328 バウムクーヘン都市ザルツヴェーデルのヘニッヒ(ドイツ連邦共和国)
ストーリー:
ザクセン・アンハルト州の北西に位置するザルツヴェーデル市は、人口は23,543人(2022年)と小さな都市であるが、ハンザ同盟にも加わっていた由緒ある都市である。そのザルツヴェーデル市には名物がある。日本人も大好きなバウムクーヘンである。
ザルツヴェーデル市には、その人口規模が小さいにも関わらず4つのバウムクーヘン・ベイカリーが存在する。ほぼ150倍以上の人口を擁するベルリンには3つのバウムクーヘン・ベイカリーが存在するが、そのうちの一つはクリスマス・シーズンのみ生産することを考えると、いかにザルツヴェーデル市の人口当たりのバウムクーヘン・ベイカリーが多いかが分かるであろう。市役所も2012年からザルツヴェーデルを「バウムクーヘン都市」としてアピールするようになっている。そして、そのオーセンティシティの形成に貢献しているのが、飛びきりの老舗である「ヘニッヒ」である。
ヘニッヒは19世紀初頭からケーキをつくっていた。そこの職人であるヨハン・アンドレア・シャーニカウが、何年か修行に行って戻ってきた後、どこかでメモしたレシピを再現してつくったのが現在にも引き継がれることになるバウムクーヘンであった。大きな転換点は、プロシア王フリードリッヒ・ヴイルヘルム四世が1841年5月にザルツヴェーデルを訪れた際、盛大な晩餐会が開催されたことである。その時に、ヘニッヒのバームクーヘンも供出されたのだが、王様はそれをえらく気に入り、ベルリンに残っていた王妃のために送るように命じた。それを受けて、ヨハン・アンドレア・シャーニカウは1842年にこの商標を認められる。さらに、それから数年経った1865年、プロシア王はザルツヴェーデルのヘニッヒ・ベイカリーがつくったバウムクーヘンをベルリンの王宮に届けるように再び命じ、これがザルツヴェーデルのバウムクーヘンの名声を決定づけた。
ヘニッヒでは現在も、職人達が一つ一つ、木材でつくったローラーに巻き付けて直火で焼くといった、手作りでバウムクーヘンをつくる方法を守っている。これは、ヘニッヒのバウムクーハンが200年の伝統を守っていることを顧客に保障するためだ。このように手間暇をかけているために、1本を焼くのに20分ほどかかる。一日製造できるのは16本であるそうだ。ヘニッヒの現店主は6代目に相当する。
前述したようにザルツヴェーデルにはヘニッヒ以外にも3つのバウムクーヘン・ベイカリーが存在する。それらは、クルーゼ・バウムクーヘン、ゼルツヴェーデラー・バームクーヘン、そして本社はシュペンダールにあるが製造はゼルツヴェルダーで行っているゼルツヴェーデラー・バームクーヘンベトリーべ・ボスである。また、ヘニッヒの正式名称はエーステ・ザルツヴェーデラー・バウムクーヘンファブリーク、つまり「最初のザルツヴェーデルのバウムクーヘン工場」という名称で、ヘニッヒだけが有限会社ではなく、個人業主という形態を取っている。その名称、そして個人業主という形態、伝統を頑なに守っているつくりかたに、その歴史を紡いできたプライドや拘りを感じる。これら四つの店は、それぞれレシピもそうだが、つくりかたなども異なり、その多様性がまたザルツヴェーデルという都市に魅力を与えていると考えられる。
ザルツヴェーデルのバウムクーヘンは2010年に欧州連合の原産地名称保護認証を受けた。これは、地域特産の農産物や食品の権利を保護する知的財産権の一つである。この認証によって、その伝統食材の特性と優位性、高品質を欧州連合が保障することになる。
そのような状況を踏まえて、ザルツヴェーデルでは2018年から都市を「バウムクーヘンの都市(Baumkuchenstadt)」としてアピールする活動を展開したのである。それは市役所の広報課によれば、市民も多いにプライドを持っていることだそうだ。
ザルツヴェーデルはドイツ再統一後、人口が減少している。統計的には2003年、2005年、2009年、2010年、2011年と周辺の町村を合併したために、その人口減少が見えにくいが、最後の合併以降は緩やかではあるが、人口減少が続いている。そのような都市において、多くの市民が親しみを持ち、さらに外部の人も惹かれるバウムクーヘンが象徴として位置づけられることは、その都市のサステイナビリティに大きなプラスの効果を与えると考えられる。民間があくまでも中心なので、それを自治体の政策としてどのように位置づけるかは難しいところもあるが、しっかりと地元のベイカリーの考えを踏まえて、それを縁の下の力持ち的に支えることができると望ましい。
