テリトーリオ

vol.5

3地域でのテリトーリオ研究を振り返る

千葉県流山市(流山プロジェクト)、福井県鯖江市・あわら市(福井プロジェクト)、イタリアトロペーア市(イタリアプロジェクト)の3地域でのテリトーリオ研究を行ってきました。
各々の研究の成果は既に報告した通りです。同じスタイルでの研究とはならないところにテリトーリオ研究の面白さもあると思います。
そこで、3地域の研究を通じて、気づきや感じたことを各プロジェクトのリーダーに記してもらいました。

流山プロジェクト

成田 駿 & 橋本 菜央

今回の流山プロジェクトを通して流山には見えない繋がりがある事を感じました。私達は流山のテリトーリオを調査するために、まずはまちの盛り上げに尽力している方々へのインタビューや対話を行うことからスタートをしました。都市近郊である為、現地に何度も足を運ぶことで多くの方にお話を伺うことができたのですが、相手様とお話を進めていくと他の方の事や活動やイベントを紹介して下さり、だんだんと輪が広がっていき、どの方々も点と点ではなく、また1本の線ではなく、何本もの線で繋がっているようなメッシュワーク的な繋がりがあることを感じました。

流山市は、つくばエクスプレスの開通による新しい住宅地の開発、それに伴う人口増化のため、古くから住んでいる方と新しく住まい始めた方など、様々な市民が存在するまちです。また、都市的な点においては同じ市内においても昔ながらの街並みが残っており、その街並みを継承しているまちと、急速に成長を遂げているまちが存在しており、目に見えるものは個々がそれぞれ点在するような印象を持ちます。ですが今回の調査では、それぞれのまちや人々を紡ぐような人々の活動やものやことの行き交いを見ることができました。初めはインタビューなどを通し、お話を伺い記事にまとめることを目的としていたプロジェクトでしたが、イベント運営のお手伝いなどにもお誘い頂いたり、ワークショップ開催のお話など研究期間を超えた先のお話もいただいたりしております。このことから、外からの人々も受け入れ、人と人との繋がりを大切にする姿勢を感じました。このことが流山市に存在するテリトーリオであり、このまち全体を支え、まちのこれからに繋ぐきっかけであると感じました。

今年度の我々の共通認識として、テリトーリオとは「スケールを持たない全体性」と定義し、目標としてその目に見えない全体性を可視化する事を目標にプロジェクトは始まりました。言葉や文章、歴史を調べるという点までは今までの設計課題でも同様に行なってきましたが、流山においてテリトーリオという言葉を自分なりに解釈し始めたのは、人との対話であったような気がしています。最初の一歩は自分たちの机上での研究からでしたが、対話を重ねるたび、次々に自分たちには見えていない人と人、人ともの、人と街などのつながりへと広がっていきました。

この現象はどの地域でも起きるということではなく、同じ市内でも特性が異なる街同士が互いに認め合いながら、自分たちが持つ街への誇りを失わず活動しているからです。これは他の街にはない特有のテリトーリオであると感じると同時に、これはその土地で生まれ、当たり前のように暮らしている人には認識することが難しいものだとも感じました。

私自身3年前に東京都の池袋から流山市に引っ越してきており、現在住んではいるものの土地や街の背景を詳しく知らないという状況であったため、意欲的に調査したいと考え、リーダーとして、他のメンバーよりこのテリトーリオを自分ごとのように感じながら調査を行ないました。調査を進めていく際に、「ここに住んでいます」とお話しするとぐっと距離が縮まり、会話が広がっていきました。ですが生まれ故郷ではなく、数年住んでいる学生という一歩引いた視点だからこそ全体性が見え、それを調査過程で人々に伝えていくことができました。他の地域との比較で言うと、イタリアでのプロジェクトで調査する人々が街の物語を自慢げに話してくれると聞きました。流山では積極的に活動している人同士を繋げていただくことが多く、市民の方々とお話をする機会はあまりなく、そもそも聞いても答えてくれるか怪しいぐらいです。その差にテリトーリオという言葉が変わりゆくものなのか、長い年月をかけ少しずつ積み重ねられていくものなのかの違いを感じました。

福井プロジェクト

鈴木 耀生

さばえまつり(福井県鯖江市)

