【連載】最終回 平成生まれ30歳マイヒストリー|現代若者考・レポート
最終回 平成生まれ30歳マイヒストリー
いまだかつてない社会に生きる現代の若者
日本が平成という元号になってから31年目の今年、5月から元号が変わる。その平成の30年間で日本はいまだかつてない変化に見舞われた。どのような分野が激変したのか?
大激変した一つは「日本の人口構造」である。
平成元(1989)年に合計特殊出生率が1.57人となり「1.57ショック」として社会的関心を集め、その後も出生率低下が続き、平成4(1992)年度の国民生活白書では「少子化」という言葉が使用された。以降、出生数も年々減少し続け平成17(2005)年の出生数は106万2530人、死亡人口が108万3796人で「日本の総人口の減少」が始まった。なお、直近平成29年の出生人口は94万6065人で2年連続100万人を切り、合計特殊出生率は1.26人で過去最低となった。死亡人口も2年連続130万人を超えた。日本は「少子高齢化」社会から完全に少子高齢社会・人口減少社会になった。
二つ目の激変分野は「日本経済」である。
1980年代後半のバブル経済が1990年代になると一気に崩壊した。そして2000年代になると小泉政権の聖域なき改革や2013年からのアベノミクス成長政策など景気は回復したが、バブル崩壊(平成14(1992年)以降の経済成長率は3%以下が続いた。1960年代後半の高度成長期のいざなぎ景気(65~70年)の11.5%、80年代後半バブル景気(86~91年)の5.3%には到底及ばなかった。平成時代30年間の経済に通じて言えることは、人口減少など制約要因を抱えながら、海外経済の成長に支えられ過熱感なき低成長が続き、日本の経済は低迷した。日本は欧米、アジア諸外国に比べても低成長経済国になった。
三つ目の激変は社会の「情報化社会」である。
平成7(1995)年に「Windows 95」が発売され一般家庭にもインターネットが普及するようになった。日本の産業構造や社会構造は、例えば、情報産業によって提供される情報サービスや情報処理技術が、その他の諸部門の生産性上昇や競争力増強に貢献する度合いが高くなった。また、消費財における、情報的な側面(広告によって付加される商品のイメージ、ブランドのイメージ、商品のデザイン)が、それ以外の側面よりも商品の価値を大きく左右するようになった。情報財の消費量の増加し、物質的な豊かさを追求するための消費に代えて、精神的な豊かさを追求するための消費の台頭がみられた。産業経済構造は1990年前後から工業を中心とした20世紀型から情報IT対応型の社会構造へと転じている。
もう一つ、大激変と言えるかどうか定かではないが、明治・大正・昭和の時代は「戦争」が付きまとったが、平成の時代は「戦争もなく平和」な30年間が続いた。平和の時代であったことをつけ加えておきたい。平和ボケということが言われることがよくあったが、日本の政財や若者たちの間では、緊張感に欠け、また変化を嫌う超保守的な風潮が主流になったことだ。
30歳となった現代の若者は、平成元(1989)年に誕生し、大きな三つの社会激変が続く中で生れ、育ち、学び、社会人となっている。現代の若者たちは大激変してきた平成時代の中で、どのような生活を送ったのか。現代の若者の履歴を見ていく。今回最終回のレポートは、31歳になった現代の若者のマイヒストリーを追った。
執筆者 マーケット・プレイス・オフィス代表 立澤芳男(たつざわよしお)
■流通系企業の出店リサーチ・店舗コンセプトの企画立案
/都市・消費・世代に関するマーケティング情報収集と分析
■現ハイライフ研究所主任研究員
■元「アクロス」編集長(パルコ)/著書「百万人の時代」(高木書房)ほか
■最終回 平成生まれ30歳マイヒストリー
https://www.hilife.or.jp/wordpress/?p=14758
■現代若者考・レポート
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