
vol.6
まとめにかえて
【小堀哲夫教授への
取材インタビュー】
小堀教授の学生時代、
陣内秀信先生との出会い、
海外での経験などについて
学生時代とゼミの選択
今、設計事務所で建築の設計をしている身ですけども、同時に大学でも学生がたくさんいるゼミで建築の全般を教えています。学生の時の私は1年生から3年生まで設計という道に進もうと思っていたんですよ。そして、3年生の後半にゼミを選ぶときにふと自分が今まで設計をやってたんだけど、何か自分の設計が身体的に理解したものから生まれた設計ではないような気がしてきたんです。
それまで大学でいろんなことを学ぶわけです。本もたくさん読みますし、設計のスキルや表現力もついてくる中で、もうちょっと建築の本質とか人間の営みの本質みたいなものの理解が、実際自分自身が経験として蓄積しているのかなということを非常に疑問に思ったんです。3年生ぐらい、その時に当時陣内秀信先生が、アジアの方にも目を向けたり、あとイスラム圏の方にも目を向けたりしていて、もともとイタリアというのが一つ大きなフィールドだったんですけれども、地球全体を俯瞰して、建築の文化や人々の営みについてゼミ全体で精力的に活動しているのを見て、これは設計のゼミではなくて、やっぱり陣内先生のゼミに入ろうというふうに決めました。
海外でのカルチャーショック
きっかけはですね、修士論文でインドネシアのジャカルタっていうところをテーマにしてジャカルタに何度も行ってですね、フィールドワークをしたんですね。一人だったんですけども、そこである意味カルチャーショックを受けたんですよ。それは何かっていうとジャカルタは中国の方もいるし、イスラム教、バリヒンドゥ、キリスト教もあって、多民族国家ですね。いろんな人たちがこう東南アジアに集まっている多様な国だったんです。その中における建築の様式が様々存在していて、且つカンポン(kampung)と言われる村とか、あとスラム街も都市の中に共存していたわけですよね。その状況を見て我々が住んでいる日本というものが、いかに均質化していっているかということをすごく感じたんですね。
その後、南イタリアのレッチェという場所のフィールドワーク調査を陣内研でやってたんですね。そこに私が参加したんですよ。そうするとまたアジアとは全く違うイタリアの文化というものを知るわけです。そこで大きく気づきがあったのは、イタリアの人たち、市民が自分の街のことを話し始めるんですよ、誇りに思って。例えば「あそこに行ってごらんよ」とか「私の家に来てごらんよ」ていうところから始まって、そこから色々教えてもらって、そこにまた友達とかがいると「いやこの家よりうちの方がいいよ」とか、ある意味自分の我が街、我が家みたいなものが非常に住んでる人たちの誇りだったんですね。


ふとその時思ったのは、日本において自分の街のことを住んでいる人たちがどれだけ語れるんだろうっていうことを疑問に思ったのと、自分の場所についても、外国の人たちがうちの家に来て「私の家はね、こういう過程で設計されて、これだけの歴史があって」っていうことが語れないなって思ったんですよね。そこはやっぱりイタリアの素晴らしさもそうですし、その建築そのものの文化がその場所に根付いていて、それによる広がりっていうのがやっぱり都市なのだなっていうのを痛感したんですよ。
次は、中国に行ったんですね。今、高村(雅彦)教授が法政大学にいますけど、その時まだ陣内研に博士課程で在籍していて、その調査にも少し参加させてもらったんですね。北京はですね、また面白い都市構造をしていて、紫禁城という真ん中に大きなスペースがあって、それと同じ形の類型で住宅があるわけですよ。都市全体がすごく同じようなルールで出来上がると、これもまた少し日本とは違う、またイタリアとも違う、またジャカルタの混沌とした風景とも違う。
「騙されたと思っていいから、
騙されたと思って来てごらん」
もっと地球の裏側みたいな全く我々が理解し得てないところを身体的に感じたい。それが建築や人々のことを理解するためには、非常に近いアプローチだなというのを感じたんです。もっと早く気づいていればよかったと思うんですね。学生の1年生とか2年生とか。僕がそれを知ったのはゼミに入った後だったから。僕が大学に戻ってきたときはそういうことを学生に伝えたくて。
