337 ヘレラウ田園都市(ドイツ連邦共和国)
ストーリー:
ヘレラウはドレスデン市の北部にあるドイツ最初の田園都市である。田園都市の提唱者であるエベネザー・ハワードの影響を強く受けた経営者カール・シュミットが1909年に開発した。シュミットは新しい工場をつくる敷地を探しており、ドレスデンの北部の牧草地の北側にあるクロツチェという村に隣接した土地が適地と考え、そこにつくることにした。
工場をつくると同時に、そこで働く従業員達のために健康で豊かに生活できる住宅地をつくることを考え、田園都市の考えをベースにした計画的コミュニティをここに具体化することにした。その設計を担当したのはドイツのユーゲントシュティル運動の中核的メンバーであったリヒャルト・リーメルシュミットを始めとして、ハインリッヒ・テッセナウ、ヘルマン・ミューテシウス、カート・フリック等、当時のドイツの著名な建築家達であった。
その空間構成であるが、その中心には長方形の市場広場が置かれた。その周辺には商店やレストラン、クリニックなどが設置されている。残念ながら広場は現在、駐車場として使用されている。区画割りは丘陵状の土地に合わせており、格子状ではなく有機的である。直線道路は少なく、ほとんどの道路が緩やかにカーブをしている。T字路が多く、直角に道路が十字路で交差する場所は計画されたところでは一箇所しかない。
建物は一階建てから三階建ての住宅であり、戸建てだけでなく、テラスハウスのタイプのものもある。家の基礎は石で、その上に漆喰の壁がつくられており、屋根はオレンジ色である。窓枠は緑色のものが多く、壁はクリーム色かオレンジ色で塗られているものが多い。家々より樹高がある針葉樹が街を覆っている感じで立っている。
この街の存在理由でもある工場は、これら住宅地から離れて南の町境につくられた。もう一つ、ヘレラウにとって重要な建物は1911年につくられたフェスティバル・ホールである。これは、リズム学校の校舎としてつくられ、この町の文化活動の中心として機能した。このホールがあるために、ヘレラウは当時の進歩的な人々のサロン的な役割を果たすが、ナチス党が政権を握った1930年代前半には活動は中止し、さらに旧東ドイツ時代は兵舎とスポーツ会場として使われて、文化的な活動はずっと行われなかった。しかし、ドイツ再統一を機に、ヨーロッパの芸術センターとして活用されることが決まり、リノベーションが行われた。新しくなったホールが公開されたのは2006年である。2009年からは一年中、ここで現代芸術の催しが開催されるようになった。ドレスデン現代音楽センター、ダンス・グループDEREVOなどがここを本拠地として位置づけ、活動している。
ヘレラウは世界遺産登録を目指して、2011年以来、活動している。しかし、却下され続けており、2024年も登録には至らなかった。この活動をしている主体は住民である。田園都市の本家本元であるレッチワースでさえ、登録されていないのに、ちょっとそれは楽観主義過ぎるのではないか、と思う人が多いであろう。かくいう筆者もそうである。
しかし、ヘレラウはレッチワースが有していないオーセンティシティがある。それは、建設当時から残されている建物の数の多さであり、また敷地計画がそのままであるということだ。実際、ヘレラウの街中に多く置かれている地図では、ここを設計した建築家4名の建物で現存されているものが4つの色で示されている。このヘレラウの保全状況の良さというのは、1900年代初頭に田園都市の影響を受けて世界中につくられた多くのコミュニティの中でも特筆される特徴である。現在では、上記の地図で示された4名の建築家が設計した建物はドイツの保存記念建築物に指定されており、これらを勝手にリノベーションしたりすることは出来ない。それらをリノベーションしたい場合は、ドレスデン市の担当部署と相談するそうだ。ただ、それ以外の建物の修繕は、周辺との調和に配慮する必要はあるが、一般的なドレスデン市の規定に沿えばいいそうで、特別なルールはないそうである。新築の建物の場合も同様である。ただ、実際は土地がないので新築の建物をつくることは極めて希であるそうだ。
キーワード:
田園都市,公共交通,ライトレール,トラム
ヘレラウ田園都市の基本情報:
