243 コウノトリと共生するまちづくり(日本)

243 コウノトリと共生するまちづくり

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ストーリー:

 兵庫県の豊岡市役所にはコウノトリ共生部という部署がある。その部署には「農林水産課」「コウノトリ共生課」「地籍調査課」という3つの課がある大きな部である。この組織構成に、豊岡市役所のコウノトリにかける強い思いと覚悟を見て取れる。
 この「コウノトリとのまちづくり」をミッションに掲げたコウノトリ共生課がつくられたのが2002年。2001年に市長となった中貝宗治氏は、市長になる前職の兵庫県議会議員の頃からコウノトリへの思いが強く、2000年には『鸛と飛ぶ夢』という著書を執筆している。しかし、コウノトリへの強い思いはこの市長だけのものでない。それは豊岡市の多くの市民の思いでもあった。なぜか。
 日本中に生息していたコウノトリが日本から絶滅したのは1971年であった。絶滅の要因は、明治時代以降に急増した銃による乱獲、そして戦後の開発に伴う生息地である湿地や湿田環境の減少、さらには農薬の大量使用による餌となる生きものの激減であると言われる。そして、その最後の生息地が豊岡市であった。豊岡市では、絶滅する前の1965年から、野生のコウノトリを捉え、最悪のシナリオに備えて、人口飼育を開始したが、それは成功することがなかった。そして、コウノトリは日本の空から消えてしまったのである。
 そのような中、豊岡では海外(ロシア)から譲り受けたコウノトリの幼鳥から、初めての雛を誕生させることに1989年に成功する。人工飼育の開始から25年目のことであった。次は、人工飼育をしたコウノトリを再び日本の空へ戻すことであった。そのために、コウノトリの生息地となる水田や河川の自然再生、営巣するための人工巣塔の設置、無農薬による米作りなどを展開することにした。さらに、これらの政策の拠点施設に加え、コウノトリの生態に加え、その政策を広く知ってもらうため、1999年には兵庫県立コウノトリの郷公園、2000年には豊岡市立コウノトリ文化館がつくられた。
 そのようにコウノトリを保全する機運が高まっていく中での2001年に、中貝市長が当選したのである。中貝市長は、市民のコウノトリへの愛情をうまく汲み取り、その思いを政策へと反映させようと考えたのだ。それが、コウノトリ共生部という部署を誕生させることになる。この市長の考えに賛同したのが、当時、市役所職員であった佐竹節夫氏である。2002年2月にたまたま市役所の購買部で佐竹氏と会った職員の宮垣均氏は、彼に「コウノトリでまちづくりが出来ると思うか?」と聞かれたことを記憶している。宮垣氏は「できることもあるんじゃないでしょうか」と回答したら、4月にコウノトリ共生課ができて驚いたと述懐する。
 コウノトリ共生課(そののち部に昇格)の考えは「コウノトリでも住めるような豊かな環境を創る。そのような環境は人間にも素晴らしいのではないか」というもの。そして、環境に関するまちづくり、コウノトリの野生復帰に関するまちづくりといった目標を掲げ、コウノトリと共生するまちの創造を展開するようになる。
 最初に取り組んだのは、コウノトリが生息できるように、その主要な生息空間である水田において農薬をなるべく使用しないということであった。さらには、農薬に頼らないでつくるお米をブランド化させ、マーケットにしっかりと評価してもらうようにも努めた。結果、10アールあたりのイトミミズ数は開始前の33から現在は589にまで増えている。生きものに農薬の代わりをしてくれるようにしたのだ。このような水田を中貝元市長は「命に満ちた田んぼ」と呼ぶ。このコウノトリを育む農法による水稲作付面積は2020年時点では425.7ヘクタールにも及んでいる。コウノトリが生息しやすいようにと進めた無農薬・減農薬による米作りは「コウノトリを育む農法」として、広く知られることになり、これによってつくられたお米は相対的に高額で取引されるようになった。これは農業者には強い励みとなっており、安全・安心なお米というだけでなく、コウノトリの野生復帰への貢献への支援という形での商品への支持は、環境と経済が共鳴する試みとして評価できよう。
 そして、そのような市役所の試みを支援するかのようなコウノトリの動きも見られ始める。2002年に野生のコウノトリが飛来し(おそらく、ロシアから)、円山川沿岸の戸島地区に暮らし始めた。このコウノトリはハチゴロウと名付けられたが、それを契機として、この場所の水辺を再生して、コウノトリとの共生を促進させることを目的とした「ハチゴロウの戸島湿地」が2009年3月に完成する。この戸島湿地に代表される円山川の湿地再生面積は2020年には67.9ヘクタールにも達する。
 そして、2005年9月には、人工飼育を経たコウノトリが野生復帰を果たした。これは、日本の自然界からコウノトリが姿を消してから40年後、コウノトリ野生復帰計画が始まった1992年から13年後のことであった。さらに2007年には放鳥コウノトリのペアができて雛が誕生し、日本の自然界では46年ぶりの巣立ちが見られた。その後、毎年雛が巣立つようになり、2017年6月には野外で生息するコウノトリの数は100羽を超えた。現時点(2021年9月)では、およそ250羽が日本で生息しており、そのうちの50羽が豊岡市にいる(コウノトリ文化館長高橋氏)。2020年では豊岡市だけで27羽が巣立っている。全国では56羽であるが、それらがすべて始まったのは豊岡においてである。豊岡市の取り組みによって、豊岡だけでなく日本の空にコウノトリは再び甦ったのである。
 「円山川下流域・周辺水田」はコウノトリをはじめとした多様な生物にとって重要な湿地であることが認められ2012年にはラムサール登録湿地の認定を受けている。

