327 バディー・ベア・ベルリン(ドイツ連邦共和国)

327 バディー・ベア・ベルリン

327 バディー・ベア・ベルリン
327 バディー・ベア・ベルリン
327 バディー・ベア・ベルリン

327 バディー・ベア・ベルリン
327 バディー・ベア・ベルリン
327 バディー・ベア・ベルリン

ストーリー:

 ベルリン市内を歩くと、ところどころでモノを丁寧に持ち上げているような形で両手を挙げている等身大(高さは2メートル)の熊の像に出会う。これらの熊は様々なボディ・ペインティングが為されていて、どことなく無機質で機械的な印象を与えるベルリンの街並みに、カラフルな躍動感を与えてくれる。
 この熊の像はバディ・ベア(Buddy Bear)と呼ばれており、ファイバーグラスでつくられている。それを考案したのはクラウスとエバのへーリッツ夫妻である。最初に公開されたのは、2001年にベルリンにて開催されたアート・イベントであった。その時には300体の熊がブランデンブルク門の広場に、手を繋ぐような形で「出演」し、大いに人気を博すことになる。これらの熊はオークションに出され、そこで得られたお金は恵まれない子供たちに寄付された。バディ・ベアという名称は熊をデザインする以前から考案されており、本当の熊とテディ・ベアのようなぬいぐるみの熊との中間というコンセプトを狙った。それを考えたのはエベ・ヘーリッツである。この両手を万歳しているかのようにあげている熊をデザインしたのは、オーストリア人の彫刻家ローマン・シュトローブル(Roman Strobl)である。そのメッセージは。忍耐と相互理解(tolerance and mutual understanding)である。
 そして、その後、世界展示ツアーを行いさらにその知名度を広める。これは約150体のバディ・ベアのツアーであり、世界平和のためのデモンストレーションである。東京(六本木ヒルズ)、シドニー、ニュー・デリー、リオ・デ・ジャネイロ、香港、イスタンブール、ソウル、ウィーン、カイロ、エルサレム、ワルシャワ、ピョンヤン、シュツットガルト、ブエノスアイレス、モンテビデオ、アスタナ、ヘルシンキ、ソフィア、クアラ・ルンプール、ザンクト・ペテルスブルク、パリ、ハバナ、サンチャゴ、グアテマラを訪れ、2020年にはベルリンの動物園に戻り、ヨーロッパ最大の動物園の65周年を祝ったのである。このツアーを開催するうえでは、世界各国にあるドイツ大使館と上手く連携をした。開催都市とも協働した。基本、アーティスト自身が都市に働きかけるが、この展示を見て自分の都市にも招きたいという申し出も得たりしたそうだ。
 この熊は全世界で2,200体ほどあり、ベルリンには300〜400ほどあるとクラウス・ヘーリッツは取材で答えてくれた。世界中の多くのドイツ大使館に置かれており、それだけで100体を数えるそうだ。
 コロナ禍で世界展示ツアーはしばらく中止していたのだが、現在は再開し始めている。2024年6月時点ではスロベニアにて開催されている。今後は、再び、世界中でバディ・ベアの姿を見ることができるであろう。世界展示ツアーに終わりはない、と取材でヘーリッツ氏は強く主張していた。確かに、2001年につくられた当時より、さらに我々は忍耐と相互理解を求められている。バディ・ベアは、非公式ではあるが、どんな優秀な広報官よりも、ベルリンの存在を伝える役割を果たしているのだ。

キーワード:

アイデンティティ,パブリック・アート

バディー・ベア・ベルリンの基本情報:

  • 国/地域:ドイツ連邦共和国
  • 州/県:ベルリン
  • 市町村:ベルリン
  • 事業主体:Buddy Bear Berlin GmbH
  • 事業主体の分類:民間
  • デザイナー、プランナー:クラウス・へーリッツ、エバ・へーリッツ(Klaus Herlitz, Eva Herlitz)
  • 開業年:2001

ロケーション:

都市の鍼治療としてのポイント:

 熊はベルリンの紋章である。これは1954年から西ベルリンが採用したものであり、白地に黒い熊が描かれている。ベルリンには熊はいないが、その名前はちょっと熊と発音が似ている。そういう意味で、バディ・ベアは熊本のくまモンのようなものかもしれない。
 このバディ・ベアをつくることになったきっかけは、ベルリンに面白いものをつくる、という思いからであった。ベルリンにもブランデンブルク門といったランドマークはある。しかし、立派ではあるが、ちょっと弱い。そもそもベルリンは歴史が浅い。ハンザ同盟都市にも入っていない。そういった点から歴史的な文脈が細いにもかかわらず、プロシアの首都として台頭した19世紀からつくられた街並みも、その多くは第二次世界大戦後に破壊され、その後、かろうじて残っていた旧東ドイツ側にあった歴史的建築物も、社会主義国家によって破壊された。そういう意味で、ベルリンはイギリスのロンドン、フランスのパリ、イタリアのローマ、スペインのマドリッドなどに比べると、ガクッと都市の格のようなものに劣る首都なのである。いや、これら大国の首都だけでなく、ポルトガルのリスボン、スウェーデンのストックホルム、チェコのプラハなどに比べても、こう都市の輪郭がぼやけている都市なのだ。ヘーリッツ夫妻が、そのようなベルリンの空隙を本能的に感じるところがあったのではないだろうか。「ベルリンに面白いものをつくる」という発言の裏には、「ベルリンは面白くない」という夫妻の意識があったのではと考えられるからである。最初にバディ・ベアをつくった時は、60個ほどつくり、ベルリンの高級デパートとして知られるカー・デー・ヴェーやホテルが買ってくれたそうだ。まだ、最初の作品ができる前から、そのアイデアを好意的に捉えて、予約で買ってくれた企業が多かったそうである。そして、バディ・ベア・ベルリンは広く人気を博し、しばらく経つと、お土産不在都市ベルリンにてベルリン土産の筆頭に位置づけられるようになる。これはベルリンの人達のお土産としても、観光客でベルリンを訪れた人のお土産としても人気になっているということだ。私事であるが、私もベルリンを訪れるとその記念に、22センチのバディ・ベア・ベルリンを一個買う、ということをしており、家には6体ほどが並んでいる。確かに、ベルリンはめぼしいお土産が少ないので(強いて言えば、バディ・ベア・ベルリンと同様にドイツ再統一後に人気を博するようになったアンペルマンもベルリン土産としてのポジションを確保している)、バディ・ベア・ベルリンがつくられたことは都市の魅力の向上にも繋がったのではないかと推察される。
 これを運営しているのは、バディ・ベア・ベルリン有限会社(Buddy Bear Berlin GmbH)で100%民間組織である。ただ、利益の相当部分を子供関係の慈善団体に寄付しているようだ。会社の活動であるが、海外展示ツアーの部署とバディ・ベア・ベルリン・グッズの商品管理とで大きく二つに分かれている。
 何も塗装がされていない白い状態の熊は一体2,000ユーロで売られている。実際には、それに加えてコンクリートの土台が必要となる。また、そのデザインにもルールがあり、基本、広告に使うことはできない。また、小さなモデルは6センチ、12センチ、22センチのものがあり、それ以外にもキーホルダーやトート・バッグも販売しているそうだ。

【取材協力】
Klaus Herlitz, Viviana Plasil (Buddy Bear Belin GmbH)

類似事例:

010 ゴー・ゴー・ゴリラス
・ ミュンスター彫刻プロジェクト(ミュンスター、ドイツ)
・ アンペルマン(ベルリン、ドイツ)
・ 水木しげるロード(境港市、鳥取県)
・ くまもん(熊本市、熊本県)