僕も卒業した後ね、設計事務所に行くわけですけど。毎年のようにいろんな街に都市に、特に海外に行って、プロジェクトを通して、その土地の文化やおいしい食べ物、そういうのを経験するのが非常に楽しみでした。
今年、万博が4月から始まりますけども、世界中からその文化が集まるわけですよね。そういった意味でパビリオンを設計しながら、今年はアフリカとか南アメリカ南米の方に行って、また全く違う文化、つまり黒人その土地がどういう関係性があるか、また黒人と白人と我々が混ざり合った空間とはどういうものかとか、つまりいろんな人々が同時に存在し得るような場所性というようなことに、非常に興味を持ち始めながら今設計しているんですけど、そのきっかけはやっぱり大学時代に本当にふとしたきっかけで、「ちょっとフィールドに来ない」って、「騙されたと思っていいから、騙されたと思って来てごらん」って陣内先生に言われて、僕はメインの研究者でも何でもないし、ただ単にお手伝いとして行ったわけですけど、その経験、1週間だったんですけどね、その経験が僕を大きく変えたなっていう気がしますね。そもそも新しい物好きなんですよ。見たことないものを見てみたいとか。食べたことないものを食べてみたいとか。そういうところもあるから、なんかちょうど僕の性に合ってたなっていうのもありますよね。
テリトーリオ研究を
ゼミ生と実施したわけですが、
その意図や結果について
僕が学生時代に経験したことも含めて、やっぱり学生にとってまず自分の足で歩き、自分の体で感じ、建築を通して、その街や人々と触れ合うということが、大事かなと思ったんですね。そういった意味で流山も福井もイタリアも建築だけを見るのではなくて、大きく俯瞰的に物事を見てほしいなというのはありました。特にその場所の人々にヒアリングして、そこで活動している人たちとか、そこに住んでいる人たちに、どういう思いでその場所で取り組んでいるのかということを、まずインタビューしてほしいというのはありました。
我々東京に住んでいる人からすると、そこの土地に根付いて活動している人たちは、どういう目的を持っているのかということを調べてほしいなと思いましたし、また知り得なかったこと、文化というものもその土地にひっついているわけですから、そこの土地に根付いているものが、どうしてそこに生じたんだろうか、文化そのものがどうして芽生えていたのかというのを探ってほしいです。
設計の勉強をしていると近代とかモダニズムというものは、比較的土地から外すことが可能な原理というのを学ぶわけですよね。つまり世界中が衛生的な問題とか災害とか、いろんな意味でどういうふうに関われるかとしたときに、どの国でも展開可能な仕組みや論理というものを一生懸命学問としては考えてきたわけです。ただ一方で、これだけグローバリズムが進んで均質化していくと、そうではないという考え方も今まで生まれてきているわけですよね。どこに行っても同じような風景、日本もどんどんそういう風になってますよね。そういったことではなくて、その土地にひっついたもの、その土地ならではのものというのは何なのかということが非常に重要になってくるので、まずそういう種みたいなものを見つけられるだけでも大事だなと思っています。
そういった意味でイタリアに2週間半ぐらい皆さん行かれて、学生にとってどういうカルチャーショックがあったのかというのは聞いてみたいです。福井は私が「べにや」旅館(光風湯圃べにや)を設計した時にですね、その旅館というものが実は旅館の外側から成立しているという、そういう建築の成立性みたいな話で設計を進めていきました。
流山においてもですね、この東京とは違う近郊都市において、その中心・中央とどういうふうにつながることが歴史的に重要だったのか、そしてそれがまたどういう文化になってきたのかというのが、非常に面白いテーマとしてあって、そういうものを調べてほしいなということで、それぞれチームを組んでゼミ活動としてきました。
