343 フィンレイソンの工場地区の再生(フィンランド共和国)
ストーリー:
フィンレイソン・オイはフィンランドの繊維会社である。同社はスコットランド人の技術者であるジェイムス・フィンレイソンが1820年に設立した。フィンレイソン・オイはフィンランド中部の都市タンペレの工業において中心的な役割を果たしてきた。タンペレは、この会社とともに発展してきたと言っても過言ではない。また、その工場はフィンランドでは最初の近代的工場であった。フィンレイソンの建物の一つであるプレヴナは1882年、北欧そしてロシアで最初に電気が灯されたものであるなど、都市の発展において象徴的な意味合いを有するものでもあった。
フィンレイソン・オイは、しかし20世紀後半になるとグローバリゼーション、そして製造工程の進化などによって、その生産高は減少していった。その結果、1980年代後半にて工場が閉鎖され、タンペレの中心部に近接された場所に広大な工場跡地が出現したのである。そして、それを再開発する計画が策定されるのだが、その際、フィンレイソン・オイの工場群のタンペレにおける歴史的な重要性を鑑み、それらをしっかりと保全することが強く意識された。
タンペレは成長過程にある都市であり、住宅、商業、文化施設などの需要が高い。そのため、フィンレイソン・オイの再開発では、それらの需要に対応すると同時に、近接してある都心部の再活性化、さらには快適な歩行者ネットワークの拡張が目標として掲げられた。また、同跡地は雇用を創出することや観光資源、さらには新たな文化・レジャー活動のシーズをも提供し、地域経済をブーストするポテンシャルを有していることから、クリエイティブ産業を集積させ、レストラン、博物館、さらにはイベントが開催できるようなスペースを設置するようにした。
フィンレイソンの工場跡地の将来像をテーマとした建築コンペが1988年に行われ、建築事務所スタジオ8が一等を取る。そして、1995年に新たに再開発された工場跡地「フィンレイソン・エリア」が開業した。その開業に合わせて1995年にはタンペレ市が新しい再開発に適合するよう新たなゾーニングを策定する。
再開発では、ほとんどの古い建物は保全された。1923年に開業したフィンレイソン製品のアウトレット・ストアは現在でも営業中である。総床面積は3万㎡という巨大さであり、住宅もつくられており800人がここに居住している。フィンレイソン・エリアのオフィス床には、フィンレイソン・オイ以外の企業がテナントとして入っている。集客装置的な施設としては「フィンランド労働博物館」と「メディア54センター」がある。「メディア54センター」には、レジャー要素が強いアトラクション施設がテナントとして入っている。
2001年にはサイペリアというショッピング・センターが紡績工場跡地に開業した。そのテナントの多くはレストラン、カフェであるが、エンタテインメント系の施設もつくられたりしている。前述したプレヴナ・ビルディングは現在、映画館、ビール醸造レストラン、そして駐車場が入っている。2017年には巨大スーパーマーケット・チェーンのLidlもセェーランティ・ビル内に開業している。
これらに加えて、フィンレイソン・エリアは周辺の公共空間や歩行者道路とネットワーク化を図ることで、より都心部を歩きやすい、歩行者に優しい空間になることに寄与している。フィンレイソン・エリアという集客施設の歩行アクセスを向上させることで、都心部の賑わいを高め、その活性化を意図している。加えて、タンペレ映画祭を始めとした数々のイベントを開催することで、タンペレ市の「ハレ」の場としての機能を担っている。
フィンレイソン地区の再開発では、既存の産業遺産ともいえる建物を保全し、それを再利用することで、現在の人々のニーズにしっかりと対応しつつ、新たな都心部の魅力を創出させ、なおかつテンペレ市の歴史をしっかりと次代に継承することに成功した。
キーワード:
ブラウン・フィールド,工場跡地,歴史建築物保全,ミックスド・ユース
フィンレイソンの工場地区の再生の基本情報:
- 国/地域:フィンランド共和国
- 州/県:ピルマンカー県
- 市町村:タンペレ
- 事業主体:タンペレ市役所
- 事業主体の分類:自治体