キーワード:
バウムクーヘン,食文化,都市アイデンティティ
バウムクーヘン都市ザルツヴェーデルのヘニッヒの基本情報:
- 国/地域:ドイツ連邦共和国
- 州/県:ザクセン・アンハルト州
- 市町村:ザルツヴェーデル
- 事業主体:ヘニッヒ(Hennig)
- 事業主体の分類:民間
- デザイナー、プランナー:ヨハン・アンドレア・シャーニカウ(Johann Andreas Schernikow)等
- 開業年:1807
ロケーション:
都市の鍼治療としてのポイント:
日本人が大好きな菓子類にバウムクーヘンがある。このバウムクーヘンはドイツの菓子である。しかし、実はドイツではそれほど食べられてない。スーパーとかでもあまり売られてない。私が2024年7月現在、客員教授として在籍しているベルリン工科大学の同僚達も滅多に食べないという。そういうことを踏まえると、ドイツ人より日本人の方がバウムクーヘンを多く食べているかもしれない。
さて、このバウムクーヘンがどのようにドイツにおいてつくられるようになったのか。バウムクーヘンの起源はギリシア時代にまで遡ると言われている。それはローマ帝国に引き継がれ、幾つかの「進化」を遂げ、15世紀には既にニュルンブルクやフランクフルトの裕福な市民の結婚式には出されたという。そして、18世紀頃に現代に引き継がれる第五世代のバウムクーヘンのレシピがほぼ確立された。
ドイツにおいて、バウムクーヘンに誇りを持っている都市は、今回のヘニッヒのご主人への取材や文献調査などから推察するとドレスデン、コットブス、ヴェロニゲローデとザルツヴェーデルである。これらのうち、最も歴史が古いと喧伝しているのはヴェロニゲローデで1749年からつくっていると述べている。ただし、現在は直火ではなくオーブンで焼いており、18世紀のつくりかたとは大きく異なっている。コットブスは1819年からつくっていると述べている。ドレスデンは1825年からつくっていると述べている。そして、ザルツヴェーデルは1807年である。このように述べると随分と長い歴史があるなと思われるかもしれないが、これら四つの都市は、すべて旧東ドイツに属しており、社会主義時代にこれら四つの都市の老舗バウムクーヘン屋は皆、辛酸を嘗めさせられる。特にコットブスは製造法を継承されなかったために、再開するうえで日本のバウムクーヘンの老舗、ユーハイムの指導を仰いだという話もある。ヴェロニゲローデもザルツヴェーデルも旧東ドイツ時代には国が管理するベイカリーとなり、ヴェロニゲローデは再統一後、生産を中止し、再開するのは1992年である。一方、ザルツヴェーデルのヘニッヒは再統一後も顧客がいない中、生産を継続し、見事、今日まで一貫して200年以上、バウムクーヘンを生産し続けている。現在のご主人の父親が、この旧東時代から統一ドイツへと変動する激動の時代に暖簾を守ってきたらしく、旧東ドイツ時代も大変だったが、再統一後の数年の苦労は想像を絶するものであると現主人は語っていた。
さて、それではどこが「バウムクーヘンの都市(Baumkuchen Stadt)」かと問われると、やはり、自らがそう堂々と謳っており、また欧州連合もお墨付きをし、実際、現在でもオーブンではなく直火で、極力、昔のレシピに忠実にバウムクーヘンをつくり続けているヘニッヒが店を構えるザルツヴェーデルが、最もしっくりくると考える。
ヘニッヒのバウムクーヘンのレシピは、1807年に後にヘニッヒの主人となるヨハン・アンドレアス・シェルニコフ(Johann Andreas Schernikow)が、修行中の時にメモに残したものをザルツヴェーデルに戻ってきて再現したものである。ただ、そのメモが残っているだけで、どこでそのレシピを得たのかはよく分からないそうだ。ヘニッヒのご主人は筆者の取材に対して、それがオリジナルではないことに念を押していた。筆者が誤解して、ヘニッヒがバウムクーヘン発祥の店であると書かないように配慮してくれたのかもしれない。
