連載 東北復興は、次世代型まちづくりの手本を示せるのか
第5回 「商業地再生への取り組みと課題~復興の現場から(その2)」
復興における商業地再生は、市民の生活を支える上で重要なテーマの1つである。現在はそれぞに仮設店舗、仮設商店街で商業者が徐々に再建している状況であるが、本格的な商業地の再生はどのような方向性に向かうのであろうか。
再建のパターンは、極めて大雑把に言うと2つのタイプがある。1つは、中心商業地が全壊せず残った場所で商業地を再建するパターンである。これには、石巻市、気仙沼市、大船渡市、釜石市などが該当する。これをAタイプと呼ぼう。もう1つは、中心市街地が全壊し、低地部に区画整理をするなどして全く新たに再建するタイプである。これには、南三陸町、陸前高田市、大槌町などが該当する。これをBタイプと呼ぼう。
今回は、Aタイプの石巻市中心市街地、Bタイプの陸前高田未来商店街を紹介し、商業地再生の意味を考察する。
■内容
1 商業地再生の方向性
(1)はじめに
(2)中心市街地現地再生型 … 石巻市、釜石市など
(3)新しい商業地創造型 …陸前高田市、南三陸町など
(4)商業地再生の諸課題
2 石巻市中心市街地
(1)中心市街地再生への取り組み
(2)石巻における中心市街地再生の困難さ
①震災以前からの課題の継続・悪化
②復興まちづくりの困難さ
(3)石巻にみるこれからの中心市街地再生
①新しいまちづくりへのチャレンジ
②新しい波
③これからの復興まちづくり
3 陸前高田未来商店街
(1)未来商店街の取り組みの経緯と概要
①未来商店街の開設経緯
②未来商店街の店舗の状況
③竹駒地区の商業集積
④これまでの取り組み
(2)未来商店街の特長・今後の方向性
①仮設期の交流拠点
②商店街の「縮小高品質化」に向けたチーム
4 まとめ
(1)被災地における商業地再生の意味
①商業地再生をめぐる経済環境
②事例から見えた「新しい」流れ
③新しい商店街の形を創れるか
(2)今後の商業地再生?新しい商業地のコンセプトを生み出すことはできるか?
企画・制作:
公益財団法人ハイライフ研究所 / NPO法人日本都市計画家協会
第5回レポート全文は以下のPDFでお読みいただけます。
第5回「商業地再生への取り組みと課題~復興の現場から(その2)」
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■紹介する2地区の概要と位置
■石巻市中心市街地
石巻市はもともと仙台藩の港湾流通を担う街として旧北上川の河口に形成されたものであり、現在の中心市街地は、その河口部分からJR石巻駅に至る間に形成されてきた。しかし、郊外化の流れのなかで虻田地区にイオン石巻SCが2007年にオープンし、2008年に石巻駅前のさくらの百貨店が閉店するなど、中心商店街は大きな課題を抱えていた。
こうした状況下で2011年の東日本大震災で、本地区も大きな被害をうけたが、その後仮設商店街での営業再開、個々の店舗等における営業再開等の動きがみられる。さらに、行政と地元との協働での本格的な地区の再開発・再整備の検討も進んでいる。
こうした動きを支える体制として、震災以前に設立されたまちづくり会社「まんぼう」も大きくかかわっており、今後もその活動が注目される。
■陸前高田市 陸前高田未来商店街
陸前高田市は、JR陸前高田駅周辺の高田町の商店街を核とした商業の街である。しかし、近年は、他の地方都市と同様に、郊外化の波により商店街の衰退が進んでいた。
2011年の東日本大震災で、商店街を含む高田町の市街地全体が津波で流された。壊滅的な被害であったため、従前の地区での商店街再建・復興には時間を要することがわかり、商店は休業・廃業、あるいは他地区での仮設商店等の開業が行われてきている。
現在、高田町に近接する竹駒地区には50店舗以上の集積が進み商業拠点が形成されつつある。この竹駒地区の中に立地している陸前高田未来商店街(仮設商店街)は、市民の交流機能の形成や、本格復興を意識した展開を進めており、仮設期の先進的なまちづくりとして注目されている。
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1.商業地再生の方向性
(1)はじめに
復興における商業地再生は、市民の生活を支える上で重要なテーマの1つである。現在はそれぞれに仮設店舗、仮設商店街で商業者が徐々に再建している状況であるが、本格的な商業地の再生はどのような方向性に向かうのであろうか。
