トピックス 都市の価値をはかる
[1]豊洲:ニュー下町ファミリーの街
豊洲は、新しい街だ。街はみごとに格子状であり、道路幅は広く、街路樹は規則正しく植えられ、輝くビルが立ち並ぶ。それなのに、歩いてみるとそこはかとなく庶民っぽい。東京山の手の新興住宅地にあるような、中流気取りっぽさはない。生活密着型、東京下町リアルライフの風情が、作りかけのほやほや状態であってさえただよう。この下町感は、地場が作り出すものだろう。東京の西側にはなくて、東側にある土地の効力だ。「銀座まで自転車で15分」も、おしゃれさではなく、「銀座に近い、新しい下町(町人の住む町・その町で暮らす人が住む町)」であることを想起させる。
しかし、今の庶民っぽさ=ニュー下町ファミリーを思わせるからといって、ここでリアリティある暮らしが営まれていると認められるわけではない。嘘っぽさ、作りこまれた自然さは、この層の特徴とも言える。
・評価1―住む人のための街
あたりまえかもしれないが、豊洲はマンション群をメインにした再開発の街だと認識した高層マンションと、住む人のための商業施設でできているのだ水曜昼過ぎにフィールドワークしたこともあり、行き場がないと言われている若い母親と子どもたちが、かなりの割合で見られた。
ららぽーと入り口 豊洲を歩いている人
―子連れの主婦、おひとり様の女性、ビジネスマンの黄金の取り合わせ
・評価2―作りこまれたナチュラル
とにかく緑を増やそうと躍起になっている街だ。緑のない街に暮らす下町には、軒下園芸という伝統があるが、この下町では再開発の勢いに任せて木を植え続けている。しかしその「緑豊かな」街並みも、作りこまれたナチュラルさであり、これこそがいまの若い世代向けの住宅街であることの特徴だと思う。
・評価3―何のための歩道?
人が過ごすための場となっている表参道の歩道や、通路としての機能に徹している秋葉原の歩道を見た目で豊洲の歩道を見ると、なんとも中途半端である。とりあえず自動車用道路は何車線も確保した。歩道もゆったり取らねばバランスが悪い、車にやさしいなら人にも、といった風情。歩いても別に楽しく感じないのっぺりした作りだ。
写真を撮っている歩道を後方に進めば、ららぽーとがある。街路樹だけはたっぷりと植えられている。この街路樹が大きくなれば、それなりに立派な景観にはなるだろうが‥‥
オープンにもなるのだろうが、どこか外部をシャットアウトしているようだ
・評価4-「島」の交通は課題
住民が一気に増え、しかも「島」であることから、交通が将来の大問題になることはすぐわかる。自転車は、島のなかだけを回ることを想定しているのか。バスは、増やせるのか。地下鉄は、利用客をさばききれるのか。「足」は都市開発の際に齟齬が起きやすいが、どの程度の想定をしているのだろうか。
とにかく自転車。エコないまどきの人が住んでいるためではないだろうが、たいへんな自転車の量だ。広大な歩道は、自転車の人が多いことを想定していたのか
広大なバスターミナル。路線はこれから増やすことを想定しているのか。
だだっぴろいだけでは、交通の便が使いやすくなるわけではないのだが
[辰巳 渚]
[2]丸の内:あばら骨を背骨に変えた仲通り再整備
丸の内の再開発の中核として、丸ビル、新丸ビルといった超高層ビルの建設とともに、丸の内仲通りの整備を挙げることができる。いまや、すっかりブランドストリートとしての地位を確立しているこの通りはしかし、再開発される以前は、オフィスビルの間の通用路というイメージがしっくりくるような通りであった。また、さらに歴史を遡ると通り自体が存在していないものであった。
丸の内の現在の地図
仲通りの幅員が周辺の道路に比べて、かなり狭いことが見て取れる。また、皇居や東京駅ともつながっておらず、本来地区の軸とはなりにくい。縦の幹線をつなぐ文字通りあばら骨のような通りである。
歴史的には存在しなかった、もしくは、通用路的な位置付けにあった通りを、新しいメインストリートとして人々に広く認知させることは容易ではない。そのためには、以下に示す様々な手法を駆使する必要があった。
手法1:イベントの開催(東京ミレナリオ)
