276 インナーハーバー橋(デンマーク王国)
ストーリー:
コペンハーゲンのノイハウン地区とノアアトランテンズブリュッゲを結ぶインナーハーバー橋が2016年に開通した。これは180メートルの自転車と歩行者専用の橋であり、橋からは素晴らしい運河の展望を望むことができる。そして、それを望むための広場のような空間も設けられている。
この橋が架かる以前は、運河の東にある王立オペラ劇場、芸術学校などのあるホルメン地区に行くにはこの運河の両岸を結ぶ船に乗るか、ここから600メートル南にある橋まで行って渡るしかなかった。インナーハーバー橋がつくられたことで、歩行者はこれらの施設に行くのに30分も到達時間が短縮されることになった。また、これはノイハウン地区と対岸のクリスチャニア地区というコペンハーゲンの二大観光地を繋げることにもなる。この橋の計画の是非は2006年頃から議論し始め、2011年に計画が認められ、工事が開始された。
インナーハーバー橋はヨーロッパで始めての引込橋としてつくられることになった。引込橋とは橋桁を水平移動し固定されている部分に引込む構造になっており、極めて珍しい。そして、引き込まれた後、元に戻る様子がキスをしているようにも見えなくもないということで、この橋は「キッシング・ブリッジ」という渾名がつけられた。
しかし、このユニークな構造は工事上の多くの問題を引き起こし、2013年に完成するはずだった橋は2016年まで完成が延期される。そしてそれによって、当初の計画を大幅に上回る工事費がかかってしまう。
そのような問題もあったが、橋が完成すると一日当たりの自転車走行台数は16,000台を数えた。これは計画当初の予想の3,000台から7,000台を大きく上回っている。この橋が架けられたことによって、人々の移動パターンは大きく変化しており、都心部における自転車ネットワーク、歩行者ネットワークはより強化されることになった。事業の進め方には大きな問題があり、それに関してはコペンハーゲン市も反省するべき点が少なくないが、潜在的に交通需要があったところにアクセスを供給することによって、大きく状況を改善させることに成功した都市計画プロジェクトとなった。
キーワード:
自転車, アクセス
インナーハーバー橋の基本情報:
- 国/地域:デンマーク王国
- 州/県:デンマーク首都地域
- 市町村:コペンハーゲン市
- 事業主体:コペンハーゲン市
- 事業主体の分類:自治体
- デザイナー、プランナー:Flint & Neill, Cezary Bednarski
- 開業年:2016
ロケーション:
都市の鍼治療としてのポイント:
世界的にみて、自転車都市と標榜される都市はアムステルダム市、大阪市、そしてコペンハーゲン市であろう。しかし、それを政策的に推進させているのはコペンハーゲン市だけである。アムステルダムも自転車専用道路などを整備したりしているが、コペンハーゲン市とはとても比較にならない。そもそも、大阪市やアムステルダム市は、自転車が普及すると同時に人々が勝手に乗るようになったのに対して、コペンハーゲン市をはじめとしたデンマークは、もともとそれほど自転車の利用者は多くなかった。むしろそれは、石油ショック以降、政策的に人々に自転車を乗らせようと長年、努めてきたことの成果としての高い自転車の利用率があるのだ。つまり、自転車を少しでも快適に乗ってもらえるような環境づくりに邁進した結果としての、今のコペンハーゲン市がある。
そして、現在では世界で最も自転車の利用環境が優れている、ハードおよびソフトのインフラが整備されているコペンハーゲン市であるが、驚くべきことはそこで歩みを止めていないということである。今でも、自転車利用をより快適にするような投資を行っている。
コペンハーゲン市は極めて平らであり、そういう点からは自転車利用にうってつけではあるのだが、ネックは港湾都市であるために運河が多く、これらがアクセスの障害となっていることだ。それを解決するために2006年から2019年まで、コペンハーゲン市では17の自転車専用橋、もしくはトンネルを整備してきたが、このインナーハーバー橋は都心部と運河の東側とを結ぶ極めて重要なアクセスを提供している。
そのような都市計画的な重要性、そして架橋されてからの利用状況の高さから、これはまさに都市のツボを押さえたプロジェクトであると捉えたいのだが、このプロジェクトはその設計の悪さから多くの批判の対象となってきた。
具体的には、2点ある。
一つ目は引込み橋という構造上の問題である。極めて珍しいタイプの橋ということもあり、それを具体化させようとすると多くの齟齬が生じた。そのような中、施工業者が倒産して、工事が9ヶ月も停止するという事態も生じた。その後、ポーランドの施工業者が仕事を引き継いだが橋を引っ張るワイヤーの張力が弱すぎたなど、多くの設計変更を余儀なくされた。橋の意匠のコンセプトに拘りすぎて、その施行の難しさをしっかりと検証しなかったことがこのような問題を生じさせたと考えられる。これは予算を大きく上回る出費をコペンハーゲン市に課している。
二つ目は、自転車の動線設計の不味さである。橋の中央にさしかかる時、不自然なシケイン(通行速度を減速するための構造物)が設置されており、自転車走行車はクランク状の走路を走らされるのだが、これは引込み橋の構造がもたらした弊害である。これも、しっかりと設計すれば解決できたのであろうが、設計者(ポーランド人)はどうも自転車に詳しくないらしく、その点、非常に配慮に欠けた設計となってしまっている。デンマークの設計は実践的、機能的でありエレガントであることが特徴であるのだが、インナーハーバー橋では、その特徴を見出すことが難しい。
そういう経緯もあって、手放しで素晴らしい事例であると紹介できないところが心苦しいのだが、アクセスをよくすることで都市のポテンシャルを発現させたことを評価し、「都市の鍼治療」事例としてここに付け加えたいと考える。押さえたツボは素晴らしかったのだが、鍼灸師の腕が悪かったので、治療の効果はあったのだが、その副作用に困った、そして、そのために余計にお金を支払ってしまった、というような事例であろうか。
類似事例:
038 サイクルスランゲン
039 サイクル・スーパーハイウェイ
232 ミュンスターの自転車プロムナード
295 象の鼻パーク
・ アルバーツルンドの自転車ネットワーク(アルバーツルンド、デンマーク)
・ エアランゲンの自転車ネットワーク(エアランゲン、ドイツ)
・ デービスの自転車専用道路(デービス、カリフォルニア州、アメリカ合衆国)
・ リール・ランゲブロ橋(コペンハーゲン、デンマーク)