119 テネシー水族館 (アメリカ合衆国)
ストーリー:
チャタヌーガ市はアメリカのテネシー州にある人口17万6千人の都市である。チャタヌーガはその先進的な環境政策で著名であるが、都市デザイン事業によっても知られている。1980年から都市デザインセンターを設立し、特にテネシー川のリバーフロント、ダウンタウンを都市デザイン事業によって再生させようと試みたからである。
1980年代前半、チャタヌーガは産業の衰退と人口縮小によって活力を失っていた。その状況を改善させるために、リンドハースト財団は都市デザイン・プログラムをテネシー大学に設置し、都心そしてリバーフロントの再生を課題とした研究・教育を推進させた。そのプロセスの中から、このテネシー川沿いの淡水水族館というアイデアが出されたのである。それはリバーフロント事業において、事業全体を促進させていく起爆剤としてだけでなく、ダウンタウンとテネシー川を繋げるための基盤としても位置づけられた。
立地として確保された場所は、放置された倉庫街のあった場所で、テネシー・リバーパーク・マスタープランを具体化させるために設立された非営利組織であるリバーシティ公社が取得していた。だが、テネシー博物館の計画が浮上すると、同公社はその土地を寄付したのである。建設費の多くは、市民からの寄付などによって賄われた。
同水族館は1989年に建設が開始され、1992年5月1日に開業する。これは、淡水水族館としては世界最大のものであった。12階建て、約1万2000?の床面積の建築物であり、チャタヌーガの再生を象徴するランドマークとなる。それは上の階から下へと降りていくと、あたかもテネシー川の上流から下流へ向かう流れに沿ったように、その場所ごとの生態系が展示された。その設計はボルティモアの国立水族館やボストンのニューイングランド水族館を手がけたケンブリッジ・セブン・アソシエイツが担当した。事業としても、開業前に予測した倍の65万人を初年度に集客することに成功する。さらに2005年には施設を拡張した。また、水族館としても高く評価されており、開業から現在に至るまで毎年全米でトップ10の水族館としてランクインされている。
その経営はザ・テネシー水族館という非営利組織によって運営されている。同組織が発表した2014年のテネシー水族館の経済効果の報告書では、これまでの来館者数は2100万人、2014年の来館者は71万人。チャタヌーガ市への直接経済効果は8500万ドルと計算している。
キーワード:
水族館,アイデンティティ,集客施設,リバーフロント
テネシー水族館 の基本情報:
- 国/地域:アメリカ合衆国
- 州/県:テネシー州
- 市町村:チャタヌーガ市
- 事業主体:the Tennessee Aquarium
- 事業主体の分類:NGO
- デザイナー、プランナー:ケンブリッジ・セブン建築事務所
- 開業年:1992年
ロケーション:
都市の鍼治療としてのポイント:
チャタヌーガ市が、リバーフロントの再生に着手したのは1982年。テネシー川が大きく湾曲するところにできたモカシン・ベンドという半島を保全する運動を市民グループが展開したことがきっかけになる。この運動は結果的に、チャタヌーガ・ベンチャーへの設立に繋がるのだが、リバーフロントに関してはモカシン・ベンドだけでなく、テネシー川広域を再生するという大きな事業へとその範囲が拡張していくことになる。
そして、1985年にマサチューセッツ州のケンブリッジのカー・リンチ・デザイン事務所にリバーフロントのマスタープランの策定を依頼する。そこで提示された全体コンセプトは、チャタヌーガを川の都市として「祝福」する。そして、テネシー川を「都市のイメージを再構築させ、市民の誇りとなり、さらに、新たな経済開発のエンジン」として位置づけることを目的とした。そのために以下の3つの指針が提示された。
?チャタヌーガの資源を基盤とすること。ここで、チャタヌーガの資源とは、自然の美しさ、歴史そして産業などである。
?チャタヌーガの自然そして歴史的資産を保全、そして強化しつつ、ウォーターフロントに注意深く民間の開発を加えていくこと。
?荒廃した空地に、新しく公園、歩道、そして集客施設を整備すること。
同マスタープランでは、チャタヌーガを流れるテネシー川を、観光資源として、そして何よりも人々の生活アメニティ、そして都市のアイデンティティとして位置づけることで、経済開発が促され、そして市民の都市への誇りが醸成されると提案したのである。
そして、このシンボル的目玉施設として、つくられたのがこのテネシー水族館であった。
興味深いことに、この事業はチャタヌーガの再生において重要な役割を果たしたチャタヌーガ・ベンチャーのリーダーであったエレノア・クーパー女史によれば、「チャタヌーガ・ベンチャーで市民が目標として設定した40のプロジェクトの中でも、最も反対が強かった」事業であったことである。しかし、結果的には大成功を収める。その成功の理由をクーパー女史は「反対が強かった」ためと説明する。この水族館は、当時のテネシー州知事であったアレキサンダー氏の支援を受け、1986−87年度の州予算の中から900万ドルを獲得することに成功する。しかし、この予算を使うことに対して、税金の無駄遣いであるとの批判を受けるのである。これを受けて、900万ドルは水族館ではなくて、その周辺の空間を整備するためだけに使い、水族館は民間の寄付金によって建設された。これが人々の水族館への強い愛着をもたらしたのである。
また、タウンセンターとリバーフロントを結びつけるための結び目としての役割も十二分に果たしている。水族館が集客装置として機能していることもあり、水族館周辺には新たに100軒を超えるレストランや小売店舗が開業した。リバーシティ公社は積極的に水族館周辺のリバーフロントの土地を取得していき、マスタープランのコンセプトに沿った再開発を進めていった。そして、児童博物館(全米で最も来館者の多い児童博物館)、アイマックス 劇場(*)、ホテル、マイナー・リーグの野球場などが整備されていったのだが、その契機となったのがテネシー水族館である。まさにツボを押さえた開発であったと言えるであろう。
* アイマックスとは、最大の映像=IMAGE MAXIMUMの意味であり、カナダのハイテク映像システムである。通常の35ミリフィルムの10倍以上、70ミリの3倍以上というフィルムサイズを採用している。
類似事例:
・ 国立水族館、ボルティモア(メリーランド州、アメリカ合衆国
・ ニューイングランド水族館、ボストン(マサチューセッツ州、アメリカ合衆国)
・ 天保山、大阪市(大阪府)
・ モントレー湾水族館、モントレー(カリフォルニア州、アメリカ合衆国)
・ ジョージア水族館、アトランタ(ジョージア州、アメリカ合衆国)
・ 旭山動物園、旭川市(北海道)
・ 札幌市円山動物園、札幌市(北海道)
・ 西オーストラリア水族館、パース(オーストラリア)
・ 沖縄美ら海水族館、国頭郡(沖縄県)
・ ドバイ・モール水族館、ドバイ(アラブ首長国連邦)