344 ロイヤル・アルバート・ドックの再生(イングランド)

344 ロイヤル・アルバート・ドックの再生

344 ロイヤル・アルバート・ドックの再生
344 ロイヤル・アルバート・ドックの再生
344 ロイヤル・アルバート・ドックの再生

344 ロイヤル・アルバート・ドックの再生
344 ロイヤル・アルバート・ドックの再生
344 ロイヤル・アルバート・ドックの再生

ストーリー:

 リバプールのマージー川沿いにあるロイヤル・アルバート・ドックは建物・倉庫群からなる港湾施設である。1846年に開業し、当時は造船所としては最新式のシステムのものであると考えられていた。木材を使わず、鋳鉄、煉瓦、石材のみでつくられたイギリスの最初の建物である。それは、世界で最初の不燃建物倉庫群でもあった。構造的にも当時は随分と革新的な工夫が多く為されていた。倉庫を支える壁は91センチメートルと厚く、また倉庫の屋根は図太い鉄柱で支えられ、それによって広大な室内空間をつくりだすことや窓や吹き抜け階段を設けることに成功した。外見上、目立つのは波止場のポルティコのような空間にある巨大な鋳鉄の柱である。これは直径でも1.3メートルぐらいの太い柱で高さは4.6メートルある。今日、赤色のペンキで塗られたこれらの鋳鉄の柱は倉庫街にリズミカルなアクセントをつくりだすことに貢献している。設計に携わったのはジェス・ハートレイとフィリップ・ハードウィックである。
 建設当時は、その信頼性の高いデザインから、貴重品であるブランデー、綿、お茶、絹、たばこ、象牙、砂糖などがここで保管された。第二次世界大戦には空爆を受け、随分と破損する。戦後は、所有者(マーシーサイド・ドックと港湾局:MDHB)が資金繰りに苦慮したり、コンテナ化の趨勢を受け、それに適応できなかったアルバート・ドックでの取扱高は徐々に減っていったりして、その衰退は加速化する。アルバート・ドックの建物を再利用するための提案が幾つも為されたが、それが具体化されることはなく1972年に、その操業は中止される。その後、しばらくは荒廃するにまかされた。1976年にはリバプール市議会はここを保全地区に指定し、そこを改善するための様々なアイデアを提案したが、それらが具体化することはなかった。
 そのような状況を打破したのは、環境担当国務長官(Secretary for State for the Environment)のマイケル・ヘーゼルティン(Michael Heseltine)によって、マーシーサイド開発公社が1981年に設立されてからである。ロンドンを拠点とするアロークロフト・グループがパートナーとなり、この開発公社には多くの民間投資が集められた。アルバート・ドックを再生させることは、リバプールのイメージを向上させることに繋がると認識された。
 マーシーサイド開発公社は、アルバート・ドックを再生するためにリノベーション事業を展開する。それを手がけたのはジャームス・スターリング(James Stirling)とマイケル・ウィルフォード(Michael Wilford)というポスト・モダン建築の作品で知られた建築家であった。ドックの歴史的な重要性をしっかりと保全し、次世代に繋げることを強く意識したリノベーションが行われ、そこには博物館、ギャラリー、レストラン、小売店舗などがテナントとして入った。特にマーシーサイド海洋博物館が中核的機能を果たすことが期待された。5つの倉庫からなる建物群を含む床面積は11.6ヘクタールにも及んだ(水面をも含む敷地面積は3.1ヘクタールほどである)。1988年5月24日のアルバート・ドックの正式な開業日に、当時、皇太子であったチャールス王様は「これは、リバプールの新鮮な希望の象徴となる」と評している。
 2018年に国王から勅許を与えられて、それ以降はアルバート・ドックではなく、ロイヤル・アルバート・ドックと呼ばれるようになった。
 現在のロイヤル・アルバート・ドックはリバプールの主要観光資源となっており、主要テナントとしては、マーシーサイド海洋博物館、テート博物館リバプール分館、ザ・ビートルズ・ストーリー(ビートルズに関する博物館)などがある。ホテルも2軒ほど敷地内に立地している。ロイヤル・アルバート・ドックはリバプール最大の観光資源となっており、年間で400万人以上の人が訪れている。
 ロイヤル・アルバート・ドックの5つの倉庫、そしてドック・オフィスがあった建物(現在は国際奴隷博物館)はすべてグレード1登録の歴史的建築物である。グレード1登録の建物はイギリスにおいて特筆すべき歴史的もしくは建築的重要性を有しており、イギリスの法律によって保全されている。
 ロイヤル・アルバート・ドックのリノベーション事業は、リバプールの重要な転換点となった。