再建のパターンは、極めて大雑把に言うと2つのタイプがある。1つは、中心商業地が全壊せず残った場所で商業地を再建するパターンである。これには、石巻市、気仙沼市、大船渡市、釜石市などが該当する。これをAタイプと呼ぼう。もう1つは、中心市街地が全壊し、低地部に区画整理をするなどして全く新たに再建するタイプである。これには、南三陸町、陸前高田市、大槌町などが該当する。これをBタイプと呼ぼう。
(2)中心市街地現地再生型 … 石巻市、釜石市など
中心市街地が残存した地域は、一部の建物が流出したが、道路等のインフラは残存しており、一定の嵩上げ等をすることにより、個別の再建を進め、商業地を再生することが可能である。しかし、基盤整備にも一定の時間がかかるとともに、旧来から疲弊しシャッター街と呼ばれていた商店街をそのまま従前の通りに立ち上げてもしょうがない。
このような背景から、石巻市では中心市街地全体の再構築のあり方を検討しつつ、一部は市街地再開発事業などを実施しながら、新たな魅力づくりを図ろうとしている。
【中心市街地及び仮設商店街の状況】(すべての画像はクリックで大きくなります)
石巻まちなか復興マルシェ(2012)
石巻市中心市街地の様子(2011)
(3)新しい商業地創造型 …陸前高田市、南三陸町など
低地部が全壊した南三陸町や陸前高田市では、低地部を嵩上げ・区画整理した後に、区域内に新たに商業地を形成する計画となっている。陸前高田市では、現在商業施設は仮設商店街、計画区域外の5カ所に整備され、暫定的に商売が営まれている。今後整備される本設の商業地の計画検討はまだまだ始まったばかりであり、いつ再建するのか、その見通しはまだたっていない。
陸前高田市中心部の土地利用計画図
陸前高田市中心市街地のイメージ
郊外の商業集積地、仮設商店街の様子
大小の店舗が集積する竹駒地区
陸前高田未来商店街
大隅つどいの丘商店街
(4)商業地再生の諸課題
住まいの再建については、防災集団移転、土地区画整理事業、災害公営住宅の建設など、徐々に目処がたちつつある。それに比べると、商業地の再生はまだ視界不良である。前述したパターンに関わらず、現状の「仮設」の時期を経て、本設に移行することになる。仮設商店街自体の運営や営業の問題もあるが、問題は、将来建設される商店街のビジョンを描いた中で、今をいかに生きるか、である。
被災地の商店街はそもそも震災前から空洞化が進み、商店街の活性化が深刻になっていたところが多い。また、他の産業と同様に、震災により営業を断念した商店主も多い。そのような同じ前提条件の中で商業地の復興を考えなくてはならない。被災地全体に共通して、具体的に以下のような課題があると考えられる。
①人口が確実に減少し、商圏も縮小することに対応してどのような規模・集積の商業地を再建するのか。
②これまで空洞化をしていた商店街の業態をいかに変革していくのか。
③郊外型の大型商業施設が徐々に立地し、三陸自動車道などの広域幹線道路が整備され、生活圏がさらに広域化する中で、どのような商業戦略を立案するのか。
④長期間にわたる基盤整備期間をいかに「仮設」で乗り切り、「本設」へとスムーズに移行していくか。
⑤商業者(担い手)が大幅に減少する中で「商店街」という「街」が形成されるのか。またその場合、従来型の個別建物の路線型の形式でいいのか。あるいは別の形が望ましいのか。
商店街の再建への道のりには重い課題が山積するが、仮設商店街の形で暫定的な復興が進む中で見えてくる問題と展望について、今考えておく必要があるだろう。そこで、以下では、2つの自治体の事例から現段階で見えて来る課題と展望を考えてみよう。
石巻市(タイプA)では、これまでの中心市街地活性化の方向を大きく転換させていく事も視野に入れないといけないだろう。同じ規模、同じ業態で「復旧」させても衰退が加速することは間違いない。既成市街地ならではの難しさがあるが、インフラ・敷地の形状が残っているために、意思決定が早く、復興も早く進む可能性がある。
陸前高田市(タイプB)では、商業地を新たに創造しなければならない。誰がどんな商売を、どんな形式・空間で行うのか。新しい商業地は市民にとってどんな場所であるのか。難しい問題とも言えるが、違う見方をすれば、将来の消費者ニーズに合わせて大胆に変革できるチャンスであるとも言える。一方で現在、区画整理区域外に仮設の商業地が自然発生的に形成され、それが徐々に拡大しつつある。市民生活の拠点ができつつあるのである。そのような状況の中で、どのように将来の展望を考えていけばよいのだろうか。