《小堀研究室の学生の言葉》

トロペーアに着いた次の日、全員で都市を回ったんですけど、その都市を見ながら陣内先生がどんなところを見ているかとかを、それこそ全身で感じて勉強させていただいた。
僕が一番カルチャーショックというか驚いたこととしては、先ほど小堀教授が言ってた通りなんですけど、街を街の人たちがすごく愛していて、ガイドさんがいない状態で僕たちで街を回っていた時に、街の人がガイドしてくれる状況になりました。70代ぐらいのおじいちゃんだったんですけども、そのおじいちゃんのさらにおじいちゃんの代まで自分の街について知っていて、正直僕とかは自分が住んでいる街について、200年前まで知っているかと言われるとそうじゃなくて、でもそれをすごく自分ごとのように喋っていることだったりとか、暮らしと土地が地続きにあるような状態だったりすることにすごく感動したのを覚えています。

カルチャーショックの点で言いますと、イタリアはすごく一人一人が街に対して自分のものだっていう意識が強いなって感じました。例えば、レストランで食事をする時に日本だと基本的に店内で食べてテラス席だとすごい珍しいみたいな風潮あると思うんですけど、イタリアだとテラス席が普通で、そこで散歩してる人もいるし、そこら辺で座って談笑してる人もいるといった、日本とイタリアの街の人々の意識の差っていうものをすごく感じましたね。それがいいなと思いました。そのテラス席にピアノが置いてあって、いきなり弾き始める。日本では恥ずかしくてできない。自分がなんでできたのかというと、弾いててもなんか異様じゃないというか、別に普通だみたいな雰囲気はありました。そういうのも素敵だなぁと思いましたね。

福井と流山とイタリア全部を通じて、テリトーリオ研究を行ってきて、人にお話を聞く機会っていうのがすごい多かったんですけど、イタリアと日本の違いがあったなって思っていて、日本の2都市でお話を伺う人は事前に準備していて、地域のために活動している人から始まって、そういう同じような活動している人に繋がっていくみたいな流れだったんですけど、イタリアは歩けば話してくれる人がいる感じがすごいなと思って、みんなが多分自分の中にその街に対しての知識の蓄積とかがあるからできるんだなっていうのが、すごいカルチャーショック受けたところでした。
また、福井のべにやさんで印象的だったのは、その地の生産者さんが例えば「今年はあまり作物が取れないよ」ってなったら、「なんで取れないんだ」って怒るとかではなくて、「じゃあ今年はこちらがサポートできるようにしていこう」という関係づくりとか、そういうのを旅館と生産者さんでやっているっていうことが、そんなことがあるんだと思いました。
べにやさんで火事が起きたときも、その旅館のスタッフさんたちが農場の方までお手伝いしに行って、関係をずっと作るようにしていて、旅館業のイメージが旅館だけにとどまらないで、地域全体でやっているところが、すごい素敵だなというふうに思いました。

設計をするための敷地調査じゃないフィールドワークっていうのは、今回初めてなので、手当たり次第、手を伸ばしていったって感じで、人伝いに次々に関係性が広がっていったっていうのが、流山の特徴だったかなと思っていて。
最初は調査から始めたんですけど、マーケットのお手伝いだったり、最終的には屋外のレストランのウェイターみたいなことだったり、いろいろな経験をさせていただいて、でもそういう体験から都市を見ていくと、近年すごい急成長している「おおたかの森」、江戸からその街の姿を残す「流山本町」っていうのが見えてきて、さらには昭和で栄えたっていう街もあって、同じ市内なんですけど街の形成の歴史が異なるというのが見えてきて。
それも都市近郊だから、かつては江戸川河川、少し昔の流鉄線、最近は東京から電車1本で行けるTXつくばエクスプレスが通ったきっかけで街が栄えていくっていう、都市との距離感がある程度近いからこそ街の形成の歴史が顕著に現れている。でも街の違いはあるんですけど、人の活動だったり、思いというのは常に横断し続けていて、これからもっと関係性が深くなってくるとは思うんですけど、今回インタビューした人たち、お互い行き来したいし、場を作っていきたい、活動だったり思いっていうのはもちろんなんですけど、自分は設計をしていきたい側なので、そういう場を考えていくっていうことが非常に有益な時間でした。