さばえまつりの調査では、既存のテリトーリオを可視化するのではなく、自分たちの力でゼロからテリトーリオを獲得し、可視化する試みに挑みました。具体的には「みんなの思い出交換知図」というワークショップを企画し、参加者に地図上に思い出を書き込んでもらうという内容でした。しかし、思い出を思い出せない、地図に落とし込むことが難しいという声も多く、1つの点を導き出すことに非常に苦労しました。意外だったのは、参加者との対話を重ねるうちに、記憶が徐々に引き出され、地図上に落とし込めるようになったことです。この経験から、テリトーリオとはあらかじめ存在しているものではなく、対話を通じて自ら獲得していく領域だと感じるようになりました。

さばえまつりの企画に参加するきっかけは、「森ハウス」(家主は森一貴さん)への興味でした。森一貴さんへのインタビューの日程が、偶然、さばえまつりの寄り合いと重なり、その場に参加したことが始まりです。当初は森ハウスのテリトーリオを可視化することを考えていましたが、さばえまつりを調査する中で方向性が変化しました。このプロセスの転換自体もまた、テリトーリオを捉え直す重要な要素であったと感じています。また、ワークショップ前に森さんからいただいたアドバイス、「当日にどれだけ声をかけて話せるかが大事」という言葉がとても印象的でした。この言葉が私の中での「テリトーリオ」の結論に繋がりました。それは潜在的な意識や記憶との対話を通じて繋がりが広がり、それが面となった領域だと捉えるようになりました。最初から結論を持っていたわけではなく、プロセスを通じて気づきを得たことが大きな収穫でした。

光風湯圃べにや
(福井県あわら市)

べにやの調査では、既に形成されているテリトーリオをいかに維持し、発展させているのかを学びました。小堀先生と女将さんの対話を通じて、テリトーリオは信頼関係を基盤として成り立つものであり、日々の努力や継続的な対話がその強固さを支えていることを実感しました。特に印象的だったのは、周辺農家と密接に関わりながら食材を調達している点です。収穫が不安定な場合でも、お客さんや取引先との対話を重ねて乗り越えていると聞き、その姿勢に驚きました。また、小堀先生が女将さんとの意見の相違を乗り越え、互いの価値観を尊重しながらテリトーリオを再編していった過程も印象深いものでした。小堀先生が実現したものは、テリトーリオという概念を建築という形で可視化する試みそのものだと感じました。さらに、現状では不便さが残る中でも「手間を楽しむ」という意識が、地域との繋がりを維持する大きな原動力になっていることに感銘を受けました。

テリトーリオに対する認識の変化

調査を始める前は、テリトーリオとは単なる「空間的な領域」や「明確な境界」を指すものだと考えていました。しかし、1年間の活動を通じて、その理解は大きく変わりました。さばえまつりでは、対話を通じて潜在的な意識や記憶を引き出し、新たな繋がりを創出することで、テリトーリオが獲得されることを学びました。一方、べにやでは、信頼関係の上に築かれた持続的な対話や努力が、テリトーリオの維持に欠かせない要素であることを知りました。テリトーリオは単なる物理的な空間ではなく、記憶や感情、人々の関係性が織り交ぜられた領域であり、それは可変性を持っていると思います。

イタリアプロジェクト

藤田 絋

調査を始める前、私たちはテリトーリオとは「要素要素を囲んでいる、そのアメーバ状のもの」だと思っていました。そのため私たちはテリトーリオがその場にあるという前提のもと、それらのうちどれを結びつけていけばネットワークを形成するのかを模索していましたが、その要素は膨大な量があり、分析は難航していました。
イタリアでのフィールドワーク調査の2日目、9月2日の午後、コーディネーターの井谷さんからテリトーリオに関するレクチャーを受けました。その際、私たちはトロペーアで「トロペーアが属するカラブリア州の食に関する書籍から文献を集めて、その土地のテリトーリオを可視化しようとしています」ということを伝えました。すると井谷さんは、「テリトーリオは何を軸にするかによって可変する。今回の調査においての軸は自分たちの体験そのものである」と教えてくださいました。
そこから私たちの調査は、原体験を軸にして、自分たちの作った料理を分析したり、そこから料理に用いた食材の産地をMAPに表したりしていきました。結果的に、私たちの体験が次の体験を呼んでいる、そんな実りのある調査へと変化していきました。
1年間の調査を経て、私たちの考えは「何を軸にするかによって、テリトーリオは可変していく」ことに気づき、大いに変化しました。