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2.石巻市中心市街地
(1)中心市街地再生への取り組み
・石巻市では、平成22年3月に中心市街地活性化基本計画を取りまとめ、内閣総理大臣の認定を受け、これに基づいて中心市街地の活性化を具体化に着手していた。
・この実行組織の中心は、平成11年3月に策定した石巻市中心市街地活性化基本計画に基づいて設立されたTMO株式会社街づくりまんぼうであった。
・しかし、その1年後に起きた東日本大震災と大津波により、石巻市の中心市街地も壊滅的な被害をうけ、中心市街地の再生も根本から見直さざるを得なかった。
・平成23年6月以降、行政ベースで行われた市全体の復興基本計画の検討と並行して、(株)街づくりまんぼうと石巻商工会議所が中心となり、これを学識経験者等の専門家と行政がサポートするかたちで「石巻市震災復興基本計画市民検討委員会 中心市街地街づくりプロジェクト」が組織され、被災した混乱の中でわずか2カ月で「石巻市中心市街地の復興まちづくりへの提言」が取りまとめられた。これは、4つの復興まちづくりの基本的な考え方、1つの基本コンセプト、3つの基本方針で構成され、向こう10年間の具体的な事業の提案とそのプログラムを提言している。
(出典:石巻市中心市街地の復興まちづくりへの提言 平成23年9月)
・その後、平成23年12月に石巻商工会議所や(株)街づくりまんぼうなどの関係者及び専門家などが加わって「コンパクトシティいしのまき・街なか創生協議会」が設立され、本格的な中心市街地再生に向けた活動が行われている。
・協議会では、平成25年3月に東北大学大学院工学研究科、都市・建築学専攻計画制度学研究室(災害科学国際研究所)、株式会社 日本設計の協力の下で「石巻街なか復興ビジョン」を作成し、今後の復興まちづくりの羅針盤として位置付けている。
・石巻街なか復興ビジョンでは、7つのテーマプロジェクトを設定し、これをもとに中心市街地全体でソフト・ハード事業を展開していく計画を提案している。
(出典:石巻市中心市街地の復興まちづくりへの提言 平成23年9月)
・一方で、行政レベルでは再開発事業等の検討・位置づけが行われており、地元での合意形成の進捗に追わせて逐次事業化を図ることとされている。
(出典:石巻市中心市街地の復興まちづくりへの提言 平成23年9月)
(2)石巻における中心市街地再生の困難さ
①震災以前からの課題の継続・悪化
・地方都市の大部分の中心市街地は、既に1990年代頃には郊外立地店舗との競合や足元での居住人口減少、及び経営者自身の高齢化と後継者不足等の要因が重なって、恒常的に衰退の危機にあった。
・石巻の中心市街地においても、店舗数は1994年、従業者数は1999年、販売額は1997年をピークとして減少に転じている。さらに、虻田地区にイオン石巻SCが2007年にオープンし、2008年に石巻駅前のさくらの百貨店が閉店したこともあって、いわゆる物販系小売業は衰退傾向を強め、これを飲食サービス系小売業がカバーするという傾向を見せていた。
・こうした状況に危機感を強めていた地元商工関係者は、改正された中心市街地活性化法に基づく新たな中心市街地活性化基本計画を2010年3月に取りまとめたものの、その成果を見る前に大震災によって壊滅的な被害をうけ、先にあげた課題に加えてさらに大きな“復興”という課題を突き付けられた。。
②復興まちづくりの困難さ
・石巻市は、今回の被災都市の中では仙台市、いわき市に次ぐ人口規模であるが、被災の規模の大きさと都市の中枢部の被災という点では最大の都市である。いわゆる中心市街地と産業中枢ゾーンの大半が被災し、さらに半島部も壊滅的な被災をした。
・こうしたなか、商業などの生活関連機能の多くは被災していない虻田地区等の郊外部に依存することとなり、中心市街地が維持してきた商圏の大半はこうした地区に(一時的に)移ることを余儀なくされている。
・もともと高齢化が進んでいた中心市街地では、この被災を機に店を閉じる商店主や郊外部に転居する人々もでてきており、従来の課題をさらに加速させることにつながっている。