- デザイナー、プランナー:Arkkitehtitoimisto 8 Studio Oy 等
- 開業年:1995年
ロケーション:
都市の鍼治療としてのポイント:
タンペレはフィンランドのピルカンマー県の県庁所在都市である。その人口は22万人、大都市圏人口は36万人であり、大都市圏人口ではフィンランド国内ではヘルシンキに次いで大きく、中部フィンランドの中核都市である。ヘルシンキの北約160キロメートルの場所に位置しており、鉄道でアクセスすると90分ほどかかる。
「都市の鍼治療」の事例調査のためにタンペレに向かったのは、タンペレ中央駅に隣接して、それまで鉄道線路が東西の交通を遮断しているという都市課題を解消するために人工地盤を線路上に建設し、アイスホッケー・スタジアムを整備したというプロジェクト(タンペレ・デック)に注目したからである。しかし、この人工地盤プロジェクトは、文章情報ではとても素晴らしい印象を与えたが、現場を訪れると、アイスホッケーの試合やイベントがスタジアムで開催されている時は違うのかもしれないが、そうでない時は閑散としていて寂しい印象を与えた。アクセシビリティの改善には凄まじく貢献したプロジェクトであるし、そこにスタジアムという集客施設を設置したことも、方程式の解としては極めて妥当ではあるが、その成果としての空間が魅力的でなければ「都市の鍼治療」として紹介するのには不適切であると考えた。都市プロジェクトは、どんなに理論的に立派であっても具体化された空間が今ひとつであると、それは評価には値しない。多くの建築家が言っていることは至極、妥当であっても、つくられた建築が今ひとつであれば、それはやはり今ひとつなのである。
さて、それで途方に暮れて中心部を歩いていた時に発見したのが、このフィンレイソンの再開発地区である。タンペレはネシ湖とピュハ湖とに挟まれており、両者はタンメルコスキ川で結ばれているのだが、二つの湖は標高差があるので、この差を利用して水力発電を行うことができる。そして、この水力発電所の周りにフィンレイソン・オイの工場は立地したのである。したがって、工場はまさにウォーターフロント沿いにあり、タンメルコスキ川の周りは緑豊かな公園として整備されており、多くの人達がそこで憩っていた。
さらに工場跡地は住宅、オフィスといった基幹的な機能以外にもフィンランド労働博物館などの文化施設、メディア54センターなどのレジャー施設が整っており、それはタンペレの都心部に活力を与えていることは明らかであった。
このフィンレイソン・エリアの再開発における歴史保全について、知人のラハティ応用科学大学で建築計画を専門とするアーレヴァーラ教授に取材をしたのだが、フィンランドはそれほど産業遺産的な歴史的建築物を保全する意識は高くなく、タンペレも1980年代に工業地区の古い建物を倒壊したことがあるそうだ。ただ、この時、市民から強烈な抵抗を受け、それ以降は、歴史的建築物を保全するという動きが主流になり、フィンレイソン・エリアの再開発でもそのような考えが尊重されたようである。
その結果、タンペレという工業都市が、21世紀に向けて脱工業化を図るうえでも、このフィンレイソン・エリアの産業遺産をしっかりと保全して、その都市のアイデンティティを次代に継承しつつ、新たな魅力を創造することは、都市の将来指針の方向づけをするうえでも極めて重要な役割を担っていた。それは、人工地盤をつくりスタジアムを整備したプロジェクトであるタンペレ・デックに比べると、その都市文脈をはるかにしっかりと受け継いでおり、空間という観点だけで比較すると、より落ち着き、人々に親しまれるものになっているとの印象を受けた。
【取材協力】
Eeva Aarrevaara(ラハティ応用科学大学教授)
【参考資料】
フィンレイソン・アリアの公式ホームページ
https://finlaysoninalue.fi/en/homepage/
フィンランドの国家的に重要な建築文化環境リストのホームページ
https://www.rky.fi/read/asp/r_kohde_det.aspx?KOHDE_ID=5021
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