自分は東京近辺に住んでいる身で、流山市を調査する前に自分なりにインターネットとか本とかで調べたりしました。ところが全然違う印象で返ってきたなっていうのがあって、やっぱりその場所に飛び込んでみて、人に聞いてみて、その人から違う人を紹介してもらって、その人の活動のお手伝いをさせてもらう中で、なんか東京に住んでる自分は、その街の他の人がこういう活動をしているとかを知らないけど、その流山の人たちは知っていて、一本の線のつながりじゃなくて、すごいいろんな線が繋がってるなっていうのを感じて、小堀教授に教わったメッシュワークという考えがあったんですけど、それを自分の身体で感じたというのが一番大きなカルチャーショックというか、自分の住んでる地とは違うものがあるなと感じました。
包括的、俯瞰的な視点で、「テリトーリオ研究」の持つ意味、
建築設計との関連について
やっぱり街の人たちがメインの人たちであって、我々設計する人たちが都市を変えるんじゃなくて、街の人たちが都市を変えていくという意識がすごくあるんですよね。そこがやっぱり我々学問領域としては、考え直さなきゃいけない。設計者が何か支配者のように設計するんじゃなくて、街の人たちと一緒に私たちの場所は何なんだろうと考えることをデザインする。仕組み自体を変えないと本当の意味のその場に根付いた建築というのはできないかなと思ったんです。
日本はまだまだやっぱりそういった思いを持っている人たちはマイノリティだし、むしろ先進的に活動している人たちが中心になっている。それがどうやって裾野を広げていくかということに建築が寄与していく、そういう気はします。我々どうしても建築だと敷地をまず見るわけですよ。その後、敷地周辺を見ますよね。だけどテリトーリオはその敷地周辺のものの背後にあるものをみる。研究としてはすごい重要で、その距離っていうのはどんどん伸びていくわけです。そこがやっぱり設計とテリトーリオにもつながるところだと思うんです。
学生は敷地のことばかり見てるわけです。当然ですよね、敷地の中にどう建築を収めるかっていうことがまず大事だったし、敷地を切り離してもこの形式が他の国に成立するという均質性を求めたのでそれも正しいと思います。
ただこれからの時代というのは、その土地に建てる以上、その土地の周辺や背後にある地域性みたいなものまで見た上で、じゃあこの土地にどういう建築があるべきなのか、そういうあり方が非常に重要で、ある意味土地から立ち現れてくる、そういうことが重要なんですよね。設計者や我々や学生に求められるのは、そこに大きな気づきを与えるってこととクリエイティビティを持つこと。全く普段その場所の人たちが思いもよらないような繋がりを発見してくれたり、思いもよらないような立ち現れ方をしたり、そして我が街が素晴らしい文化や素晴らしいものを持っているんだと気づかせてくれたり、そこはかなりネタはいっぱいあって、そこにイノベーティブなかつクリエイティブな形で、我々はデザインをするというのが求められている。
建築家として、最近気づきを
得たことや気になることなど
我々の建築設計事務所で増えてきたテーマとして、2つあってですね、1つ目は改修です、古い建物をどう活かすか。2つ目に公共のプロジェクトが増えてきました。
