340 リヨン旧市街地の保全(フランス共和国)
ストーリー:
リヨンの旧市街地はソーヌ川の西側にある。ソーヌ川とフォアヴィエール(Fourviere)の丘陵地の狭間に展開するリヨン最古の地区であり、中世の建物がしっかりと保全され現在に至っている。古くはゴール人の首都であり、中世においては絹織物産業が栄え、交通の要所でもあり、15世紀末には既に銀行が設置されるなど、フランス中部の中核的な産業都市であった。
1964年にリヨン旧市街地は、マルロー法によってフランスで最初の保全文化地区に指定される。旧市街地は北からサンパウロ地区、サンジャン地区、サンジョルジュ地区の三つに分類されている。1988年、リヨン旧市街地は、リヨンの他の地区とともにその歴史的重要性と歴史的建築が保全されていることから世界遺産に登録される。その対象面積は424ヘクタールほどである。
リヨン旧市街地を訪れるとその美しい街並み、建物に息を呑む。高い階上高を持つ建物がつくりだすファサード、石畳、そしてトラブールと呼ばれる建物を結ぶ迷路のような通路が、タイムスリップをしたような感覚を覚えさせる。
しかし、これらの見事な都市空間は1960年ぐらいまでは放棄されていたに等しかった。それどころか、この素晴らしい旧市街地を縦断する道路の計画が1960年代前半に策定されたのである。当時の市長は道路推進派で、市内でも多くの道路工事を推進させていた。持ち主には許可を求める、という姿勢であったが、これは逆にいえば持ち主でない市民にとっては、反対する術は反対運動をするしか選択肢はなかった。しかし、1962年にマルロー法(注:アンドレ・マルロー文化相が提唱した歴史的街区保全、不動産修復の促進のための制度)が制定されたことで、この法律によって旧市街地保全運動が力を発揮する。リヨンの人達はマルロー文化相に陳情書をもっていき、それが認められてリヨンの旧市街地はマルロー法の保全対象であることが1964年に指定された。これはマルロー法の最初の適用例でもあった。
そして、この指定を受け、しっかりと保全できるようにNGOのルネサンス・ドゥ・ビュー・リヨン(Renaissance du Vieux-Lyon)が活動する。同組織はリヨン旧市街地の歴史的建築物を戦後の乱開発から保全することを目的として1946年に設立された。この組織が、マルロー法の指定を絵に描いた餅にしないように、これを盾に保全活動を推進したのだ。ソーヌ川沿いに住んでいた人達は、旧市街地の建物が貴重であることは理解していた。そこで、住んでいる人達が周辺を掃除する運動を始めた。ここにあった商店は、見た目を綺麗にするような指導をした。これによって、中味の良さが外見からも理解しやすくなるようにしたのである。そして、1975年から1977年に若い市民達がその観光価値を理解し始めてくれた。そのような中、1983年には建物を壊しにくくするために、歴史的建造物を登録し、道を広げられないようにした。さらに1985年には「歴史地区の保全活用政策」を策定し、1989年にはリヨンの中心として、顔としてふさわしい場所として、この地区を再生するための重点整備を行うことが決定された。そして、旧市街地を縦断する道路計画を中止させることに成功する。
この決定によって、リヨン市は交通問題を解決させることを中心施策と据え、この歴史地区を再生することにした。具体的には2万台の通過交通の多くをこの地区から回避させるために、周辺部に幹線道路の迂回ルートを開通させ、地上にあった800台もの駐車場も撤去した(その代わりとして、この地区外に駐車場を新たに整備した)。そして、自動車という都市空間における人の「敵」を排除した後、2キロメートルにも及ぶ歩道の整備、バス路線の整備、地下鉄の整備、そして地下鉄、バス等の結節点における利便性の改善などを図ったのである。
リヨンの中心部は、まさにリヨンの歴史、そして文化が蓄積された、リヨンのアイデンティティが集約した都市空間だ。そのアイデンティティを次代に継承させるためにも、その空間をしっかりと保全し、かつそのレジビリティ(識別しやすさ)を確保させることが重要である。この歴史地区は、どのような本や話よりも雄弁に、リヨンの歴史的アイデンティティを体現している。そして、上記の交通対策によって、ヒューマン・スケールのリヨンという都市空間の記憶を現代に蘇らせることに成功したのである。
キーワード:
歴史的街並みの保全,歴史的建築物の保全
リヨン旧市街地の保全の基本情報:
- 国/地域:フランス共和国
- 州/県:ブーシュ・デュ・ローヌ県
- 市町村:リヨン
- 事業主体:Renaissance du Vieux-Lyon
- 事業主体の分類:NGO
- デザイナー、プランナー:レジス・ニーレー
- 開業年:1964年
ロケーション:
都市の鍼治療としてのポイント:
リヨンの旧市街地は豊穣なる歴史を有するヨーロッパにおいても、特別な魅力を放っている。それは3つの異なる個性を有している地区が共存していることで、それらが多様な立体的な魅力を放っているからではないかと推察される。さらに、この旧市街地は1000年以上の時間を積み重ねてきており、その空間は年輪が円の形をしていないのと同じように場所によって歪みが生じている。この歪みが、リヨンの旧市街地に迷宮のような複雑さをもたらしており、それが四次元的な魅力となっている。これら三つの地区の個性を概説すると、サンパウロ地区は15世紀から16世紀にかけてイタリア人の銀行家、商人の豪華な住宅が立地していた地区である。特に豪奢な建物は、現在、リヨン歴史博物館や国際操り人形博物館として使用されている。ロマネスク建築のサンパウロ教会が同地区の北端に位置する。サンジャン地区は中世から政治・宗教の中心であった。リヨン大司教であるゴシック建築のサンジャン大聖堂が立地し、それに隣接する聖楽学校(マネカンタリー)であった、現在は教会関連の博物館は、リヨンに残る数少ないロマネスク建築である。サンジョルジュ地区は16世紀頃から絹職人達が居住していた地区であり、現在でもほとんど変化していないような地区だ。1844年に建築家のピエール・ボッサンがサンジョルジュ教会をソーヌ川の沿岸にネオ・ゴシック建築として再建した。
空間的な魅力として特筆すべきは、トラブール(Traboules)という抜け道的な歩行ネットワークであろう。中世時代にはソーヌ川と平行して通る道は少なかったが、その問題に対応するために、建物の回廊や中庭などを繋ぐことを目的としてつくられる。このトラブールはリヨン独特のもので、絹織物産業が発展した18〜19世紀に、織物を雨に濡らさずに運ぶために考案されたと言われている。
現在、我々がこれら旧市街地を訪れると、その悠久たる時間の積み重ねがもたらした空間の魅力に圧倒される。しかし、これは前述したように、アンドレ・マルローが文化相になり、マルロー法が制定されたという、ある意味で幸運によって守られたものである。そして、この幸運をしっかりと掴むために動いたリヨン市民、特にルネサンス・ドゥ・ビュー・リヨンの無私の活動がなければ、それが守られることはなかった。ルネサンス・ドゥ・ビュー・リヨンの初代会長であるレジスとアニー・ニーレー夫妻の銅像が2023年12月にソーヌ川沿いにつくられたこと、そして、2020年にリヨン市がレジス・アニー・ニーレー賞を設けたことなどから、いかにリヨン市民が彼らに感謝しているかを理解することができる。
さて、しかし、その保全活動の道のりは容易ではなかった。保全することが決まっても、建物の中は空気が悪く、光が届かない場所も少なくなかった。それまで150年ぐらい、まったく改修はされておらず、また建物の持ち主も改修費を出す気は無かった。規則をつくりたかったが、それはマルロー法が適用されていることもあって、市ではなくて国がつくることになっている。建物を少し変えるにも国の許可が必要なのだが、この規則をつくるのに国は14年間もかかった。結局、ルネサンス・ドゥ・ビュー・リヨンの活動が財務上しっかりと軌道にのるまでには15年間ほどかかった。
現在は改修も進み、1980年頃から温水も出るようになっている。そして、1980年代にまずサンジャン地区を中心に市が一部の建物を購入し始めた。そして、随分とそれから時間が経ってからであるがサンパウロ地区、サンジョルジュ地区の建物を購入した。結果、合計すると1,000戸ぐらいを改修したことになる。個人が改修する際には補助金が出る。高い建物であるが文化遺産なのでエレベーターは基本、つくれないが、1964年以降は居住者全員が同意すればエレベーターもつくれるようになっている。ルネサンス・ドゥ・ビュー・リヨンは、頻繁に行政に陳情し、不法工事をしたり、改修が変だったりしても連絡をしている。住民を代表する組織であるという認識から、常に行政とはコンタクトを取っている。これは、リヨン旧市街地は「生き続けている文化遺産」であるという考えからだ、とルネッサンス・ドゥ・ビュー・リヨンの現会長であるフレデリック・オーリア氏は、筆者の取材に回答した。
ルネサンス・ドゥ・ビュー・リヨンの旧市街地保全活動で特筆すべきことは、それが街並みや建物の保全を成功させただけでなく、それをコミュニティのアイデンティティ形成に繋がるように意識したことである。この活動によって、旧市街地を保全することが、そのコミュニティにとっても非常に重要な価値をもたらすことをリヨン市だけでなく、世界中の歴史都市が意識するようになる。
道路がつくれなかったことで当時の市長は随分と落胆したそうである。この市長は選挙ではなく、議会で選ばれていた。当時の道路は建物を壊すことで整備される計画であったので、この道路がもしつくられたとしたら長期的なリヨンの損失は莫大なものとなったであろう。結果論ではあるが、それが実行されなかったことはリヨンにとっては幸いであった。
【取材者】
Frederic Auria氏(Renaissance du Vieux-Lyon会長)
【参考資料】
服部圭郎『ヨーロッパから学ぶ豊かな都市のつくりかた』
http://www.hilife.or.jp/yutakanatoshi/yutakanatoshi_1.pdf
ルネッサンス・ビュー・リヨンの公式ホームページ(英語版)
http://www.lyon-rvl.com/880-english-version.html
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