・このように多くの重い課題を有する中心市街地の再生であるが、その最大の課題は、復興の担い手不足にある。通常、石巻市のような地方都市における中心市街地活性化を担うのは、商工会議所や商店街等の地元関係者と行政による二人三脚の体制である。
・しかし、この大災害により、地元関係者の多くも被災し、さらには肝心の行政は膨大な復興事業にかかりきりとなるなど、平時のような中心市街地への係り方は難しいのが実態であった。
・また、復興事業自体に関しても未曾有の災害を受けて、検討と合意形成にかなりの時間を要するものが多く、こうした成果が見えない時間の経過が復興への意欲をそぐことにつながる等、中心市街地再生に向けた求心力を維持することが大きな課題となっていた。
(3)石巻にみるこれからの中心市街地再生
①新しいまちづくりへのチャレンジ
・こうした非常時であるがゆえ、石巻市の中心市街地再生は従来とは異なる新しいスタイルをとることになった。その一つは、被災から半年後に取りまとめられた「石巻市中心市街地の復興まちづくりへの提言」のために組織された「石巻市震災復興基本計画市民検討委員会 中心市街地街づくりプロジェクト」にみられる、商工会議所(地元商工業の有力者)+街づくり会社+外部専門家(学識者、その他専門家)の体制である。
・さらに、このコア的体制から派生した「コンパクトシティいしのまき・街なか創生協議会」を多くの地元関係者や市民、震災復興に馳せ参じた多数の専門家・事業者・ボランティアが支える構図ができつつある。
(出典:コンパクトシティいしのまき・街なか創生協議会HP)
・注目すべきは、震災以前につくられたまちづくり会社である(株)街づくりまんぼうが、こうした体制のコアを担っている点にある。震災以前に、地元商工関係者は中心市街地の課題を認識し、その体制づくりが重要であるということを十分理解していたことが、被災直後に独自の復興ビジョン策定を可能にしたと考えられる。
②新しい波
・多くの被災地では、今回の震災を契機として大きな変革が起きつつある。
・一部を除いて地方都市の大半の中心市街地の商店街では、もともと新陳代謝が行われず、閉鎖的な体制下で高齢化と施設の老朽化が進む状況にあった。
・しかし、今回の大きな被災を契機として、外部から大勢の専門家や学生等のボランティアが訪れ、地元を離れていた青壮年も戻り、地元の有志との交流による様々な新しい状況があちこちで生まれている。
・石巻市においても、2011年6月に地元の若い商店主やNPO、建築家、まちづくり研究者、広告クリエイター、Webディレクター、学生など多様な若者が集まって「石巻2.0」を設立し、ここを拠点としてさまざまな活動を展開している。
・「石巻2.0」のHPの冒頭にはこう記されている。これは、従来の商店主達に替わって、若い新しい世代が本格的に街づくりに参戦する宣言と言えるものである。
「石巻は生まれ変わります。3.11前の状態に戻すなんて考えない。
昨日より今日より、明日を良くしたい。
自由闊達な石巻人のDNAで全く新しい石巻にならなくてはいけない。
石巻2.0。私たちは新しい石巻を、草の根的につくります。」
・ここに関わる人達が中心となって、様々な新しい取り組みがなされている。人々の交流の場をつくる、職(≒雇用)をつくる、教育の場をつくる、情報をつくる・・・それらは、従来の小売店や飲食店の営業というレベルを大きく超えて、様々な活動を通じてその波及を狙い、ネットワークを広げていく。
③これからの復興まちづくり
・現在の石巻市の中心市街地再生は、まちづくり会社である(株)街づくりまんぼうが事務局を担いつつ、地元関係者+専門家+行政のネットワークで進められている。
・これは、いわばオーソドックスな中心市街地活性化のスキームを下敷きにしたものである。
・ここでは、再開発や共同化など、地権者を巻き込みつつ新しい街をつくるプロジェクトや、緑地緑道や河川沿いネットワーク形成、景観形成など、行政と地権者・住民の合意形成を図りつつ進められる事業が俎上に乗せられている。
・いわば、地区の骨格や幹となる部分を中心として街づくりが進められている。
・これに対して、石巻の新しい可能性は、こうしたオーソドックスな復興まちづくりと同時に(必ずしも連携しているわけではないが)、石巻2.0などに代表される従来型のまちづくりとは異なるアプローチで、地区における居場所づくりやアクティビティづくりを、外部の人達を巻き込みながら動き始めているところにある。
(出典:石巻2.0HP)
