301 伝泊(日本)
ストーリー:
奄美群島の奄美大島、加計呂麻島、徳之島に「伝統的・伝説的な建築と集落と文化」を次世代に伝えるための「伝泊」という宿泊施設・複合施設がある。「伝泊」には3つの種類の宿が提供されている。まず、伝泊「ミジョラ」という名称の、建築家・山下保博氏が新たに設計してつくった新築のビーチフロントの宿。次に、伝泊「古民家」という名称の、空き家を宿へリフォームした宿。そして、伝泊「奄美ホテル」という名称の、「まーぐん広場」というコミュニティ施設の2階にある宿とカラオケボックスを改修した宿である。ここには別棟「伝泊・フレンドリー」の宿も併設されている。
この「伝泊」という宿を自ら設計・改修し、事業として展開しているのは、奄美大島の笠利地区出身の建築家、山下保博氏である。2021年7月に世界自然遺産に登録されたことから明らかなように、奄美群島には手つかずの豊かな自然が残っている。それに加えて、ハブが生息する山・森は長い間、開発されず、その結果、群島にある約360の集落は、それぞれが独自の文化(方言や唄、踊りなど)を維持して今日まで継承されてきた。これらの「集落文化」をしっかりと次の世代に伝えることをミッションとして、「伝泊」プロジェクトは2016年から開始された。
そのきっかけは、山下氏が故郷である奄美大島のリゾート開発に携わっていた際に、島内で増えている空き家の問題の相談を受けたことと、奄美群島の世界自然遺産の登録が迫り、急がないと国内外の土地開発業者によって土地が買い占められ、荒らされ、オーバーツーリズムによる地域コミュニティや貴重な文化資産が壊されていく危機感を感じたからである。空き家となった古い家は、壊して新しく建て直すという選択肢もあったが、伝統的な建物を残し、島の歴史を多くの人に知ってもらうことで、島の貴重な資源を守りたいという想いから、宿泊施設としての再利用を考えた。
このような背景から誕生したプロジェクト「伝泊」は、空き家となった古民家、閉店したスーパーマーケット、廃業したカラオケボックスなどを改修し、その結果つくられた宿泊施設・飲食店・高齢者施設・物産&ギャラリーなどである。2019年には、さらに改修ではなく新築の高級ヴィラのリトリート施設も展開し始めた。
改修によって誕生する「伝泊」の条件は、島の伝統的構法を7割以上残している建物であること、もしくは、この島にとって伝説的な建物であること。さらには、島の魅力を体感できるロケーションにあり、集落の人達が協力的であることが挙げられる。これらの条件に合う空き家を、可能な限り、建物としての歴史や魅力を残しつつ、そこに滞在する人が快適に過ごし、集落と交わるような空間を創造している。伝泊は2016年、笠利町の2棟から始まり、2023年7月現在、奄美群島内で41棟51室まで、その規模は広がっている。
「集落文化」をしっかりと守り、次世代に繋げるプロジェクトとしては、2018年に改修して、オープンした地域交流拠点「まーぐん広場」がある。これは、奄美大島の笠利地区にあって閉店されていたスーパーマーケットを改修したものであり、2階には宿泊施設、1階には食堂やショップ、交流施設などを併設した複合施設である。ここは子供たち、高齢者、障害者、集落住民、さらには旅行者までもが集い、交流できる場所である。「まーぐん」とは奄美の方言で「みんな一緒に」という意味だ。「まーぐん広場」には1階の広場奥に高齢者施設も併設されている。このような施設を整備したのは、山下氏が障害者のコロニーとして著名なドイツのベーテルを訪れて、強い感銘を覚えたのがきっかけである。その後、高齢者・障害者を中心としたまちづくりの研究を積み重ねた山下氏は、奄美の介護や医療状況が芳しくないことを知り、「伝泊」事業において、奄美の高齢者をそれぞれの個性や現状に寄り添う高齢者施設を具体化させた。
さらに、地域住民と連携した集落文化体験プログラムを観光客に提供することで、両者の交流と地元雇用の創出にも取り組んでいる。これは、集落の「日常」を観光化するというまちづくりの取り組みである。そして、それぞれの集落の特色を掘り起こし、充実させることで、奄美群島の集落を持続可能化させ、そこで生活する人々が安心して、安全に暮らせることを目指している。
伝泊のプロジェクトは地球基準で評価されており、次のような賞を受賞している。
2020年 第6回 ジャパン・ツーリズム・アワード(国土交通大臣賞、倫理賞、ダブル受賞)
2021年 第12回 地域再生対象 優秀賞受賞
2021年 グッドデザイン金賞(経済産業大臣賞)受賞
2022年 Luxury Lifestyle Awards 2022 にて、Best Luxury Resort Architecture in Japan受賞
キーワード:
空き家対策,地域文化,地域アイデンティティ,観光資源
伝泊の基本情報:
- 国/地域:日本
