は、自動車の空間を人間の空間に転換させることで、都心部を再生させただけでなく、都市における民主主義的精神をも醸成させ、強化させていったのである。まさに「都市の鍼治療」の事例にふさわしい、見事なツボ押しの事例であると考えられる。

類似事例:

027 ギラデリ・スクエア
044 フィニックス・ゼー
105 エスプラナーデ公園
140 ロブソン・スクエア
168 アンドレ・シトロエン公園
184 ザンド広場の再生
190 MFOパーク
・ ラブ・ジョイ・プラザ、ポートランド(オレゴン州、アメリカ合衆国)
・ セントラル・パーク、デービス(カリフォルニア州、アメリカ合衆国)

・ オソリオ広場、クリチバ(ブラジル)