その1つ目の改修というものが、なぜ増えてきたのかというのは、様々な要因があると思うんですよね。新築ではなくて改修することで、初期費用を抑えようというのもあるし、その建物の価値をもう1回再評価していこうみたいな流れもあると思います。スクラップアンドビルドというものの反省からくるものもあります。ただ私が今非常に面白いなって思っているのは60年とか80年とか経ってる建築を今新しくリノベーションしてるんですけど、例えば武蔵野公会堂は60年経って、もう1回リノベーションをしようという風に公共が舵を切ったわけですよ。今までだったら建て替えた方がいいじゃないという話の中に、その建築の設計者かつての設計者の思いや、地元の人たちがその場所をどういうふうに捉えたのかというのが再評価されて改修に踏み切ったわけですよね。そうなった時に経済的効果で言うと建て替えた方がもしかしたら安くつくかもしれないですよね。だけど改修に踏み切るということによって何が生まれるのかということを考えなきゃいけないわけですよ。
僕はね最近、大高正人(おおたかまさと)さんが建てた海員会館(全日本海員組合本部会館)というのがあって、この海員会館を見たんですけども、改修設計者は野沢正光氏(野沢正光建築工房)、野沢さんは法政でも教えていらっしゃった。大高さんのところにいて、その改修をされたが完成する前に亡くなられた。すごく残念だったことだと思う。で、僕が気づいたのは何かというと、まさに今まで話していた通り、建築に愛着を持てるんだということに気づいたということなんですよ。つまり、どういうことかというと、手を入れてきれいにリノベーションして、もう1回よみがえった建築というものは新築にはない新しい価値が生まれているということに気づくということなんです。その海員組合の人たちが、この六本木の一等地にあるこの建築をもう1回丁寧にリノベーションして、かつ足りなかった、新しい価値エンジニアリングなもの、空調とかも新しくして、そうするとね本当に喜んでるわけですよ。「あっリノベーションの価値ってここだな」って、建物が長く延命したってことじゃなくて、つまりそこに使っていた我々の大量消費の価値の外にある、価値を建築でも成立しているし、建築こそそういうことができるってことを知り得たってことが最大の価値なのかなって思いました。


海員組合の場合はそういうことが熟成されていったんですよね。プロジェクトを進める野沢さんがそれをリードしていったわけですけど、だんだん設計者建築家として野沢さんが、そこに価値があるんだということを海員組合さんと一緒にやるわけです。それで何が起きたかというと、お金かかるけど、我々はもう1回この60年経ったものをまだ100年使う。そしたらやっぱりこっちだよねっていう風にクライアントが変わったってことなんですよ。そこがデザインなんですよね。野沢さんの素晴らしいデザイン。もちろん建物のデザインも素晴らしいです、リノベだからね、そんな新しいこと全く何もしてないわけですよ。だけど丁寧に構造的な補強をし、もともと持っていた天井のジョイストスラブの美しさを表現するために、天井をきれいに外して空調的に断熱性能が全くないものをダブルスキン構造にしてあったかくして、丁寧な設計をしているだけなんですけども、だけどそこで発見されたのはその建築の新しい価値みたいなもの、50年100年まだまだできるっていう、そこなんですよ。
だから僕は今武蔵野公会堂、これは林昌二さんと山下和正さんが設計したんですけどもその二人が込めた建築の意味みたいなものを再評価し、再発見し、60年前だからもう市民の人は全く分からないけども、その今の古い建物で市民向け公開日に学生が説明してくれて、市民に武蔵野公会堂の誇りみたいなものが芽生えた。それが改修のすごく大事な意味なんだなって思うんです、単純なんですよ。そういう文化に少しずつ日本はシフトしていると思います。
最近北区の庁舎のプロジェクトをやっているんですけど、これ非常にナイーブな話をすると、これだけ建設コストが上がってね、建築の成立性が難しい。血税というものがいかにどう使われているのかということが問題になる。いろんな意見がすぐに世の中に出てくるわけですよね。僕は改修と同じだと思っていて、実は血税というものがどう使われたということの新しい価値を作っていかないと、単なる税金が投入された「高いダメじゃん」というような方向に今日本全体が行っているというのはすごく危険だと思っています。建築が持つポテンシャルや価値というのは、もうちょっと長いスパンを持って育成されるものなんですよ。