キーワード:

ウォーターフロント,歴史建築物保全

ロイヤル・アルバート・ドックの再生の基本情報:

  • 国/地域:イングランド
  • 州/県:マージーサイド州
  • 市町村:リバプール市
  • 事業主体:マーシーサイド開発公社
  • 事業主体の分類:準公共団体 
  • デザイナー、プランナー:オリジナル:ジェス・ハートレイ(Jesse Hartley)とフィリップ・ハードウィック(Philip Hardwick) リノベーション:ジャームス・スターリング(James Stirling)、マ
  • 開業年:1988年

ロケーション:

都市の鍼治療としてのポイント:

 リバプール市は産業革命後、港湾都市として繁栄し、1831年には20万人に満たなかった人口が100年後の1931年には80万人をも上回る。しかし、それをピークとして一貫して人口は減少していき、2001年には45万人をも下回る。しかし、再び増加に転じて2022年には50万人近くまで復活している。このように都市の活力が削がれていく中で、リバプールの都市の命運を大きく衰退から再生へと転換させたメルクマール的な事業がアルバート・ドックの再生であった。しかし、その必要性を人々は認識していても、それを具体化させたのは、マーシーサイド開発公社という事業体が設立したことである。これは保守党政府によって、リバプールの港湾地区を再生することを目的として設立され、公共投資によって基盤整備をすることで民間投資を促すようにした。つまり、マーシーサイド開発公社は再生に直接、関わったのではなく、その条件整備、さらには開発の方向性を提示するといった形で間接的に関わったのである。
 同公社が最初に行ったのは、港湾地区において保存できる建物を特定し、それをリノベーションすることであった。一方、保存することが難しい建物は撤去していった。そして、特に重点プロジェクトとしてアルバート・ドックの再生を位置づけた。
 1983年にはアルバート・ドックを再生するために、ロンドンを拠点とする開発会社アロークロフトと共同でアルバート・ドック会社(Albert Dock Company)を設立する。そして、積極果敢にアルバート・ドックを再生するための事業に取り組んでいくことになる。最初に行ったのはヘドロ化していたドックを再生させることであった。続いて、閘門や橋がつくり直され、ドックの壁面は修理された。1986年には今日までアルバート・ドックの目玉施設となるマーシーサイド海洋博物館が開館する。そして、1988年にアルバート・ドックは再開する。同年にテート博物館リバプール分館が開館する。ビートルズ・ストーリーが開館するのは1990年である。そして、2003年には再開発が終わっていなかった最後の建物にプレミアー・ロッジ・ホテルが開業した。
 改めて、ロイヤル・アルバート・ドックの歩みを概観すると、現在の人々に溢れている状況は、1970年代からすると想像を越えるような快挙であることを理解することができる。公的機関であるマーシーサイド開発公社の優れた戦略、そして迅速なる行動がなければ、アルバート・ドックの再生はなかったかもしれない。都市の鍼治療のプロジェクトとしては、極めて大きいが、そのまさに「ツボ」を得た戦略性を評価し、「都市の鍼治療」の事例として紹介したい。

【参考文献】
National Museums Liverpool のウェブサイト
https://www.liverpoolmuseums.org.uk/royal-albert-dock-liverpool/regeneration

Michael Parkinson and Alex Lord (2017): Albert Dock: What Part in Liverpool’s Continuing Renaissance? Heseltine Institute for Public Policy and Practice

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