・そして、この動きはボランティア活動やウェブなど様々なチャンネルを通じてより多くの外部の人たちを巻き込み、さらに大きな渦となって育っていく可能性を有している。
・現在石巻市の中心市街地で起きている現象は、前者のような地区の骨格的な部分を創っていくオーソドックスな整備誘導型手法と、後者に見られる新しい可能性にチャレンジする個別の活動の場づくりが、相互に意識しつつも連携的な関係がないところで同時に進行している状況である。
・これからの石巻中心市街地再生は、前者のような街の枠組みを作るワークと、後者のようないわば街のコンテンツを創るワークの二つが街の両輪となることで、今までの長く続いた小売商業を主役とする中心市街地像とは全く異なる新しい魅力を備えた石巻をつくることが可能となるであろう。
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3.陸前高田未来商店街
(1)未来商店街の取り組みの経緯と概要
①未来商店街の開設経緯
陸前高田市の市街地は、津波により壊滅的な被害を受けた。陸前高田市では、旧市街地の位置の一部をかさ上げし、復興市街地を再建する予定である。それには、5年以上の期間を要する。
一方、商業者は、その時期まで店舗再開を延ばすことはできない。そこで、商店街の一部の店舗が結束し、山を隔てた内陸側の竹駒(たけこま)地区に、仮設商店街として『陸前高田未来商店街』を開設した。
未来商店街で仮設期の商店経営を行い、本格復興時には店舗がまとまって、中心商店街を形成することをめざしている。
陸前高田市の位置
市街地の被災状況
②未来商店街の店舗の状況
未来商店街には11の店舗がある。飲食店、雑貨店、家具店、洋服店、整骨院など多様な業種が集積している。
20~30歳代の若手の商店主が多い。多くの商店主は、陸前高田市の高田町の商店街にて店舗を経営していた方であるが、中には、震災を機にUターンで店舗を始めた方や、東京から移り住んで開店した方もいる。
多目的スペース
また、特徴の一つとして、公共的な空間を持っていることが挙げられる。
多目的スペースは、一般への貸し出しスペースであり各種イベントで活用されている。また、休日の午前は、震災前から高田町で行われてきた“けせん朝市”が開催されている。
ウッドデッキでは、バーベキューや野外コンサートなどの場となっている。
このような公共的な空間により、他の仮設商店街とは異なる機能を有している。
【未来商店街の配置図】(JSURP鈴木俊治氏作成)
③竹駒地区の商業集積
未来商店街のある竹駒地区には、仮設商業施設の集積が進んでおり、スーパーマーケット、ドラックストア、ホームセンター、書店、コンビニエンスストア、居酒屋、銀行等々、約50店舗が立地し、陸前高田市の商業拠点となりつつある。
(出展:陸前高田市HP)
(写真:JSUPR)
④これまでの取り組み
未来商店街では、交流・憩い・活動の場となることをコンセプトに、さまざまな取り組みを実施してきた。
・店舗外装の工夫
仮設の建物の商店街をより魅力あるものにするために、芸術家に外装をデザインしてもらった。未来商店街の事務局員の人的ネットワークにより、複数の芸術家にボランティアで参加したもらい、店舗ごとに異なるデザインになっている。
(写真:JSUPR)
・こんな商店街にしたいワークショップ
店主が参加メンバーとなり「こんな商店街にしたいワークショップ」を開催し、商店街の空間計画等を進めてきた。今後も、マーケティング調査や、市民・周辺店舗等との連携方策を検討していく予定である。
(写真:JSUPR)
【ワークショップで作成したプラン】(JSURP鈴木俊治氏作成)
・市民交流イベント
未来商店街では、市民参加型のイベントも開催している。フリーマーケットやコンサート、ビアガーデンなどを開催するとともに、未来商店街に設置するベンチを制作する市民ワークショップも開催してきた。
【市民との交流イベント:ベンチの制作・クラフト体験】
(写真:JSUPR)
【フリーマーケット】
(写真:未来商店街)
【多目的スペースを活用したコンサート】
(写真:未来商店街)
【ウッドデッキを活用したコンサート】
(写真:未来商店街)
【BBQイベント】
(写真:未来商店街)
(2)未来商店街の特長・今後の方向性
①仮設期の交流拠点
未来商店街では開設以降、試行錯誤で様々なことに取り組んできた。