それはデザインという行為を通してみんなが築いていくべきことだから、北区も税金によってできるわけですけど、それが代々100年、今の子どもたちがその場所を誇りに思うような場所にしていかないと、いくらかけても無理だと思うんですよ。安かろうが高かろうがっていう議論じゃないと思いますね。今そこにやっぱり新しい街の価値みたいなものだったり、その街が持っているテリトーリオ的なポテンシャルだったりを表現し、この建物ができたことで我が街にプライドを持ち始め、街って素晴らしいな、庁舎ってすごいんだなということがもしできたとしたら、それは子どもたち、孫の人たちまで代々受け継いでいくわけですよ。そこに価値を求める。そういうものだからこそ、今建てましょうみたいな話にしていかないと、単純な短いスパンの費用対効果で考えてしまったら、建てないほうがいいですよね。
やっぱり老朽化の問題で建て替えが生じるわけですよ。どのプロジェクトも、ほとんどそうだと思います。古くなったから建て替えましょう。面積が足りないから建て替えましょう。必要だから建て替えましょう。それはある意味当然だと思いますし、そこに費用対効果っていう考え方がつきます。でも我々いろいろ研究して、イタリアも行ったし、流山や福井も研究してわかったことは、もうちょっと長いスパンで、その建築がどう成立していって熟成していったってことに気づいて、価値になっていった。それがデザイナーとしての建築家としての価値じゃない。そこに向かって戦っていかないと、今の時代はお金がかかるから駄目だよねっていう話になっちゃうなって思ってます。そこで大事なのは、「それは誰のための建築なんだ」ってことだと思うんですよ。私の建築だと駄目だと思うんですよ。私たちの建築じゃない。私の建築をボンと作るとそれは何でそんなお金をかけて私の建築を作るんだって話になる。我々が今求められているのは、その敷地の周辺だけではなくて、そのテリトーリオという大きな領域の中で、その人たちが本当に誇りに思うような「私たちの建築を作る」それも50年100年長いスパンで愛される建築を作る。そうするとやっぱり建築というものがまた新しい価値を放って輝いていくのかなと思いますよね。
2つをまとめると、改修というものは、その価値をもう1回掘り起こそうということ。公共という民間と違うクライアントについては、領域・テリトーリオで考え、愛され、誇りになるということ。それらに今チャレンジしていて、学生たちとも一緒にやっているテリトーリオ研究というのは、更にグローバルな範囲をやりたいと思っています。日本だけではなくて、今年イタリア行ってカンボジアにも行きましたし、来年はアフリカの方にも行ってですね、もっと根源的な場のあり方みたいなものを調査して、多面的に物事を見て、かつ俯瞰的に物事を見て、テリトーリオという考え方が地球全体に広まっていく。そういうようなことを目指していきたいなと思いますね。
《取材編集を終えて》
「テリトーリオ研究2」の最後に、小堀哲夫教授に取材インタビューを実施した。(インタビューの模様は、第42回ハイライフセミナーとしても配信されます)
小堀氏は建築設計の実務においても、多方面での活躍をなさっている。学生は現地、現場において学ぶことも多く、素晴らしいのは研究室の学生が受け身ではなく、積極的にテリトーリオについて考え、企てている様子は、見ていて楽しく驚きも少なくない。恐らく、小堀教授からみれば、自分が通ってきた道を学生にも体験して欲しいということだろうが、面白いのは同じ道ではないということである。やはり、学生は学生でその新しい感覚で、外的な情報、現地で得られる情報を受け止め、体感し、発信している。つまり、小堀教授が用意したものをトレースするということではないところが素晴らしい。そのことを小堀教授が楽しんでいる様を横で見ていると、実務(仕事)そのものが学びでもあると感じてしまう。
テリトーリオ研究についても、用意されているのは場所だけで、そこでどんな情報や人が待ち受けているかは分からず、それ故、気づき・驚きの種もつきない。失礼ながら、小堀教授がどことなく子供っぽいところがあるのは、いつも学んでいるということの裏返しかもしれない。