- 国/地域:ドイツ連邦共和国
- 州/県:ザクセン州
- 市町村:ドレスデン
- 事業主体:カール・シュミット
- 事業主体の分類:民間 NGO
- デザイナー、プランナー:カール・シュミット、リヒャルト・リーメルシュミット等
- 開業年:1909年
ロケーション:
都市の鍼治療としてのポイント:
田園都市の影響を強く受け、ドイツではドレスデン近郊のヘレラウやベルリン近郊のエデン、さらにはエッセンのマーガレーテンヘーエ(都市の鍼治療 事例No.252)などのユートピア志向のコミュニティが1900年代初頭につくられた。それらは、都市が提供できなかった、光、新鮮な空気、自由、幸福、友情、真実などを希求する人々への回答であった。それを手がけたのはフィランソロピー的考えを有していた企業家カール・シュミットであった。それは工場で働く人々へより健康的で豊かな生活を提供することを強く意図した。この点はエベネザー・ハワードの提示した田園都市のコンセプトとはちょっと違い、むしろニューラナーク(都市の鍼治療事例No.020)のような社会主義的なユートピアに近い。ヘレラウは世界最初の田園都市であるレッチワース(都市の鍼治療事例No.147)の影響を色濃く受けているが、一方でヘレラウも大きな影響を与えることになる。特にスペインのコスタ・ブラヴァにある田園都市サガロはヘレラウから直接的な影響を受けている。
2021年からはザクセン州はヘレラウの世界遺産登録への申請書を文化庁へ提出した。2022年には専門家が訪れ、その価値を検証した。本家の田園都市でさえやらないような試みは、多少、頭を傾けざるを得ないところはある。しかし、ヘレラウが志向してきた全体的(ホリスティック)で連帯的なコミュニティの価値は21世紀に繋がる本質的なものである。それを世界遺産として博物館のようにすることの意義は感じられないが、そのコミュニティの価値をテキスト化し、広く発信することは意味があることだと考える。2024年にその結果が出され、ヘレラウは登録されることはなかった。
とはいえ、世界遺産に登録される価値が自分たちのコミュニティにあるのだと住民達が共有することはシビック・プライドの向上に繋がるし、また外部からの見方を大きく変えるイメージ改善効果も期待できる。そして、それは街並み、建築のより丁寧な管理を促すことになり、結果として良好な街並み、建築の維持に繋がるであろう。
レッチワース(都市の鍼治療 事例No.147)、マーガレーテンヘーエ(都市の鍼治療 事例No.252)、ラッドバーン(都市の鍼治療 事例No.148)など、これまで紹介してきた20世紀初頭に極めて計画的につくられた良好なコミュニティ事例は、つくられてから100年以上経っても、その魅力は薄れるどころか、むしろ、時間の蓄積とともにそのオーセンティシティは強化され、そのセンス・オブ・プレイスはより濃厚となっている。それを世界遺産のようにブランド化する必要性に関しては、筆者は懐疑的ではあるが、その価値を、そこで生活する人達の利便性を犠牲にせずに、将来的に維持させていくことの意義は大きいであろう。
維持させていくことが「鍼治療」である、という興味深い事例であると考えられる。
【参考資料】
ヘレラウの公式ホームページ
https://www.hellerau.org/de/
ドレスデン市の公式ホームページ
https://www.dresden.de/en/tourism/attractions/sights/city_region/the-garden-city-of-hellerau.php
類似事例:
020 ニューラナークの再生
147 レッチワース田園都市ヘリテージ協会
148 ラドバーン
252 マーガレーテンヘーエのアイデンティティ維持
・ ファルケンベルクの田園都市、ベルリン(ドイツ)
・ フーフェイゼン・ジードルンク、ベルリン(ドイツ)
・ ヴァイセンホーフ・ジードルクン、シュツットガルト(ドイツ)
・ ジーメンシュタットの集合住宅、ベルリン(ドイツ)
・ マグデブルクのブルーノ・タウト住宅群、マグデブルク(ドイツ)
・ シラーパークの集合住宅、ベルリン(ドイツ)
・ ヴォーンシュタット・カール・レジーエン、ベルリン(ドイツ)