- 州/県:鹿児島県
- 市町村:奄美市
- 事業主体:奄美イノベーション株式会社
- 事業主体の分類:民間 個人
- デザイナー、プランナー:山下保博
- 開業年:2016
ロケーション:
都市の鍼治療としてのポイント:
山下氏は筆者の取材に次のように述べた。
「日本が遅れていることが2つある。環境配慮型の取り組みが遅れていることと、観光が依然としてスポット型であることだ」。
そこで伝泊をつくるうえでは、環境配慮型の試みを徹底し、また観光をスポットではなく、その地域の文化を体験できるようなものにした。環境に配慮した様々な取り組みが評価され、日本では4番目と5番目となる、デンマーク発祥の国際的なエコラベルを取得した。(新築の宿泊施設「伝泊 The Beachfront MIJORA」と、改修による宿泊施設「伝泊 古民家」「伝泊 奄美 ホテル」「伝泊 フレンドリー」の3つの宿、それぞれの取得となっている)。世界標準に準じた、サステイナブルな意識のあるホテルに泊まりたいという需要が高まっており、伝泊ではそのような要望に対応できるようにしたのだ。地域の文化を体験できるといったコンセプトを検討するうえで、特に参考にしたのはイタリアのアルベルゴ・ディフーゾの考え方である。山下氏は、アルベルゴ・ディフーゾの主唱者であるダッターラ会長の知己を得て、同会長は奄美大島にも訪れているそうだ。
そして、観光地が観光客に媚びるのではなく、観光客が観光地の日常の文化に寄り添うようなものをつくるようにした。じいちゃん、ばあちゃんに観光客を寄り添わせるための場づくり、という考え方である。伝泊とは、「伝」統的・「伝」説的な建築と集落文化を次の時代に「伝」えるための宿「泊」施設。そして、集落が紡いできた物語と出会う、集落の遊びに参加する交流拠点でもある。それは、宿泊施設であると同時に、過去と現在、そして未来へと、時を結ぶメディアとして位置づけているのだ。
そして、その中核的な施設が「まーぐん広場」である。これは2014年に閉店した地元の人から親しまれていたスーパーマーケットを山下氏が2018年に買い取り、改修したものである。ここでは、学童保育、コンサート、イベントなどを展開してきた。出会いの場の拠点として位置づけたのである。
一方で、民間事業なのでしっかりと稼がないと回らない。そこで、高付加価値型で新築型のビーチフロントの宿「伝泊 The Beachfront MIJORA」である。これは、最初は3棟だったのだが非常に人気が高く、現在は19棟、近い将来25棟まで増やそうと考えている。
興味深いのは、一切、行政からの支援を得ずに個人の事業として行っていることである。これに関して山下氏は「自分でやっていると間違いない。誰かの責任にしなくていい」という。このような姿勢で取り組んでいるからか、伝泊は目的が明確であって、しかもぶれていない。この軸がぶれていないことが、ここまで伝泊のプロジェクトが上手く展開してきた大きな理由であろう。そして、民間のプロジェクトであるから、もちろん事業としてお金を稼がなくてはいけない、というのはあるが、その過程で、地域住民、そして地域自体に大きな恩恵をもたらしている。その恩恵の中でもこの土地に極めて重要なのは、アイデンティティーをしっかりと掘り起こし、強化し、広く発信して人々に共有させていることであろう。そして、それによって観光客も呼び込むことに成功し、しかも観光客も消費的な観光ではなく、その風土に一体化するような体験をもたらしている。まさに、三方よしのような見事なプロジェクトである。
また、「まーぐん広場」に高齢者施設を設けたのは、集落文化の伝道師としての役割を果たせるのは、そこで生活するじいちゃん、ばあちゃんだからだという認識に基づく。しかし、残念なことに、そのことを、地元の人達も行政も理解していない。山下氏は笠利地区で生まれ育って、文化を理解しているので、これをしっかりと残さないと大変なことになると考えた。しかも、世界自然遺産に登録されたことで、外資が凄い勢いで入ってくるのは火を見るより明らかだ。ただ、不幸中の幸いで、コロナがそのような投資を敬遠させた。その間に、しっかりと山下氏が投資をしてきたのは、そのような問題意識からである。
空き家という「負」の地域資産を見事に伝泊という「プラス」の資産に転換させた素晴らしく創造的な事業であり、新たなコミュニティ拠点を設け、地域アイデンティティを見事に掘り起こし、再編集し、再強化した絶妙な「鍼治療」的な要素をも有するプロジェクトであると考えられる。
【取材協力】
山下保博氏(2023.08.27)
【参考資料】
山下保博氏のホームページ
https://www.machizukuri.yamashita-yasuhiro.net
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