ザルツヴェーデル市の公文書管理課の職員への取材によると、『ザルツヴェーデルのバウムクーヘン:3世紀にわたるその歴史』という本がマンフレット・リューダースによって出版されたのが2018年。これが現時点でもっともザルツヴェーデルのバウムクーヘンについて詳しく記録された文献であるそうだ。そして、この本によれば、1883年にヘルマン・ディートリッヒ等によって出版された本に、ザルツヴェーデルのバウムクーヘンは特筆すべき品質を誇ると既に記されている。その後も、ザルツヴェーデルのバウムクーヘンはしばしば新聞記事として紹介されたりしたが、本格的にザルツヴェーデルのバームクーヘンというブランドで広告が大規模に展開されるのは第一次世界大戦以降である。1921年にザルツヴェーデルが臨時紙幣を発行するのだが、そこに印刷されたのはバームクーヘンの絵であった。1924年にザルツヴェーデルのバウムクーヘンが初めて商標登録され、1930年代前半頃から、バウムクーヘンはザルツヴェーデル発であるという説が流布し始める。そして、1932年から1939年まで「ザルツヴェーデルのバウムクーヘン・・・お土産によろしい」といった印がつくられ、使われ始めた。ザルツヴェーデルのバウムクーヘンの製造特許は旧東ドイツ時代の1986年になってようやく得られる。その後、前述したように欧州連合の原産地名称保護認証を受ける。ザルツヴェーデルの「バームクーヘン都市」という名称は2011年に使用特許が取得される。現在も使用されているザルツヴェーデルのロゴ『ハンザ都市ザルツヴェーデル、バームクーヘンシュタット(バームクーヘン都市)』は2012年に市議会にて認められる。このような経緯を辿ると、やはりバームクーヘン都市は、ザルツヴェーデルが最もふさわしいと考えられる。
私事で恐縮だが、バウムクーヘンが結構、好きである。しかし、実はドイツでは日本より美味しいバウムクーヘンにあまり遭遇できない。そのような中、ヘニッヒのバウムクーヘンはしっかりと丁寧に製造しているので、日本のバウムクーヘンとはまた違った本格的な美味しさを楽しむことができる。ヘニッヒの主人にザルツヴェーデルと他の都市のバウムクーヘンの違いを尋ねたら「品質と味」と即答したが、それも納得する美味しさであると個人的には思った。
ヘニッヒはザルツヴェーデル市に200年以上前に店を構えてから、社会主義時代も乗り越えて現代に暖簾を残している。圧倒的なブランドを持ちつつも、スーパーとかには卸すことをせずに店頭販売と宅急便での販売のみに限定している。この理由は賞味期限であるそうだ。スーパーとかに卸すには短すぎるということだ。宅急便での対応は、ドイツ再統一後に非常に厳しい経営環境に晒されたので、その対策として始めた。新たに顧客を獲得しなくてはならなくなったからだ。この宅急便のシステム、そして後にはインターネット販売も展開して、口コミを中心に顧客を増やすことができた。とはいえ、イベントにおいては出張販売などをしたこともあるそうだ。
現代のご主人ベティーナ・ヘニッヒ氏の子供も店を継ぐことが決まっており、孫も3人いるので、その伝統は未来も引き継がれていることが期待される。このような老舗のお店が、ザルツヴェーデルのような小さな都市に存在していることは、その都市にとって非常に価値のあることだな、ということを実感させられる事例である。
【取材協力者】
Hennig社代表Bettina Hennig氏
ザルツヴェーデル市役所広報課(メール取材)
ザルツヴェーデル市の公文書管理課(メイル取材)
【参考資料】
Hennig社のホームページ
https://baumkuchen-salzwedel.de
類似事例:
046 ギネス・ストアハウス(ギネスビール博物館)
163 サントスの珈琲博物館
302 奄美群島の黒糖焼酎
・ 八丁味噌、岡崎市(愛知県)
・ 夕張メロン、夕張市(北海道)
・ アイラモルト、アイラ島(スコットランド)
・ スコッチ・ウィスキー・エクスペリエンス、エジンバラ(スコットランド)
・ アイリッシュ・ウィスキー博物館、ダブリン(アイルランド)
・ ダフタウン・ウィスキー博物館、ダフタウン(スコットランド)
・ バーボン・エクスペリエンス、ルイビル(ケンタッキー州、アメリカ合衆国)
・ サントリー・ウィスキー博物館、北杜市(山梨県)
・ ハバナ・クラブ博物館、ハバナ市(キューバ)
・ ワイン博物館、ボーヌ(フランス)
・ コカコーラ博物館、アトランタ市(ジョージア州、アメリカ合衆国)
・ 恵比寿ビール記念館、渋谷区(東京都)
・ ザ・ハーシー・ストア、ハーシー(ペンシルベニア州、アメリカ合衆国)
・ ビア・ウント・オクトーバーフェスト博物館、ミュンヘン市(ドイツ)