【取材協力】宮垣均氏

【参考資料】
中貝宗治氏講演会(2020.10.10)

【参考ウェブサイト】
「コウノトリと共生する農業とまちづくり」(村山直康)
(http://www.jiid.or.jp/ardec/ardec44/ard44_key_note3.html)

キーワード:

生物多様性,コウノトリ,環境保全,有機農業

コウノトリと共生するまちづくりの基本情報:

  • 国/地域:日本
  • 州/県:兵庫県
  • 市町村:豊岡市
  • 事業主体:豊岡市
  • 事業主体の分類:自治体 
  • デザイナー、プランナー:中貝宗治、佐竹節夫等
  • 開業年:2002

ロケーション:

都市の鍼治療としてのポイント:

 但馬地方の中心都市である豊岡市は決して大きくない。2005年に一市五町で市町村合併をしたが、それでも人口は7万6千人ぐらいである。旧豊岡市だと4万3千人ぐらいである。人口規模は大きくはないが、但馬地方では最も中心性が高いこともあって飛行場も擁している。このような都市の経営は微妙なさじ加減が求められ、難しい。すなわち、集積の経済などは発現されないが、地方の中心都市としてのアイデンティティのようなものは求められる。数限りある資源を、お金ではなく知恵を使って、活かしていくことが必要となる。それは、「都市の鍼治療」的なアプローチが求められるということでもある。
 そこで、豊岡市が注目したのは「コウノトリ」であった。「コウノトリでまちづくり」というコンセプトを打ち出すのに豊岡市ほどうってつけのところはない。最後のコウノトリは豊岡で生息していた。復活させるのであれば豊岡から、というストーリーは説得力を持つ。しかし、そのコンセプトは理念だけでなく、経済面でも市民にプラスをもたらさないと継続的な支持を求めることは難しい。そこで考えられたのが一石三鳥的な「無農薬(減農薬)のお米のブランド化」という考え方であった。これによって、コウノトリの生息環境である水田が安全になり、そのような水田でつくったお米をブランド化することで農家にも経済的にプラスとなり、さらには、このお米自体が豊岡市の「コウノトリでまちづくり」という政策をプロパガンダするメディアとしても機能した。コウノトリは豊岡市の重要な観光資源にもなっており、現在(2021年9月)はコロナ禍で観光客数が減っているが、コウノトリの郷公園は年間でおよそ200万人から240万人を集客している。コウノトリと共生しているという事実が、豊岡市の子供達にとっては格好の環境教育の素材であり、そのような教育は高い環境意識を持った人材を育てるであろう。そして、それは長期的には市政にも肯定的な影響を及ぼすのではないかと考えられる。また、この「コウノトリでまちづくり」は生物多様性を意識したまちづくりを研究している人達や、行政に関わる人達を、それこそ世界規模で惹き付けている。実際、私もそのために研究をしに豊岡で滞在をしていた国立台湾大学の大学院生に、豊岡のこの試みを最初、教えてもらった。台湾では、コウノトリと似たような希少種を保全するために有機農業を展開しようと考えており、その先端事例として豊岡市のこの試みを研究しにきていたのである。
 豊岡市、そして豊岡市民等を中心とした長年の活動の積み重ねによって、コウノトリは豊岡市だけでなく、日本の空へ再び甦ることができた。そして、コウノトリというツボを見事に抑えた施策を展開したことによって、豊岡市は無農薬米という地域ブランドをつくることに成功し、それは地域経済の好循環を促し、またコウノトリだけでなく人間のためにも豊かな生活環境をつくることに繋がったのである。世界に誇れるような見事な生物多様性政策であると考えられる。

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