165 ハガ地区の街並み保全 (スウェーデン王国)

165 ハガ地区の街並み保全

165 ハガ地区の街並み保全
165 ハガ地区の街並み保全
165 ハガ地区の街並み保全

165 ハガ地区の街並み保全
165 ハガ地区の街並み保全
165 ハガ地区の街並み保全

ストーリー:

イエテボリの最古の郊外地区であるハガ地区は、イエテボリでも最も名前が知られた地区でもある。この地区は17世紀半ばクリスティナ女王のもとに、当時の城壁の外につくられ、おもに労働者階級の人々が生活をしていた。ここには1870年から1940年の間に一階が石造りで、二階と三階を木造としたイエテボリ特有のスタイルの建物がつくられた。これは、19世紀まで木造の建物は二階までしかつくれない建築制限があったのだが、ある地主が、その規制を出し抜くために一階だけ石造にし、二階、三階は木造の建物の建築許可を得ようとしたところ、市役所は許可を出さなかったのだが郡庁舎は許可を出し、その結果、つくられることになったので郡庁舎様式(landsh?vdingehus)といわれている。

1962年にイエテボリはこの地区の再開発計画を策定し、この地区の建物の多くを取り壊すことが計画された。この計画に反対して、1970年にハガ・グループというこの地区の建物を保全させる市民団体が設立された。そして、住民の会議を開催して、再開発に反対するデモを行ったりした。一方で1960年代頃からイエテボリでは古い建物の価値が再認識されるようになり、そのような建物が多く集積していたハガ地区において、古い建築の目録が作成されることになる。この目録に掲載された建物の多くも再開発で壊されることが判明し、また、この目録を作成する調査報告書においては「ハガ地区は個別の建物だけでなく、地区全体が文化的に興味深い環境(milieu)であり、ある建物が他の建物より貴重であると判断するのは難しい」と記述された。そのような中、ハガ地区は国の文化遺産地区に指定される。

その結果、1973年から1977年には多くの建物の取り壊しが中止され、イエテボリ市もこれらの建物を保全する方針へと変換する。そして、1980年代には、昔の街並みを保全するような「気をつけたリノベーション(careful renovation)」という方法で既存建物がリノベーションされるようになる。

多少、再開発が遂行されてしまった場所もあるが、街路の幅員や区分けといった空間構造は維持され、相変わらず個店が多く、そして何よりハガ地区の文化的な街の性格は守られた。

ハガ地区でも特に象徴的なのは歩行者道路であるハガ・ニアガタンであり、その沿道は郡庁舎様式の建物が多く保全され、ユニークな空間体験をすることができる。これらの建物の多くは、住宅地から小売店やレストランになっており、石鹸屋からおもちゃや、マジパンとチョコレート店、インテリア・ショップ、オリーブ・オイル屋、スパイス屋といった個店がこの地区に魅力を創出している。ファーマーズ・マーケットも春と秋には開催され、そして多くの大道芸人がここでその芸を披露している。

1960年以前は、古くて使い勝手が悪いと思われていた郡庁舎様式の建物が、イエテボリのユニークな都市資源であると認識されて、それが保全されたことで、現在ハガ地区はイエテボリでも最も魅力的な都市空間となっている。

キーワード:

街並み保全,アイデンティティ,歴史建築物

ハガ地区の街並み保全 の基本情報:

  • 国/地域:スウェーデン王国
  • 州/県:ヴェストラ・イェータランド県
  • 市町村:イエテボリ市
  • 事業主体:ハガ・グループ、イエテボリ市
  • 事業主体の分類:自治体 市民団体
  • デザイナー、プランナー:N/A
  • 開業年:1970年頃

ロケーション:

都市の鍼治療としてのポイント:

多くの都市は、相対的に魅力溢れるネイバーフッド(地区)が存在する。ただ、それらの多くは都市計画的につくられた訳ではなく、地元住民などがそのユニークな価値を認識し、保全活動を展開したことで守られ、現在に繋がれている場合が多い。イエテボリのハガ地区はまさにそのような事例の一つである。

イエテボリは歴史が浅い都市である。そのために、その都市のアイデンティティも歴史がある諸都市に比べると弱い。そのような中、数少ないイエテボリ特有の建築物である郡庁舎様式の建物をしっかりと集積した形で保全することに成功したハガ地区は、イエテボリのアイデンティティを具現化できる貴重な地区となり、その結果、多くの小売店舗が集積しており、歩行者中心の人が溢れる魅力的な都市空間となっている。ここは、フィカとスウェーデン人が呼ぶ喫茶店が多くある。

1980年代のリノベーション後、どちらかというと評判が悪い地区であったハガ地区は、地元住民や観光客が集まり、フランスのファッション雑誌であるヴォーグにまで洗練された地区として紹介記事が書かれるようになる。

逆に捉えれば、1960年代の再開発計画が実行されていたら、イエテボリは現在より随分とつまらない都市になってしまったのではないかと思われる。住民の的確な都市への「目利き」と、その後のしっかりとした市民活動がまさにイエテボリの都市の価値を維持させることに成功したのである。

【参考資料】
スウェーデン国家遺産委員会2010の報告書「Urban News 2010」

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