そのバックボーンには、仮設店舗の集積地となるのではなく、市民の交流・憩い・活動の場となる商店街をつくること、そして、地域雇用、店舗経営、暮らしを支えていくことという、一歩進んだコンセプトがある。
東日本大震災の復興には期間を要する。そこで、本格復興までの仮設期は長期間になることが予想される。一方、国や関係機関は、通常の復興と同様に、商業施設の仮設開業を支援してきたが、その集積化や中心市街地の機能については意識してこなかった。長期化する仮設期において、住民の交流、様々な活動の場となる中心市街地・交流拠点の機能の確保は課題となる。
未来商店街は、仮設期の交流拠点をめざしている。周辺に集積する仮設商業施設と連携し、竹駒地区へ来れば何でも揃う商業拠点化と、未来商店街内に交流・活動の場をつくることでの交流拠点化を進めている。
未来商店街は、復興プロセスにおいて、仮設期の中心市街地という新しい要素を提示していると思われる。
○商店街の「縮小高質化」に向けたチーム
我が国では、地方都市の商店街衰退が一般的な課題となっており、有効な解決策を見いだせないでいる。この要因の一つとして、空き店舗による店舗連続性の欠如や、やる気のある店主とそうでない店主の混在という体制的な問題が挙げられる。
未来商店街は、旧商店街のすべての店主が集まっているわけではない。早期に商売を再開したい、また、未来に向けて陸前高田市の商店街を再生・拡充したいと考える“やる気”のある商店主だけが集まっている。
陸前高田市の復興計画では、未来商店街が位置する竹駒地区は、市街地ゾーンとしての位置づけはない。他の地区において、市街地を形成し、商業地をつくる計画となっている。
未来商店街では、他地区の仮設商店街に呼びかけ、本格復興時の中心商店街づくりの検討も始めている。
仮設商店街を準備段階と位置づけ、本格復興時には、未来商店街、そして、他の仮設商店街が、まとまって商店街に入る意識で、チームづくりを進めている。
未来商店街の取り組みは、商店街の再編による「縮小高質化」のモデルになることが期待される。
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4.まとめ
(1)被災地における商業地再生の意味
①商業地再生をめぐる経済環境
平成25年11月、陸前高田市未来商店街の立地する竹駒地区のスーパー「マイヤ」が、現在の仮設店舗の隣接敷地に本設で開業することを発表した。先に述べた通り、竹駒地区は「仮設店舗」が集積した「仮設商店街」である。しかし、このことをきっかけにして、竹駒地区が本格的な商業集積に変わっていく可能性もある。
一方、石巻市では、市の郊外部にあたる「蛇田地区」にそもそも郊外型店舗が集積しており、津波の被害も軽微であった。その事を背景にして、現在人口が中心市街地から蛇田地区に流出しており、商業集積もさらに加速する可能性がある。
これらのことは、商業活動を都市計画・まちづくりで完全にコントロールするのは難しいことを証明している。
商業地再生への取り組みは、このような日々変わって行く経済活動の大きな流れの中で考えなければならないのである。商業地に関する復興の計画も、このような民間活動の動きを踏まえて柔軟に計画立案する発想と、旧来の中心部の位置づけなおし、集約化、新しい戦略の立案が必要となるのである。
②事例から見えた「新しい」流れ
さて、今回紹介した2つの事例は再建のタイプが違うと整理した。しかしながら、取り組み内容を振り返ると幾つかの共通点が見て取れる。
1つ目は、新しい動き、組織が出てきていることである。石巻でも、未来商店街でも、現在、商店街の再生を試みようとする中心的な存在は、旧来の商店会や商工会議所の役員ではない。新しい商売をしようとする若い店主、新しい活動のネットワークを造ろうとする若者、よそものなどが、自由に発想して、新しい商業集積の形と、郊外の商店街にはないサービスや「まちづくりの形」を模索しようとしている点である。
2つ目は、外部からの人材の流入である。2つの事例ともに、中核には地元の方々がいてまちづくりの軸となっているが、外部の人が様々な役割や事業を立ち上げようと商店街に入って来ている。見方を変えると、地域が柔軟に外部の人間を受け止めているということでもある。
石巻市、陸前高田市ともに震災前から商店街は疲弊し、シャッター街となっていた。津波にさらわれなくても商店街の活性化は難しいのに、全壊した市街地で商業地の再生は可能なのであろうか?
