292 オールド・マーケット・ホール(フィンランド共和国)

292 オールド・マーケット・ホール

292 オールド・マーケット・ホール
292 オールド・マーケット・ホール
292 オールド・マーケット・ホール

292 オールド・マーケット・ホール
292 オールド・マーケット・ホール
292 オールド・マーケット・ホール

ストーリー:

 19世紀までヘルシンキでは、主に食料品は青空市場で販売されていた。これらを屋根があり、囲われている建物の中で売ろうというアイデアが出てきたのは、19世紀も終わり頃であった。これは食料に関する衛生への意識が高まったからであるが、室内の方が無秩序に陥りがちな青空市場よりも運営しやすいと期待されたからである。
 そのような考えのもと、1888年にヘルシンキで最初の屋内の市場である「オールド・マーケット・ホール(Vanha Kauppatori)」が、同市を代表する青空市場カウパットリ(Kauppatori)に隣接して建築された。これを設計したグスタフ・ニーシュトロムは、ヨーロッパの大都市の屋内市場を随分と研究してから、この仕事に取り組んだ。
 この屋内市場では、肉製品、卵、バター、チーズ、野菜・果物の販売が許可され、開業時には126のお店がこの市場に出店した。20世紀になると、青空市場で販売されていた魚介類もここでの販売が許可されるようになる。
 オールド・マーケット・ホールの繁栄は、しかし第一次世界大戦とそれに続くフィンランド独立戦争(1914年-1918年)にて終焉する。戦後の物不足は、市場で売る物も欠乏するような状況をもたらしたのである。その後も、1930年代には世界恐慌のダメージも被り、1939年に始まったフィンランドの冬戦争と、その時期に施行された食糧配給制度はその運営を脅かした。
 やがて第二次世界大戦後も10年近く続いた食糧配給制度は1954年に終了する。それとともにオールド・マーケット・ホールも徐々に活気を取り戻し、1995年にフィンランドが欧州連合に加盟すると、それまでフィンランドでは販売禁止であったEU諸国の産品(例えば低温殺菌処理を施されないチーズや肉製品など)を販売できるようになり、マーケットはこれまでにない活況を呈するようになる。
 2014年に1500万ユーロをかけてリノベーションが施された。その際、その歴史的な雰囲気はしっかりと保全されることになった。現在(2023年時点)、そこには25のテナントが入っている。テナントはレストラン、カフェといった飲食店とコンフェクショナー、デリカテッセン、魚、肉といった食料品の小売店が入っている。営業時間は月曜日から土曜日は午前8時から午後6時、日曜日は午前10時から午後5時。コロナ禍の前は年間100万人の訪問者を数えた。
 建物は国家古物委員会(National Board of Antiquities)によって保全されている。

キーワード:

市場,広場

オールド・マーケット・ホールの基本情報:

  • 国/地域:フィンランド共和国
  • 州/県:ウウシマー
  • 市町村:ヘルシンキ
  • 事業主体:アレキサンダー帝政ロシア皇帝
  • 事業主体の分類:
  • デザイナー、プランナー:グスタフ・ニーシュトロム
  • 開業年:1888

ロケーション:

都市の鍼治療としてのポイント:

 その都市の活力を強く感じられるところは市場であろう。『都市の鍼治療』でレルネル氏は次のように述べている。

「市場は都市のユニークな資源である。それらは、多くの場合、歴史的そして建築的に重要な建物であり、公共的な空間として都市の流通の拠点として重要な役割を担っている。また、それは市政府からはテナント賃料そして観光目的地として、お金を生み出すことが期待されている」

 ヘルシンキにはコンビニが見当たらない。駅にはキオスクがあるが、コンビニの品揃えとはとても比べものにならない。日本に比べると、流通がしっかりと整備されていないのであろう。隣国のデンマークの首都コペンハーゲンにセブンイレブンを始めとしたコンビニが多く立地しているのとは対照的である。
 さて、流通システムがしっかりとしていないことは、そこで日々生活する住民にとっては、不便であるかもしれないが、その代わりに、楽しい魅力的な市場空間がつくられるということだ。そして、その象徴性は高いものとなる。ヘルシンキの青空市場であるカウパットリは、ヘルシンキを代表する都市空間であるが、それに隣接したこのオールド・マーケットホールもヘルシンキのシンボル的な都市空間である。
 欧州連合に加盟した後のフィンランドは、ノキアといった国際的なIT企業の台頭、子供の教育レベルの高さなどから、どちらかというと裕福な国のイメージが持たれるかもしれない。しかし、それ以前は食料を含めて物が不足していた、どちらかというと欧州の中では貧困国であった。筆者は欧州同盟に加入する前のヘルシンキを訪れたことがあるが、そのとき、スーパーマーケットの野菜や果物の品揃えのあまりの貧相さに驚いたことがある。それが欧州同盟に加入することで、スペインやフランス、イタリアの農産品が店頭に並ぶようになる。それだけではない。それまでは販売が禁止されていた生チーズなども店頭に並ぶ。そして、そのようなデリカテッセン的なものを販売した象徴的な商空間が、このオールド・マーケットホールであった。オールド・マーケットホールはフィンランド人にとっては、世界の「食」と繋がる展示館のようなものでもあるのだ。これは、観光客にとっても同じで、このマーケットでは「熊肉」、「トナカイ肉」といった他国ではあまり食べないような食材も販売されている。
 オールド・マーケットホールがリノベーションするとき、その歴史的、公共性をしっかりと次世代に継承するように意識して行われたが、それは、この建築的といった意味合いだけでなく、上記のような歴史的な象徴性を理解したからであろう。その結果、ヘルシンキの都市アイデンティティを感じられるような見事な公共空間として、オールド・マーケットホールは同都市の魅力を発現させている。レルネル氏の都市における「市場」の重要性を再認識させてくれるような建築施設である。

【参考資料】
オールド・マーケットホールのオフィシャル・ホームページ
https://vanhakauppahalli.fi
Kevin Drain (2015): “Strategies and Conflicts of Market Hall Renovation: the case of Helsinki”

類似事例:

005 パイク・プレース・マーケット
006 バロー・マーケット
025 北浜テラス
073 ボケリア市場
151 オックスフォード・カバード・マーケット
153 フェスケショルカ
・ハカニエミ・マーケットホール、ヘルシンキ(フィンランド)
・ユニオン・スクエア・ファーマーズ・マーケット、ニューヨーク(ニューヨーク州、アメリカ合衆国)
・クリチバ公設市場、クリチバ(ブラジル)
・サンパウロ公設市場、サンパウロ(ブラジル)
・アルト・マルクト、デュッセルドルフ(ドイツ)
・グランド・バザール、イスタンブール(トルコ)