手法2:商業の誘導(ブランドショップ)
手法3:街路空間の一体的整備(街路樹、ペーブメント、ストリートファニチャー、看板規制、交通規制)
手法4:情報発信(仲通りHP、ガイドブック)
東京ミレナリオ:
1999年から2005年まで、7回に渡って行われた。メディアにも大きく取り上げられ、累計1770万人が訪れた。丸の内仲通りの存在を世に知らしめた効果は計り知れない。
仲通りは上記のようなイベントや情報発信によって、通りの存在をまずメディアを通じて人々に認識させる手法を採った。メディア先行型であると言えるが、大切なのは、そのようなメディアを見て実際に訪れた人に、ここがその「特別な場所」ですよと、直感的に分からせるようにすることである。そのために、ここでは、徹底した空間のデザインコントロールが行われている。例えば、ペーブメントは通りの端まで統一し、看板・標識の類は完全にコントロールされ、袖看板は一切排除している。まるで大型ショッピングセンターのインテリアデザイン手法のようである。また、自動車も一方通行にし、時間によっては、歩行者天国にするなど交通規則さえも変更している。
このような多大な努力を惜しまずに行う背景には、丸の内地区の歴史的な経緯から来る人々の認識-江戸時代においては江戸城門前の大名屋敷街、昭和においては東京駅前のオフィス街-を改めさせ、地区自らアイデンティティとしての軸(背骨)を持つのだという決意があるからではないだろうか。
袖看板が一切ない風景
多様で豊富なストリートファニチャーとアート
[添田 昌志]
[3]六本木:この街はどこへ向かうのか?
六本木は、ご存知の通り、「六本木ヒルズ」と「東京ミッドタウン」という大規模再開発が行われ、さらに「新国立美術館」が新設され、現在「アートトライアングル」として注目を集めている地域である。それらの開発がこの地区にどのような価値をもたらすのであろうか、フィールドサーベイによって考察を試みた。
六本木ヒルズ
新国立美術館
東京ミッドタウン
そして、六本木の街を何度も歩いて得た結論は、これからこの街はどちらの方向に進むのだろう?という疑問であった。大規模再開発の宿命として、オフィス、住宅、美術館、商業施設、ホテルなどなどを複合させてはみたものの、それ故に、街として目指す方向性が分かりにくくなってしまっている。もちろん、再開発によって、これまでになかった公道(六本木けやき坂通り)や、広い緑地(ミッドタウンガーデン)など、新しい公共物が提供されたことは評価に値する。しかし、そもそも、この街をどうするための再開発だったのかがどうも見えてこない。歓楽街であった六本木を、働く街にしたいのか?買い物の街にしたいのか?それとも、アートの街にしたいのか?ミッドタウンは、キャンティにセレブが集った70年代の古き良き六本木に戻したいと言うのだが、実態はどうも乖離している気がする。個人的には、どの方向性も、街の骨格とはずれているこれら再開発の位置取りと同様、何かずれているような気がしてならない。思えば、都心に郊外を作りたかった「豊洲」、三菱のブランド価値を高めたかった「丸の内」は、そのコンセプトと空間づくりの手法が明快に一致していた。
六本木がこれからどう変化し、人々にどう認知されていくのか、その答えを知るにはもう少し観察を続けるしかないのだろう。
街の骨格とずれたアートトライアングルは、人々の心にトライアングルを認知させることはできない。今後予定されている六本木一丁目の再開発も、骨格とずれていることに変わりはない。
「アートトライアングル」に囲まれた地域(六本木7丁目周辺)は六本木とは思えないような古い住宅街で、ここに何かが起きる予感は今のところしない。
[添田 昌志]
編集後記
編集スタッフ
[発行] (財)ハイライフ研究所
[発行人] 高津春樹
[スタッフ]
プロデューサー 長谷川文雄
エディター 小山田裕彦
サブ・エディター 萩原宏人
WEBデザイナー 熊倉次郎(ISLA) 吉野博満(ISLA)
エグゼクティブ・アドバイザー 加藤信介
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