しかし、この2つの事例に見られる共通点は、既に従来の商店街活性化とは状況が変わって来ていることを教えてくれる。つまり、従来のようにやる気のない商店主は既におらず、まちづくりを考え、実施するアクターも商店街内部の人間だけではなく、外部の様々な動機や能力をもった人が集まった環境で取り組んでいるということである。
そのように考えるとこの2つの商店街には明るい未来が開ける可能性もある。
③新しい商店街の形を創れるか
2つの事例をこのように見ていくと、被災地における商業地再生は、従来の商店街を復興させることではないことが改めて確認される。
グローバル化する経済環境の中で、小規模小売店の集積である商業地を再生するという環境、チェーン型の大規模小売業とは異なるサービスを提供するという課題は変わらないのであるが、それを従来の組織ではなく、多様な担い手とやる気のある若い店主達の連携により、新しい何かを実現しようとしているところが被災前との違いである。
そのような状況で彼らは新しい商店街像を体現することができるだろうか?
石巻市では、商店街が全壊はしていないため、空き店舗や空きビルなどを活用して、既に新たな活動、ビジネスが芽生えはじめている。再生する商業地の基盤はすでにあるので、事業展開を進めて行く事は可能だ。
一方、陸前高田市未来商店街はあくまで仮設商店街だ。本設される市街地は、被災した市街地を区画整理事業とかさ上げで整備した上に、新たに商業地を形成することになっている。
いつ基盤整備が完了し、本設の商業地を再建できるかはまだはっきりしない。そういう状況の中で、マイヤが本設営業を始め、自然発生型の商業集積が定着する可能性がある。そのような状況の中で店主達は判断を求められる点が難しい。
現在未来商店街では竹駒地区全体の顧客マーケティング調査を企画している。その目的は、この郊外に自然に建設された商業地が少なくとも一定の期間存在することを念頭に置き、その間訪れるお客さんが快適に買物し、時間を消費することを楽しみ、満足して帰るために必要な取り組みを明らかにしようとするものである。それを、小規模な小売店鋪と、チェーン展開する郊外型の大規模小売店鋪とともにやっていこうとすることも過去にはなかったことであろう。
まとめると、石巻市では、従来の商店街の箱を生かしてコンテンツの全く異なる商店街が形成される可能性がある。陸前高田市では、大小の小売店鋪が連携する形で、新しい商業地の形が模索され、実現する可能性がある。
しかし、そうは言っても両地区とも、時間の経過とともに経済環境の変化に大きく翻弄される可能性は否めないし、前途には大きな困難も待ち受けていよう。
このように考えると、被災地における商業地再生は、この時代と地域にあったサービスの形をゼロから考えて実現しようとするものと言う事ができるし、またそうでなければ、もう一度商業地としての集積を取り戻すことは難しい。
(2)今後の商業地再生?新しい商業地のコンセプトを生み出すことはできるか?
では被災地は新しい商業地再生のコンセプトを生み出すことができるだろうか?現場では、柔軟な発想を持った担い手による新たな取り組みが試みられようとしており、その意味では全国の衰退した商店街再生へのヒントにもなる可能性がある。
しかし、現実面を考えると以下のような問題に直面すると考えられる。
①整備する新市街地や既存の商店街の区域以外の場所で、郊外型の大型店舗の立地や集積が、中心市街地に再生よりも先行する可能性が高い。
②人口減少傾向が続き、購買力が低迷する可能性がある。
③仮設商店街では営業を続けていても、その後時間の経過とともに商業者の廃業が続き、個別店舗が減少する可能性がある。
このような問題が考えられるが、冷静に見れば、いずれも震災前から起きていた問題で、その傾向が加速する可能性があるということに過ぎないのかもしれない。
①についてはまさにこれまでも起きていた問題で、消費の機能に特化した商業地に対して、中心商業地が如何に差別化を図り、異なるサービスを提供できるかにかかっている。
②と③は連動していて、商圏の動向により商店数は自然に変化するものなので、これも人口に見合った小さな(コンパクトな)商業集積を形成すればいいと言う事もできる。逆に言えば、残った店舗こそがやる気のある店舗だと言える。
ある自治体の産業振興関連セクションの職員と話をした。「商業は基本的には民間がやるもの。行政ができることは、商売をしたくなるような『環境』を用意すること。つまり、中心商業地と位置づけたところに主要な公共施設を配置するとか、集合住宅を誘導するとか、共同店舗の建設用地を用意することなど。」