イタリアでの調査は現地での活動のほかに、帰国してからも活発に行われました。
現地でのプレゼンで使用したスライドのブラッシュアップや、一緒に調査を進めた稲益先生、高道先生と合同での調査・研究に関する報告書の作成など、やるべきことは多くありました。また、その調査研究を報告する場として法政大学名誉教授である陣内秀信先生が主催している「法政大学 エコ地域デザイン研究センター 年度末報告会」にて発表の予定があります。このように研究に対するアウトプットをする場を多く設けていただいていることを大変嬉しく思っています。 私はこのイタリアでの調査・ワークショップを行うプロジェクトが来年も続いていき、テリトーリオに関する知見が研究室に積み重なっていけば良いと思います。

3つのプロジェクトを通じて

的場 陽奈乃

今年度、イタリアトロペーア市(以下イタリア PJ)、福井県鯖江市・あわら市(以下福井PJ)、千葉県流山市(以下流山PJ)の3地域でのテリトーリオ研究を行ってきました。昨年度から小堀研究室で始まったテリトーリオ研究は、昨年度のクリエイティブな活動をしている人たちへのインタビューから記事にまとめることから発展して、今年度は3地域でテリトーリオ研究を行う機会をいただけたため、その比較を行いたいと考えました。また、研究を行ったのちに、能動的に研究したことによる学びを生かしていきたいという思いから、今年度のテリトーリオ研究ではアウトプットをすることにも着目し、テリトーリオを可視化していきたいと活動を行っていきました。どの地域での調査でも共通してそのまちにいる人との対話が重要だということを深く理解しました。

流山PJでは、昨年度の福井でのテリトーリオ調査の経験を生かして、インタビューをもとに記事を作成し、ネットワーク図という形でアウトプットすることを試みました。インタビューから流山での人と人とのつながりが芋づる式に見えてきて、次から次へと派生していくことを体感できたことが非常に面白い経験でした。
福井PJで関わった光風湯圃べにやさんと森一貴さんはどちらも、意欲的にワークショップを行っており、インタビューをしたつながりから、べにやさんではワークショップへの参加、森一貴さんからは「さばえまつり」でのワークショップの企画・運営のお声をかけていただきました。インタビューやワークショップの参加、企画・運営に関わったことから、テリトーリオを可視化したり、より彩っていったりするためにワークショップは有効な手段であることに気づきました。
イタリアPJでは、手段がわからないながら事前調査を行っていた際に、トロペーアは赤玉ねぎが有名だということは調査メンバーの共通認識として持っているものでした。しかし、実際に現地に行ってみるとトロペーアにある赤玉ねぎは周辺のカザーレで生産されていて、もともとトロペーアが貿易都市である背景を持つことからトロペーアの特産品とされていたことがわかったことが印象的でした。

3つのプロジェクトを通してテリトーリオを理解・可視化するためには対話をベースにその地域にいる人に入りこんでいくことで、その地域やそこにいる人々への解像度が上がり、理解が深まっていくことを学びました。

テリトーリオ研究プロジェクトに参加し始めた4月ごろ、“テリトーリオ”とは漠然と直訳的に「領域、領土、領地」という意味で理解をしていました。今年度のテリトーリオ研究は、先ず陣内秀信先生の著書「建築史への挑戦‐住居から都市、そしてテリトーリオへ」の読書会とテリトーリオの再定義・再解釈から始まりました。そこで私たちはテリトーリオを「ノンスケールの全体性」と再定義し、それぞれの地域で調査を行っていきました。流山PJ、福井PJ、イタリアPJでのフィールドワークやインタビューを踏まえてテリトーリオを再考してみると、当初の考え方から変化があったように感じています。研究室全体で定義した「ノンスケールの全体性」に加えて、私個人としては「そのまち、そこにいる人の営みからなる領域」という解釈が一番しっくり来ている気がしています。この1年間を通して、多くの地域に足を運び、多くの方々にお話を聞かせていただきました。このような素晴らしい経験ができましたこと、調査に関わってくださった方々に深く感謝申しあげます。ありがとうございました。