テリトーリオ

vol.5

3つ目の取材先は、福井県あわら市で古くから旅館を営む「べにや」の女将さん、奥村智代さん。登録有形文化財にもなっていた旅館が火災により焼失し、建物の再建と共に、テリトーリオをキーワードとして掲げる現在の「光風湯圃べにや」になるまでのお話を伺いました。

奥村 智代/ 光風湯圃べにや
創業130有余年の歴史ある旅館『光風湯圃べにや』で女将を務める奥村智代さん。小堀先生が旅館再建の設計を担当したことがご縁で、自分たちが旅館経営を行うなかで大事にしていたことが、まさにテリトーリオであったと気づいたそうです。地域に向けてイベントを開催したり、「あわら温泉女将の会」でオリジナルの日本酒を世に出したり、様々な活動に取り組んでいらっしゃいます。

新しいべにやに
生まれ変わるために

 旅館経営とは、『原価を下げる・利益を生む』が基本で、品質の高い食材は高価で、旅館経営には向いていないと考えていました。

経営者として帳簿と向き合い、一定品質のサービスを提供することが旅館としてのあり方だという認識だったのですね。初めからすべてを変えるのではなく、たまご、牛乳と一つ一つ丁寧に変えていったそうです。

 スタッフにたまごの価値を伝えることで、お客様にたまごに対して感動を与えられるようになりました。以前は半分以上も食べ残されていたたまごも、こういったたまごのありがたさを丁寧にお伝えすることで、残されることが少なくなってきました。

このようなお客様の反応があって経営のやり方の変化に確信をもてたのですね。
サービスのためにスーパーや小売店舗のように何でもそろっていなければならない、という固定観念を無くし、生産者と直接やり取りをしながら、「いただける分をいただく」ことを繰り返し、信頼関係を維持しながら取引をする方針にすることで「テリトーリオ」を形成していったそうです。

 おかねを払う方が偉いのではないのです。
 品物をいただく、大切にするという『営み』を買う。『人の営みの価値』を互いに高めていくという心構えを大切にしています。

べにやの変化で変わった
周りの人たち

新たな旅館の再建に向けたワークショップを中心に、べにやの変化は、あわらのまちの人々、一緒に旅館をつくっているスタッフや食材の生産者さんに伝わり、そしてその関係の変化が加速していきました。

 生産者さんとの距離がとても近くなりました。
 生産者さんは引っ込み思案で控えめな方が多くて、お付き合いが難しかったのですが、旅館が再建されたあとも、ワークショップを開催して、そこにお願いして引っ張り出していくうちに、だんだんと明るくなっていきました。

ワークショップを通して、べにやでやってきたことが地域で生産している食材を使用することを大切にする「地産地消」の域を超えて、こころのやり取りを大切にする、さまざまな価値の中に生かされていて、お互いの営みを応援し合うという事が「テリトーリオ」であるという事を知り、大切にするようになりました。

 関係を築く工夫として食材を直接生産者さんのところに受け取りに赴くようにしています。そうすることで会話が増え、畑や動物の様子、その場の空気感を直接感じとり、食材をいただく背景を自分たち自身で理解できるのです。

べにやで働くスタッフも、料理場の人しか本来関わらない生産者さんと顔見知りになり、べにやをつくる関係が広がっていくのを感じられます。
また、旅館の再建で、現在のようなコミュニティを表す工夫を建物の設計に組み入れたそうです。一つ目は料理場がお客様もスタッフも通る廊下から見えるようにしたこと。二つ目に縁側を設けたこと。この縁側があわらの街とべにやの関係を作っています。

 縁側でさまざまなイベントを行い、そこに来た子供たちや街の人の頭の片隅に思い出として残っていけば、ずっと愛されるような繋がりの場所としてべにやを残していけると考えています。

【インタビュー取材終了】