一方、その自治体の商工会は従来の商店主の声を代弁してこのように答えた。「住宅が再建していかないとお店をどこでやるかは決められない。また店主達は従来のスタイルで個別に店舗を持ち、その上に居住し、お客さんは車で店の前までやってきて買物して帰る、というスタイルを望んでいるようだ。」
このケースでは自治体の考えと商業者の意向は、ずれている。商業者サイドが従来型の商店街再生の考えしかないからである。
商業の振興が民間主体であることは間違いなく、今後商売を続けていくやる気のある商店主と、よそからの参入者達が「協働して」新しい商店街の「形」を考えていくしかないだろう。この場合「形」とは、1つはどのような「空間づくり」を構想するかということ。未来商店街が構想しているような、買物客に時間とサービスを気持ちよく消費してもらうための仕掛けである。もう1つは、どのような「協働の形」をつくるかということ。従来の商店組合、商工会の組織体系でこの厳しい時代の商業振興は図れない。世代交代が進み、新たな参入者の入った組織が、どのような販促活動を展開し、商店街を地域に愛され、かつ広く知ってもらう存在にするかということ。
石巻、陸前高田の取り組みも、他の地域の人たちに徐々に知られ始めている。しかし、他地域の人たちに、これまでような「支援」を期待するのではなく、新たな「顧客」としてローカルを超えた商売をいかに展開していけるかにかかってくるのではないか。
最後に被災地での事例をもう1つだけ紹介しよう。岩手県大槌町にある「はまぎく若だんな会」。これは商店街の店主の集まりではない。40代を中心とする町内の様々な職種の「個人事業者」の16人が集まって、彼らの職種を生かして地域のために地域でできるビジネスを考えようという会である。この会には誰でも入れる訳ではなく、考え方により選んでいるという。彼らが考え実践しようとしているビジネスは例えば、コミュニティレストラン、コミュニティスペース設置、冠婚葬祭ワンストップ事業、子育て世代向けまちゼミ、子育てママ、健康美容リフレッシュ、郷土料理地産地消伝承、などである。
この事業メニューは、コミュニティ活動でもあり,コミュニティビジネスでもあり、新たな地域商業の形でもある。被災地における新しい「商売の形(組織の形)」の萌芽がここにある。
被災地の商業地振興のあり方については明確な答えは見えていないが、1つ言える事は、従来型の商店街をそのまま「復旧」させてしまうと、間違いなく失敗するだろうということである。これからの担い手が、「空間の形」と「組織の形」さらに「商売の形」の全てを変えていかないと、被災地における商業地の再生は実現しないだろう。しかし、これをやりがいのある新たなチャレンジと考え、前向きに取り組んでもらいたい。そして中心市街地を計画するプランナーにも、新たな計画コンセプトを提案する責任があると言えるだろう。
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■著者プロフィール
渡会 清治(わたらい せいじ)
1949年静岡市生まれ。武蔵工業大学建築学科卒業。株式会社アールトゥ計画事務所代表取締役、(NPO)日本都市計画家協会副会長、(社)日本都市計画学会会長アドバイザリー会議委員。技術士(都市及び地方計画)。著書に「新都市計画マニュアル」(編共著、丸善)、「都市計画マニュアル」(編共著、行政)、「地域と大学の共創まちづくり」(共著、学芸出版社)、「都市・農村の新しい土地利用戦略」(共著、学芸出版社)など。
内山 征(うちやま すすむ)
1971年茨城県生まれ。東京理科大学理工学部建築学科卒業。株式会社アルメックVPI主任研究員。(NPO)日本都市計画家協会理事。技術士(都市及び地方計画)。
高鍋 剛(たかなべ つよし)
1967年仙台市生まれ。横浜国立大学工学部建設学科卒業、同大学工学研究課計画建設学修士課程修了。株式会社都市環境研究所・主任研究員・地区計画室長。NPO法人都市計画家協会理事。著書に、「都市計画マニュアル-土地利用編」(丸善/共著)、「都市・農村の新しい土地利用戦略」(共著、学芸出版社)、「自治体都市計画の最前線」(学芸出版社/共著)など。
2013.12.11
企画・制作:公益財団法人ハイライフ研究所 / NPO法人日本都市計画家協会
第5回レポート全文は以下のPDFでお読みいただけます。
第5回「商業地再生への取り組みと課題~復興の現場から(その2)」
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